Eros act-2 05

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 フラリと事務所に入って来た、見慣れた制服を着た翔の姿に、机に座って厨房関係の書類を確認していた中川は、思わずシフト表に手を伸ばした。


「翔、お前は休みだろう?どうしたんだ」
 出勤日を間違えたんじゃないか?…と思い、念の為に声をかけると、休憩スペースのソファに腰を下ろした彼は、煙草に火を点けながら口元を緩めた。
「ちょっと用事が出来たんで、裕真と変わって貰った。今日は拓実が休みだし、丁度良いかな?と思ってさ」
「そうか、それなら良い。間違えたんじゃないか?と思ってな。それで、あの2人は一緒に遊びに行ってるのか?」
「そうみたいですよ。まぁ、仲は良いんだろうな。拓実の本心は別にしても」
「確かに。まぁ、本人はそれで満足してる様だし、まだ友達で充分なんじゃないか?」
 ククッ…と楽しそうに笑う翔に同意しつつ、また仕事の続きに手を伸ばした。




 いわゆる職場恋愛的な物になるんだろうけど、ボーイ同士でくっついたり、頻繁に買いに来ていた客と恋仲になってしまったり…と、このクラブが出来て数年しか経ってないけど、そういう事は度々あった。
 経営者側の自分やジェイはさておき、勤めている皆にとって、長く続ける種類の仕事ではないと思っているし、同性愛者の彼等が本当の恋人を見つける困難さは、その立場じゃなくても理解出来る。
 だから恋人を作った彼等が店を辞める時は、快く送り出しているし、本当に良かったなと思っている。
 只、その話を聞いた時には、いつも自分1人だけが必ず驚いてしまう。


 同性を好きになる彼等は、友達が男で恋人も男になってしまうから、未だにその境目みたいな物がよく分からずにいる。男に惚れない自分からすれば、その違いが全く読めていないのかもしれない。
 休憩中に一緒に食事に出かけたりしているのを見て「アレは狙ってるのか?」と聞くと「友達だ」と言われるし、逆に、ぎゃあぎゃあと喧嘩ばかりしている奴等が突然「もうコイツ以外とはヤリたくないから引退する」と連れ立って言いにきて、椅子から落ちそうになる位に驚いたりする。
 ゲイの皆から見れば直ぐに分かるらしいけど、同性愛者ではない自分は、いつまで経ってもその区別がつかない。しょっちゅう連れ立って遊びに行く一稀とティコは本当に仲が良くて、一見「恋人同士か?」と思うけど、アレは違うと分かっているから、最近は、あの2人を基準にして判断する事にしている。
 それでも驚いてしまう事は多くて、皆から「鈍い」と馬鹿にされて、その度にムッとしながら言い返している。
 皆、アイツみたいに分かりやすくしてくれると助かるんだが…と、自分と同じく鈍いノンケの男を相手に、猿でも分かる露骨な求愛活動を繰り広げている拓実の姿を思い出していると、ソファに足を組んで座り、パラパラと雑誌を眺めていた翔が、ふと視線を向けてきた。




「店長、今日は早めに帰っても大丈夫っすよ。最後は俺がやるから」
 そう告げてきた翔の言葉に、時計を眺めて考えてみた。
「それは助かるな。拓実と翔が休みなら、今日はラストまでか…と思っていた所だ」
「あ、そういえばジェイも来ないんだって?一稀に聞いたんだけど。俺、6時になったら入るから、その後なら何時でもいいですよ」
「そうだな…。じゃあ、8時過ぎに上がらせて貰うとするか」
「了解。発注も残しといて良いから。俺がやるし」
 軽く口元を緩めながらそう話した翔は、また雑誌に視線を戻した。


 数ヵ月後に引退が決まっている翔は、この店を辞めたら風俗から手を引く場合が多い他の奴等と違って、「そのうち自分の店を持ちたい」と、面接時からそう話をしていた。
 ジェイにもその話を通していて、彼も「そういう素質がある様だし、そのうち二店舗に分散しても良いんじゃねぇか?」と話していた事もある。実際、かなりシッカリしたヤツだし、この店の色んな事にも精通していた。
 恋愛対象が「同性である」という事以外は、彼等は普通の男と全く変わりなく、一般の仕事的にも能力の高いヤツは多い。
 確かに、割りの良いバイト感覚で遊ぶ金を稼いでいる奴もいるけど、店の経営に興味を示す翔や、好きな細工物を作って自分の店を持ちたいと考えている拓実など、本当に「風俗店でのバイトには勿体無いな」と、他人事ながら考えてしまう様な奴も多い。


 常にそういう奴等が何人かいるから、彼等に任せて不定期だけど休日も取っているし、出勤を遅くしたり、早めに帰宅したりする事もある。特に頼まなくても新人にアレコレと教えてあげたり、自分達で適度に仕事を割り振ってみたり…と、今では細かい事は彼等が率先してやってくれていた。
 店舗運営に携わっているのは、事実上、店長である自分だけの年中無休のクラブではあるけど、比較的時間に余裕のある生活をしている方だと思う。
 これが一般の風俗店で女性の従業員ばかりだったら、やはり副店長など、他にも数名の管理職を置く必要があると思うし、もっと色んな事に気を使う必要があっただろう。
 そう考えると、随分と楽をさせて貰ってるな…と考えながら、出勤時間まで寛ぐ翔と2人で穏やかな雑談を楽しんでいた。






*****






 すっかり裏方の仕事が気に入ったらしく、「家に帰ってもジェイがいないから」と言って厨房を手伝っていた一稀を誘い、そのまま厨房従業員用の休憩室で夕食を取った。
 そのまま彼とマンションまで一緒に帰って、1つ上の階に住んでいる一稀より先にエレベーターを降りる。部屋に戻って何気なく時計を見ると、普段より随分と早い時間で、今日はゆっくり出来るな…と考えながら、とりあえず浴室に向かって行った。




 風呂から上がってのんびりとビールを飲んでいると、突然、インターホンが鳴り始めた。こんな時間に…?と思いつつ開けたドアの前に佇む姿に、思わず顔を顰めてしまった。


「どうした、何かあったのか?」
「ジェイがさ、『日付が変わってからじゃないと帰れない』って言うから。遊びにきた」
 子供っぽい無邪気な笑顔を浮かべ、ラフな部屋着姿で楽しそうに話す一稀の姿に、思わず溜息を吐いてしまう。
「お前、遊びに…って。ゲームでもやりながら待ってれば良いだろう?ほんの2〜3時間程度だし」
「もう飽きた。ティコは仕事だし、拓実は裕真んちに遊びに行ってるらしくてさ」
「だからといって、俺とお前で何をして遊ぶんだ?俺はゲームは出来ないぞ」
「中川さんは別に何にもしなくて良いから。あの部屋、ちょっと広いだろ?1人じゃ落ち着かないんだよな」
 やたらと上機嫌ではあるものの、何を言っても帰りそうにない一稀の様子に、諦めてドアを広く開けてやった。
「仕方ない。1時間だけだ。その後は、自分の部屋で大人しくジェイを待ってろ」
「ん、分かった。ありがと!」


 嬉しそうに脇をすり抜け、家の中に入ってきた一稀が通り過ぎた瞬間、ふわりと風呂上りの柔らかな香が漂ってくる。若い女性に似た色香を一瞬その姿に感じた後、直ぐに我に返ってガシガシと髪をかき乱した。
 まだ男臭さのない年頃とはいえ、一稀は紛れもない男で、しかもゲイである親友の恋人でもある。
 これが一稀と同じ歳の女の子だったら、無理矢理にでも家に追い返す所なんだけどな…と思いつつ、まだ少々の子供っぽさを残す、中性的な一稀の後姿を眺めながら静かに玄関のドアを閉めた。






「一稀、何か飲むか?」
 冷蔵庫を開けつつ、飲みかけの缶ビールが置いてあるリビングのソファに勝手に座り、物珍しそうにキョロキョロと室内を眺めている一稀に問いかけると、彼は目の前にある缶を見詰めて顔を顰めた。
「ビールは嫌だな…。俺、甘いのがいい」
「オレンジジュースがある。コレにするか」
「え、お酒がいいな。チューハイとかねぇの?」
「贅沢を言うな。お前、本当は未成年だろう。甘いのが良いんなら大人しくジュースにしておけ」
 少々不満そうな一稀にコップに注いだオレンジジュースを渡すと、とりあえず素直に受け取ってくれた。


 他にも1人掛けのソファが置いてあるのに、当然の様に一番大きなソファのド真ん中に座っている一稀を端に追いやって元々自分がいた場所に座りながら、美味しそうにジュースを飲んでる姿に視線を向けた。
「……お前、向こうのソファに座れば良いだろう?わざわざココに座らなくても」
「だって、コッチの方が広いしさ。邪魔?」
「いや、別に。好きなトコに座ってろ」
 キョトンと不思議そうな表情を浮かべて、逆に問いかけてきた一稀に答え、まだ飲みかけだったビールを軽く煽った。
 座る場所などいくらでもあるのに、何で隣に座るんだ…?と疑問に思ったけど、普段の一稀とティコの様子を思い出して、彼にとって、これは普通の事なのかもしれないと思い当たった。


 他のヤツと話す時は、一稀も向かい合わせで座ったりしているけど、ティコといる時は別で、2人だけの時でも狭いソファにくっついて座り、何やら楽しそうに話をしている。
 恋人同士でもないのに、ベタベタとスキンシップも旺盛な2人の姿を不思議に思っていたけど、休日に買い物に出た時、一稀と同じ年頃の女の子達の姿を見て、妙に納得してしまった。
 その辺りを歩いてる女子高生達も、特に同性愛者ではなくても、手を繋いで歩いてみたり、やたらとペタペタと体に触れ合って話をしている。彼女達と同じく、男に抱かれるのが当然な彼等にとっては、それと同じ感覚なのかもしれない。
 何だか不思議な感覚だな…と、その態度を思い返しながら、またグビッとビールを飲んだ。


 それにしても、随分と歳が離れていて「ビールは苦いから嫌い」と言い出す位に若い一稀を相手に、2人きりで部屋にいて何を話したら良いのか、全く話のネタが思い浮かんでこない。
 一緒に店に出勤したり、事務所で2人だけの時に話をする時もあるけど、それは半ば仕事絡みの事だし、会話の内容も店の連中の話だったりと、仕事の話が大半を占めている。
 それがプライベートな空間で…となると、ココで仕事の話をするのも堅苦しいし、かといって、8歳も年下の一稀が何に興味を持っているのか、それすらも見当がつかない。
 ……ジェイは普段、コイツと何を話してるんだ?…と疑問に思いながら、一言も会話を交わしてないのに、やたらと上機嫌でジュースを飲んでる一稀を隣に座らせたまま、普段より少々早いペースでビールを煽っていった。






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2008/12/19  yuuki yasuhara  All rights reserved.