Eros act-2 08

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 そっとカップを差し出してきたティコを、至近距離からジッと見詰める。
 チラリと視線を向けてきた彼と目が合った瞬間、また慌てて視線を逸らし俯いてしまった姿に、大きな溜息を吐いてやった。


「ティコ、一稀から聞いてるんだろう?」
 自分でも驚く位に穏やかな声色でそう問いかけると、ティコは堪忍した様子で、ゆっくりと頷いた。
「ごめん、店長…。俺、ココまで話が広がるとは思ってなかったんだ…」
「まぁ、その辺りは後で聞こう。言い出したのはティコなのか?」
「2人で…かな。とりあえず、店長が男を抱ける様にならないとダメだな…って考えて、それなら一稀の方が俺より女っぽいし、上手くいくかもしれないよなって。その話をしてる時に、ちょうどジェイが来たんだ。それで一稀がジェイに聞いてみたら、ジェイも『その方がいい』って…」
 ボソボソと小声で答えてくれるティコの言葉に、思わず机に肘を付いて本当に頭を抱え込んだ。


「あの馬鹿…、そんな煽る様な事を言ったのか?」
「そう。俺もちょっと驚いたんだけどさ。それで一稀が勢い付いて、ジェイが言った日に店長が早く帰れる様に、シフトを組み直したりしたんだよな。その時に止めれば良かったのかもしれないけど、もう話が大分広まってたし、俺も、店長が本当に男がダメなのかどうか、やっぱり知りたかったから」
「……それで最近、シフト変更が多かったのか…。じゃあ、やっぱり全員知ってるって事だな?」
「そうだけど。一稀は何て言ってたんですか?」
 話しているうちに気持ちも落ち着いてきたのか、少しだけ普段の声色に戻ってきたティコの問いかけに、ゆっくりと頭を振った。
「アイツが細かい説明など、いちいち話す訳がないだろう。いきなり襲われたも同然だ」
「そっかぁ…、それは何となく分かる気がする。アイツ、いつも脊髄反射だから。想像出来るな…」
「出勤してきてようやく、翔に聞いて話が少し掴めてきたばかりだ。それより、何で一稀に頼むんだ?お前が自分で来れば良い話じゃないのか?」
 何気なくそう問いかけると、ティコは少し寂しそうに、口元を緩めて俯いた。


「それとなく誘っていたつもりなんだけど、全然気付いてくれなかったから…。それに、店長はノンケだろ?俺が真剣に告白して、それで断られた時の事を考えたら、どうしても言い出せなかった。店長もゲイだったら、俺は好みのタイプじゃなかったんだな…って諦めがつくけど、そうじゃないし。もし、気持ち悪がられたりしたら…、俺はもう、店長に合わせる顔がないしさ」
 俯いたまま涙声で呟くティコの姿を、喰い入る様にジッと見詰める。彼が既に誘いをかけてきていたなんて、そんなの全く気付いてなかった。


 確かに言われてみれば、何度か「食事に行こう」とか「一緒に遊びに行きたい」とか、そんな誘いの言葉をかけられた事があった。でもそれは、皆と仲が良くて、いつも色んなヤツと連れ立って遊びに行くティコが、それと同じ感覚で誘ってくれてるんだろうと、そう思っていた。
 だから「そのうち時間があれば…」と軽く答えて、あまりに気にも留めずにいた。
 あんな誘い方で気付くものか…と思うけど、それはいつも人の気持ちを先回りして、あれこれと気を使う彼なりの、精一杯の表現だったのかもしれない。
 そんな気持ちに気付く事なく、素っ気ない答えばかりを繰り返す片思いの相手の姿を、ティコはどんな気持ちで眺めてたんだろう?
 そう考えると、1人寂しく色んな事を思い悩む彼の姿が頭の中に浮かんできて、胸の奥が少し痛くなった。


 それにもし、彼に問いかけた通りにティコが直接誘いをかけて来ていたら、きっと迷いながらも断っていたと思う。
 ティコは一稀みたいに、いきなり行動に走る事もないだろうから、自分が男相手でも欲情する事を知る術もなく、「男だから」の理由だけで、彼を受け止めはしなかっただろう。
 随分と強引な手段だと思うけど、結果的には良かったのかもしれない。
 少し荒療治過ぎるけどな…と苦笑いを浮かべながら、目前で泣き出しそうに俯いているティコの頭を、くしゃくしゃと撫でてやった。




「ティコ、俺は怒っているんじゃない。そんな顔をするな」
「……ホントに?でも、皆も知ってるからさ…。色々と冷やかされるかも」
「それは仕方ないだろう。最近、面白い話題が無かったからな。ちょっとしたネタの提供だ。……お前、一緒に食事に行きたいと言っていたな。近いうちに連れて行ってやる」
 そう話しかけた瞬間、ティコは弾かれた様に顔を上げた。


「本当に?……店長、無理してるんじゃね?俺がこんな話をしたから」
 今にも零れ落ちそうな位に涙を溜めた眸で、ジッと見詰めてくる彼の頭を、また軽く撫でてやった。
「別に無理はしていない。そういう気持ちの上でだと気付いてなかったし、義理で誘ってくれてるんだろうと思っていたからな。お前を好きか嫌いかと聞かれれば、好きだと思う。でもそれは恋愛感情じゃなく、単純に人間としての『好き』だろうな。だから、まずは食事から…だ。確かに俺は男を抱ける様だが、それとこれとは別の話だ。それでも良いか?」
「それでも良い。俺は2人で遊びに行ったりとか、それだけでもすっげぇ嬉しい」
「そうか。俺は男を抱けるらしいと言っても、男相手に恋愛感情を抱けるかどうかは分からない。それはまだ、ずっと先の話だし、当人同士の問題だ。だからもう、一稀を寄越すのは止めろ。あんなのは一度きりで充分だ」
「分かった。どっちにしても、アレが最初で最後だと思う。一稀はジェイが大好きだし、それに俺も…やっぱり、ちょっと複雑な気持ちになったしさ」
 そう答えながら照れた笑いを浮かべるティコの姿を、今までとは確実に違う気持ちを抱いて見詰めた。




 一稀より大人っぽく、落ち着いた雰囲気を漂わせるこの身体を、そのうちきっと抱くと思う。
 でもそれは、自分の気持ちを確認し、彼を本当に恋人として、ずっと愛せる様になってからにしたい。もっと長い時間をかけて彼の内面を知ってから、その後でも遅くはない。
 色んな気持ちの混乱の中で、流される様に彼を抱きたくないから…と、そんな事を真剣に考えてしまう自分の感情に、自分でも驚いていた。


 ノンケを自認していたのに、今まで特に恋人を作ろうという気にならなかったのは、店の中だけだったにしろ、あれこれと世話を焼いてくれるティコの姿に、自分でも気が付かない感情を持っていたからかもしれない。
 俺も案外鈍いヤツだな…と自嘲しながら、嬉しそうに頬を緩めるティコと、今までとは少し違う穏やかな気持ちで、店の開店時間になるまで色んな事を語り合った。




 ティコとの恋愛事情はともかく、ノンケだとばかり思い込んでいた自分があっさりと男に欲情してしまうと判明した事は、何というか、今までの自分の価値観や倫理観が根こそぎ覆されたのも同然だから、本当に微妙な気持ちになってくる。
 その上、更衣室にでも行ったんだろうと思っていた翔と、やけに誰も入ってこないと思っていた他の出勤する筈の奴等は、ドアの外にへばり付いて自分達の会話を盗み聞きしていたらしい。
 自分達が一言も経緯を話さないうちから、「店長は一稀とやって男に目覚め、ティコと付き合う様になった」と、やたらと豪快に色んな事を省略した話が速攻で広まっていて、思いっきり唖然としてしまった。


 多分そうなるだろうから声高に否定するつもりはないけど、それにしても…と、頭を抱え込んでしまう。
 満面の笑みを浮かべて「第二の童貞喪失おめでとう」とか「ようやく店長も俺達の仲間になった」とか、物凄く返答に困る祝福の言葉をかけてくれる皆にからかわれながら、只1人、「その気持ち、すっごいよく分かります…」と真顔で話しかけてきた橋本に慰められつつ、昨夜から続く怒涛の一日が過ぎて行った。






*****






 早々に話が伝わったらしく、夜中になってジェイの方から「2人で遊びに行って来い」と、翌日の閉店を引き受けてくれる電話が入った。
 とりあえず昨夜の一件について苦情を言いつつも、ありがたくその話を受けて、帰る間際だったティコを掴まえ、翌日は休みのティコと2人きりで夕食に出かける事が決まった。




 お昼辺りに電話をかけてきたティコと細かい場所を打ち合わせてから出勤し、昨日は休みだった連中から、また微妙な祝いの言葉を受けている間に、あっと言う間に夕方になってしまった。
 慌ただしく事務所で用事を済ませていると、普段と変わらない雰囲気のジェイと一稀がやって来た。
 日曜の夜で早めの時間が賑わう店の手伝いに、すぐに折り返して出て行った一稀を送り出すと、ジェイはソファに腰を下ろした。
 煙草に火をつけながらニヤリと笑いかけてきたジェイの様子に、何だかもう怒る気力も消え失せ、机を片付けながら溜息を吐いた。


「ジェイ、アイツ等を煽る様な事を言うな。ただでさえ賑やかな連中ばかりだ。収拾がつかないだろう」
「まぁ、良いんじゃねぇか?活気があった方が良いだろうよ」
「それに異論はないが、お前ももう少し考えろ。一稀はジェイの恋人だろう?いい加減、他の男に軽々しく抱かせたりするのは止めた方が良い」
「あぁ?そう堅苦しい事を言うんじゃねぇよ。俺以外のヤツとは、所詮、身体だけの関係だ。そんな事に大した意味などねぇよ。それより、アイツはかなりの上物だろう?お前がティコを満足させられる様な経験を積むまで、何なら3Pで協力してやっても構わねぇぞ」


 やけに上機嫌でふざけた事を言い放つジェイの様子に、無言で椅子から立ち上がる。
 そのまま彼に近寄っていきペシッと頭を殴った瞬間、声を上げて笑い出したジェイの前に座ると、煙草に火をつけ、大きな溜息を吐いた。


「冗談はそれまでだ。真面目な話、一稀はあの時、『ジェイが他の男と寝るのは、本当は嫌だから…』と言っていた。お前は気にしてないんだろうけど、アイツはそうじゃないと思う」
「あぁ。それは俺も分かっている。ティコの相談に乗ったのも、そういう理由があるんだろうな」
「……お前、気付いてたんなら止めれば良いだろう?背中を押して送り出すな」
「まぁな。少し様子を見ようと思っただけだ。お前の反応も知りたかったしな。俺は以前から、お前は両刀なんじゃねぇか?と思っていた。もっとも、お前自身も気付いてない様だったから、とりあえず一稀に襲わせてみるかと、そう考えたまでだ」
 あっさりとそう話すジェイの言葉に、何だか身体の力が抜けてくる。
 何でコイツは、こうも一直線で極端な事ばかりを考えるんだ…?と思いながら、のんびりと煙草を燻らすジェイの方に視線を向けた。


「……まぁ、確かに一稀に襲われなかったら、気付く事はなかっただろうな。それは置いといて、今後はどうするつもりだ?アイツは、ジェイが面接で男と寝るのを嫌がっている。俺がそれを引き受けたとしても、本当にティコと付き合う様になれば、その後は無理だと思う。ティコは一稀以上に思い詰めるタイプだし、今まで見ていた感じだと、嫉妬心も強い方だろう。俺も恋人が出来た後は、いくら仕事とはいえ、他の男と寝るのはそれなりに戸惑いを感じる」
「俺も、その事を話そうと思っていた。基本的に面接で寝るのは止めにしても良いんじゃないかと、俺はそう思っている」
「……そう簡単に方向転換出来るなら、何故今まで、面接で寝てきたんだ?」
「言葉でアレコレと問うより、実際に身体を観察して寝てみた方が早いからな。まぁ、お前も男を相手に出来る様になれば、今までと少し見方も変わってくるだろうから、多分、言葉だけの面接でも大丈夫だろう。問題が残るとすれば病気関係とノンケの教育だろうな。病気の方は、売りに出す前にさせていた分を面接時に受けさせ、その検査結果が出てからの合否にすれば良いと思うが、ノンケの方はな…」
 平然とそう語るジェイの言葉に少し驚きつつ、彼と同じく考え込んでしまう。


 本当に彼らしい考え方だなと思うけど、ジェイが面接で皆と寝ていた理由も、何となく理解出来る。とはいえ、それは数え切れない程の男と寝てきたジェイの判断基準だろうから、それと同じ事をやって自分が理解出来るかどうかは分からない。
 だからもう、それは意味のない事だと考えたとして、残る1つの方が確かに少し問題だと思えてきた。


「……そうだな。確かに、ノンケは実際に寝てみないと分からないかもしれない。俺が言うのも何だが、やはり女相手とは随分違う。一稀に襲われた様なもんだから最後までやれたけど、あれが一稀に『抱いてくれ』と言われてベッドに横たわられたとしたら、最初はきっと無理だったろうな。俺はどうやら両刀だった様だが、逆に思うヤツもいるかもしれない。男相手でも大丈夫だと思っていたのに、いざ客を前にしたらダメだった…となると、店の印象も悪くなる」
「お前がそう思うんなら、間違いないだろう。その辺りは俺が予想するより、お前の方が心情的にも理解しやすいだろうからな。とりあえず今は人も足りているし、皆も、お前とティコの進展具合も気になるだろうから、近いうちに辞めるヤツはいないだろう。翔の引退まで時間もあるし、その辺りはゆっくりと話を詰めよう。俺とお前で交代でも良いし、店の連中から教育係を決めても良いと思うがな」
 ククッ…と笑いながらそう答えるジェイの姿に、思わず顔を顰めながらも渋々と頷いてやった。
「俺もそれで良いと思う。店の元ノンケの連中にも少し意見を聞いてみよう。……それもだが、一稀の件は、もうこれっきりにしてくれ。他のヤツならまだしも、お前の恋人を抱くのは気分的に落ち込む」
「分かってる、もう二度とねぇだろうよ。そう怒るな。まぁ、お前も自分の好みを理解出来た事だし、店の連中やティコも喜んでいる。結果的には良かったんじゃねぇか?」
 相変らずな上機嫌で答えるジェイの姿に、溜息混じりで頷いてやった。


 ジェイならではの豪快な方法だけど、彼が面白半分に企てた事ではなく、色々と考えて許可を出したんだと、その事は充分に理解出来た。
 片思いに悩むティコは、自分ではどうしても先に進めないだろうから…と考え、全く関係がなく、無下に断られたとしても傷付く事のない一稀に、その役目を任せたのかもしれない。確かに勢いで攻めまくる強気な一稀にはピッタリの役目だろうなと、苦笑いが浮かんでくる。


 自分の持っている常識の斜め上をいくジェイと一稀に振り回された気もするけど、結果的には良い所に落ち着いたと思う。
 でも、もう少し、穏やかな手段を考えて欲しいもんだな…と思いながら、心の底から喜んでくれているティコと初めての食事に向かう為、煙草を揉み消すと、まだソファで寛いでいるジェイに後を任せて、静かに事務所を後にした。






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