Eros act-2 20

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 傷が癒えるまでの間、次々と見舞いに来てくれる親族に、心の底から謝罪の言葉を口にした。
 日本に行ってしまう事を、皆、寂しがっていたけど「いつでも遊びに戻ってくるといい」と、そうかけてくれる言葉を、本当に嬉しく感じていた。


 退院が決まると同時に、此処に残る皆に別れを告げ、父と一緒に日本に向う事になった。
 空港まで見送りに来てくれた母とカフェで寛ぎながら、「何で、俺の父親は日本人だ、って今まで教えてくれなかったんだ?」と不満を洩らすと、悪戯が成功した子供の様な笑顔を浮かべた母は「貴方の事を『J』と呼んでたでしょう」と、楽しそうに答えてくれた。
 今まで『ジェイ』と呼ばれる事に、何の感慨も持ってなかったけど、その一言で自分の通称が大好きになった。
 どんなに忙しくても年に一度は会いに戻ってくるから……と、母に強い約束を残して、まだあまり言葉を交わしていない父に連れられ、自分と同じイニシャルを持つ国にへと、旅立って行った。




 日本に向う飛行機の中で、隣の席に座っている父が色んな事を教えてくれた。
 自分は息子がいた事を、本当に嬉しく思っている。だからジェイを日本に連れて帰りたいと思った。でも、周囲はそう思っていないだろうから、少し居心地が悪いかもしれない……そんな事を、包み隠さず淡々と教えてくれる父の言葉に頷きながら、そんな自分自身に少しだけ驚いてしまった。
 父と話した事なんて数える程しか無かったし、それ以前に、つい最近、父の顔を知ったばかりだと言うのに、彼の言う事を素直に受け入れ、それに何の疑問も持たずにいる。
 母親の親族である伯父達みたいに、優しい言葉をかけてくれる事はないけど、父と話すのは自分にとっても自然な雰囲気で、もう何年も話をしていたみたいに、すらすらと自分の気持ちも話せてしまう。
 素っ気ない位に単刀直入な言葉で、色々と話しかけてくれる父と俺は、案外、性格が似ているのかもしれない。
 少々面倒な所があるらしい、日本にいる自分の家族の事を、しかめっ面で説明してくれる父と話を続けながら、少なくとも、父とは仲良くやっていけそうだな……と、そんな事を感じていた。


 日本で待ち受けていた生活は、父が教えてくれていた通りに、少々厄介な事ばかりだった。
 全く日本語は理解出来ないけど、とりあえず、自分があまり歓迎されていない事だけは雰囲気で感じ取れる。それは何とか我慢出来たものの、その生活システムの違いに本気で驚き、かなり戸惑ってしまった。
 数週間ほどは大騒ぎになり、あちこち連れ回された後、ようやく、俺と父とは血の繋がった親子だと、周囲も認めるしかない結果になったらしい。
 日本での名前が決まった後も、只一人『ジェイ』と呼び続けてくれる父だけが味方な生活の中、話し相手にも事欠く屋敷の一部屋に閉じ篭って、ひたすら本ばかりを読んでいた。


 確かに、スラムに入り浸っていた頃と比べると、随分とマシな生活を送っていると思う。
 でも、祖母が読んでくれた絵本に書かれていた『毎日がパーティ』みたいな生活は、本当に楽しそうだったのに、此処で続く生活は、見た目は同じなのかもしれないけど全然楽しくなかった。
 何となく日本語を覚える気にもならず、父の書斎に入り込んで、読めそうな本を片っ端から読み漁って暇を潰していた頃、父に連れられて一件の家を訪ねた。


 案内された家は普通の一軒家で、今、父と暮らしている大きな屋敷より、随分と居心地が良い。
 こういう家なら良かったのにな……と思いながら、キョロキョロと部屋の中を眺めていると、自分より少し年上かなと思える位の少年が、部屋の中に入ってきた。
 隣に座っている父が「歳も近いし、話しやすいだろう。彼と友達になるといい」と言ってくれたけど、でも、いきなり言われても困ってしまう。
 まだ会話になりそうな日本語は覚えてないんだけど……と、口を開くのにも戸惑っていると、向かいに座っていた少年が、突然、流暢な英語で話しかけてくれた。
 それに本当に驚きながら答えを返すと、どうやら自分の英語が通じる事に安心したらしい彼は、少し頬を緩めながら「俺は中川って名前だ」と、自己紹介してくれた。
 日本に来て初めて、父以外に沢山の話が出来そうなヤツが現れ、本当に嬉しくなった。
 ホッとした面持ちの父親達が見守る中、久しぶりに歳の近い相手との会話に胸を弾ませながら、時を忘れて色んな事を話し続けていた。




 学校が終わって屋敷に戻ると、そのまま中川の家に向かう様になった。
 中川から少しずつ日本語を教えて貰う代わりに、彼の練習に付き合って色んな格闘技も覚えて、その練習相手になってやった。
 自分達と同じ位の歳から友人同士である互いの父は、今は『代表取締役』と『身辺護衛』に表向きの立場を変えて、その関係を続けている。
 警察や要人の身辺警護、色んな格闘技の師範代……と、中川の近親者は何故だかそういう仕事を選んでいる人が多く、彼がやけに流暢な英語を話していたのも、そのうち海外の訓練校にでも入学しようと思って、彼なりに独学で勉強していた結果だったらしい。
 中川の方から見ても、生の英語を話し、スラム仕込の荒っぽい『格闘技』が身体に染み付いている俺は、とても興味深い友人になったんだと思う。
 「やっぱり本場仕込は迫力が違うな」と、楽しそうに技を仕掛けてくる中川の練習相手をしながら、祖母を亡くして以来の、充実した日々を感じていた――――






「そうなんだ……じゃあ、今はジェイが家を出たから、お父さんは一人で残ってるんだ?」
 懐かしそうに昔の出来事を話してくれるジェイに問いかけると、彼は頬を緩めたまま頷いた。
「そうだな。親父もああいう性格だから、内心ではかなり嫌がってるらしいが、あの場を飛び出して一人で生きて行くには、ほんの少し病弱な体質に産まれてしまった。色んな能力は人並以上にあると思うが、身体面での無理がきかない。『俺もお前みたいに頑丈なヤツに産まれたかった』と、何度も愚痴をこぼされたからな」
「やっぱり嫌がってるんだな。何かそんな事も少し言ってたし、話しててもそんな気がしたんだ。奥さんの事も『本妻』とかって呼んでたしさ。他の人は『嫁』とか『家内』って言うから、何か変だな……って」
 ジェイの父と話をした時、ほんの少し感じた違和感を思い出しながら呟くと、ジェイは楽しそうにククッと笑った。


「それは当て付けで呼んでたのが、もう口癖になってるんだろうな。俺が最初に親父と会った頃は、確か『家内』とかって呼んでた筈だ。俺があの屋敷で暮らす様になった時、『妾の子だ』と陰口を叩かれていた。それを聞いた親父が『ジェイの母が妾なら、あの女は『本妻』ってヤツか?』と、かなり怒っていたからな。おかげで俺も、そういう日本語は早々と覚えてしまったが、今の日本ではあまり使われない言葉らしいな」
「へぇ……ジェイのお父さんは、奥さんと仲が悪いの?」
「それ以前に、何も感じてないのかもしれない。いわゆる政略結婚と呼ばれる関係だそうだ。恋愛関係を経て、夫婦になった訳じゃない。一緒に暮らしていて、もちろん妻として扱っているが、そういう意味での愛情は持っていないんだろうな」
「……じゃあ、お父さんは、ジェイのお母さんの事が好きなのかな?」
 そう問いかけてみると、彼は楽しそうに口元を緩めた。
「さぁな。聞いた事はないし、それを確認した所で、どうにかなる訳でもない。只、親父は自分の立場が悪くなるのを分かっているのに、俺を日本に連れ帰ってくれたし、母の仕事を奪う事もなかった。俺は、それが親父の答えだと思っている。俺も来た当初は色々と大変だったが、どう考えても、親父の方が厳しい立場だったろうからな」
 ちょっと嬉しそうに話すジェイの様子に、聞いてるだけのコッチまで何だか嬉しくなってくる。
 ジェイの昔の話は想像以上に大変だった様だけど、今は色んな事が上手く行ってるんだな……と思うと、自分の事みたいに嬉しく感じた。


「中川さんの話もビックリだな。周りはそういう仕事に就いてる、ってのは聞いてたけど、中川さんもそこまで練習とかしてたのは全然聞いてなかったから」
「今の仕事とは無関係だからな。何かのきっかけでも無ければ、アイツも話す事はないだろう。大学を中退して、一年程だが、アイツは本当にアメリカの警察学校に入学していた。まぁ、そのまま警官になる気はなくて、単なる武者修行程度のつもりだったらしいがな」
「え、マジで!? 凄いな……じゃあ、中川さんって、かなり喧嘩とかも強いんだ……」
「今じゃ、俺も敵わないだろうな。俺の話を聞いていたから、実際にスラムにも行ってみたらしい。『あんなゴミ箱みたいな所で、よく何年も生活出来たな』と呆れていた。戻って来た所を捕まえて、一緒に店を出そうと持ちかけた。最終的には一緒にやる事になったが、自分でも『何しに警察学校に行ったんだか……』とボヤいていたな」
 楽しそうに教えてくれるジェイの言葉を聞きながら、思わず溜息を吐いてしまった。


「……皆、凄いな。ジェイだって、仕事を始める前からお小遣いとか貰わなくて、自分でお金を稼いでたんだろ?」
「何だ、そんな話まで聞いたのか。親父に株を教えて貰う前から、若干の下地はあった。日本に来て直ぐの頃、暇潰しに親父の持ってる洋書を色々と読み漁っていたからな。親父が所有している本だから、その類の物が多かった。それで覚えていた事と、実際に教えて貰った事とを組み合わせて、俺なりのパターンを考えただけだ」
「でも、普通はそんなに簡単に分かる事じゃないと思うし……やっぱり、ジェイは頭が良いんだと思う」
「そんな事ねぇよ。ゲームと同じだと言っただろう。一稀が俺にレースゲームを教える時に、色んな駆け引きを教えてくれたじゃねぇか」
「……えっと、ワザと少し後を走っといて、最後に抜かす……とか?」
「それと同じだ。株取引もそういう色んな駆け引きがある。全体の流れを見て、どの手段を用いるのか考えるのも、お前がやってるゲームと同じだ。実際に金として残るから少々驚くだけだろう。大して違いはねぇよ」
 ベッドの上に座り込み、頬に軽くキスを落としながらそう話すジェイの腕に抱かれたまま、少々納得しないけど頷いてみた。




 何にも分からずに日本に来たジェイは、こうして普通に言葉を話せる様になり、仕事も沢山やっている。今は店長をやってる中川だって、独学で英語を覚えたり、警察学校に行ったりと、何だか凄い事をやっていた。
 そう考え始めると、やっぱり、俺は何にも出来てないって、少しだけ情けなくなってしまう。
 退院したら、俺も色々と頑張ってみようかな……と、入院中の暇な時間に考え始めた今後の事を、ジェイの腕に抱かれて一緒にテレビを眺めながら、漠然と考え続けていた。






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