Eros act-2 07

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 普段通りの時間に目覚め、無意識にいつもと同じ手順を辿って仕事に向かう準備を進めていく。
 身体は何とか勝手に動いているけど、頭は別の事を考えている。昨夜の出来事を思い出すと、気のせいではなく、確実に眩暈がした。


 その元凶になった2人はどうせ朝まであれこれと騒いでいて、お昼過ぎた今になって、ようやく目覚めた頃なんだろうな…と、思わず溜息を吐いてしまう。
 ジェイと一稀があの事に関し、特に何とも思っていないであろう事は容易に想像がつくけど、だからと言って、コッチまで同じ考えになるとは限らないだろう?と恨みがましく考えてみる。
 よく似た2人でくっついたもんだな…と、ちょっと普通では想定し難い価値観で物事を判断している、彼等の日常を思い出して、手だけは休みなく動かしながら、また溜息を吐いた。


 仕事に行くのも何となく気が乗らないけど、こんな事は休む理由にもならない。
 あの2人が来ない日で良かった…と、しみじみと思いながら、とりあえず準備をして、普段より少し遅い時間に店に向かっていった。






 通用口の鍵を開けようとした所で、既にそれが開いている事に気付く。鍵を持っているのは自分やジェイの他には数人しかいないから、思わず腕を止めて考え込んだ。
 ジェイは顔を出さないと言っていたし、多分、違うと思う。
 他には拓実と翔に渡していたけど、自分が先に帰ってしまった時の閉店時に使うだけで、早めに出勤してきて店を開けてくれている事など滅多にない…と考えた所で、今日は自分自身が少し遅くなっていた事に気付いた。
 きっと待っていたものの、来る気配が無いから先に開けてくれたのかもしれない。拓実か翔が早出の日だったか…?と考えながら、店のなかにへと入って行った。




 事務所に入ると、既に制服に着替えた翔が、見慣れた雰囲気で煙草を燻らせながら雑誌を読んでいた。
 顔を上げて、ニヤリと頬を緩めてきた彼の姿に何となく不穏な雰囲気を感じつつ、普段通りに手荷物を机の上に放り出した。


「悪いな、少し遅くなった。開けてくれたのか?」
「もうほとんど終わった。俺が早く来過ぎたからかなぁと思ったんだけど。やっぱ、少し疲れたんですか?」
 含み笑いを堪えながら問いかけてきた翔の声に、思わず顔を顰めながら視線を向けた。
「……お前…、一稀から聞いたのか?」
「そう。協力者としては、やっぱ結果が気になるしさ。『成功してもしなくても、どっちにしてもメールくれ』って言っといたから」
「ちょっと待て。もしかして、一稀に頼まれて昨日のシフト変更を?」
「そうですよ。ジェイに『この日にしろ』って言われたけど、俺と拓実が同時に休みだから困ってる…って一稀に頼まれてさ。俺は別に用事もないし、それで裕真と変わったんだけど。アイツから聞いてないんですか?」
 逆に不思議そうに問いかけてきた翔に、深々と溜息を吐きながら頷いてやった。


「事情を聞くも何も…いきなり襲われた。『店に恋人候補がいる』とか『男を抱ける様になって貰わないと、俺も困る』とか、断片的に色々言ってはいたが、それも襲われている最中に聞いた話だ。何の事だか、さっぱり意味が分からない」
「あー…分かる気がする。一稀はいつも言葉が足りないんだよな。とりあえず襲うとか、すっげえアイツらしいや。じゃあ何でこうなったのか、よく分からないって感じなんですか?」
「そうだな。一体、何がどうなってるんだ?お前はもう少し、詳しい事情を聞いてるんだろう。一稀の気紛れにしては、少し手が込み過ぎている」
「まぁ、それなりには。でも、すぐに事情は分かりますよ。それに、俺も仲間が増えて嬉しいと思うし。店長だけノンケって、俺達もやっぱり寂しいからさ。結果的に良かったと思うな」
 呑気にそう話す翔の言葉を聞きながら、微妙に襲ってくる疲れを感じて椅子に座り込んでしまった。


 単なる一稀とジェイの気紛れかと思っていたのに、どうやら、もう少々込み入った事情があるらしい。それも確かに気になるけど、一夜にして翔にまで情報が伝わっている事の方が、かなり恐ろしい気がする。
 あの2人しか知らない事だから、今日一日、ゆっくりと色んな事を考えようと、そう自分に言い聞かせて出勤してきたのに、もしかして店の連中、全員に知れ渡っているんじゃないか…?と考えると、本当に頭を抱えたくなってきた。


 多分…じゃなく、絶対に、既に全員に知れ渡っていると思う。普段からお祭り騒ぎが好きな連中だし、『ノンケの店長を一稀が誘惑する』という、こんな面白くて笑える事件を、奴等が黙って見過ごす筈がなかった。
 どうやら知らなかったのは自分だけで、予想外に色んな準備を整えていた一稀の罠に、あっさりと嵌ってしまったらしい。
 普段は頼もしく感じている、彼等の強固な横の繋がりを若干恨めしく思いながら、既に開店準備を終わらせてくれている翔のお蔭で、特に何もする事もないまま、ぼんやりとデスクに向かって座り込んでいた。






 翔が雑誌を捲る音だけが響いている中、静かに開いたドアから現れた姿を、無言のまま目で追った。
 そのまま真っ直ぐに翔の前に座ったティコの様子に、何となくピンときてしまった。


 素直で気立ての良いティコは、普段は明るい口調で挨拶をしてくれて、事務所に来た時もソファに座る事なく、真っ先に珈琲を淹れてくれる。彼が此処に来て随分と経ったけど、それが崩れた事は一度もない。
 そう考えた瞬間、一稀が言っていた事の1つが理解出来た。
 分かり易いヤツだな…と苦笑混じりに思いながら、無言で俯き身を硬くしてソファに座っているティコの姿をジッと見詰めた。


「ティコ、珈琲」
 わざと素っ気なく言い放つと、ティコの身体が面白い位にビクリと震えた。
 慌てて隅にある小さなキッチンの方に走っていくティコの後姿を眺めつつ、ククッ…と笑い声を洩らした翔が、気を効かせているつもりなのか、静かに部屋の外にへと出て行った。




 ティコの淹れてくれる珈琲の良い香りに浸りながら、彼の普段の行動を、一つ一つ思い出して考えていく。
 いつも陽気で人当たりの良いティコは、店に入った時から人懐っこく話しかけてきていた。
 男にしておくには勿体ない位に、細かい所にまで気を回してくれるし、彼が出勤してきた日に、自分で珈琲を淹れた事はなかった。
 文句も言わずに雑用をこなしてくれたし、一稀が副店長としてこの店に入るまでは、事務所や更衣室の掃除などは、全部ティコが率先してやってくれていた。


 以前から仲が良かったらしい一稀が入店する事を伝えた時、嬉しそうな表情を浮かべて喜ぶ彼の姿を、本当に好ましく思っていた。
 陽気で優しく、人の世話を焼くのが好きなティコの様子を眺めながら、「コイツが女だったらな…」と、そう考えていた自分の気持ちも、彼の穏やかな笑顔と一緒に、不意に思い出してしまった。






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2008/12/28  yuuki yasuhara  All rights reserved.