Eros act-2 18

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 出来る限り仕事を抑えてくれていたジェイも、少しずつ、以前のペースで出かける様になってきた。
 「お昼過ぎには戻ってくる」と言って仕事に出かけたジェイを見送り、背もたれにしてくれたベッドに座って雑誌を読んでいると、軽くドアを叩く音が聞こえた。
 朝食も終わったし、看護師さんも見回りに来てくれたばかりだから、きっと違うと思う。
 誰かお見舞いに来てくれたのかな? と思いながら答えると、静かにドアが開いて男の人が二人入ってきた。
 その片方がパジャマ姿なのに気付き、彼が一体誰なのか、聞かなくても分かった。
 少し緊張しながらその姿を見詰めていると、ベッドの脇に置いてあった椅子に腰掛けてきたパジャマ姿の男性が、穏やかな微笑を浮かべた。




「君が一稀だな。俺が誰だか分かるか?」
「多分。ジェイのお父さん……」
「そうだ。話は聞いていたが、俺が思ってたより酷いな。もう痛みは治まったのか?」
 話しかけてきたジェイの父に右腕を取られ、そっと長袖のパジャマを捲られた。
 肘下にも幾つか残っている内出血の痕に顔を顰める様子が、何となくジェイに似てる気がして、ちょっとだけ安心しながら頷き返した。
「普通に座ったりとかなら平気。もう痛くない。でも、アザが凄いから」
「今が一番酷い頃かもしれないな。だが、この程度で済んで良かった。変に腹を殴られでもしたら、もっと大変だっただろう。少なくとも、腕の骨折が治るまでは此処に入院してるといい。院内にも色々な施設があるから退屈はしないと思う」
「ありがとう……あの、もう一人の方は?」
「中川だ。お前も知ってるだろう。店長の親父だ」
「あ、こんにちは。挨拶が遅れたけど、よろしくお願いします……」
 何か言わなきゃとは思うけど、何て言えば良いのか、緊張し過ぎて全然頭に浮かんでこない。
 ちょっと違う気がするな……と自分でも思いながら頭を下げると、ジェイの父が楽しそうに笑い出した。


「そんなに硬くなるな。普通に話してくれればいい。二人から、いつも話だけは聞いている。近いうちに顔を見に行こうと思っていたが、その前に入院してしまったからな。具合の悪い時に押し掛けて済まない」
「あ、それは全然。俺の方が、もっと早く行けば良かったのかも……」
「いや、一稀が来ても落ち着く場所じゃない。それは気にするな。ジェイも勧めないだろう。アイツからは、何て聞いてるんだ?」
「お父さんの話は結構聞いてる。昼間の仕事は、お父さんから引き継いだとか、そういうのは。他の家族の事は全然聞いてないし、最初から詳しく聞いた事は無いかも。断片的に聞いてる感じ。最初はアメリカに住んでて、途中から日本に来た。その頃から中川さんと友達だ……って」
「なるほど。まぁ、いちいち生い立ちを話す機会など無いだろうしな。ジェイも、家族の事なら中川家についての方が詳しいだろうな」


 そう言いながら後を振り返ったジェイの父につられて視線を向けると、部屋の隅に寄せている簡易ベッドに腰を下ろしている中川の父が、苦笑しながら頷いた。


「確かに。ほとんどウチの息子状態だったな。まぁ、ジェイが嫌がる気持ちも分かる。あの家は居心地が悪かったんだろうな」
「当然だ。俺は今でも窮屈に思っている。入院している方が気楽だ」
 そう軽口をたたく二人の父親達の姿を、ちょっと驚きながら無言で眺める。ジェイの家って、一体どんなのなんだろう? と考え込んでいると、ジェイの父が振り返ってきて微笑んでくれた。


「ジェイが向こうに住んでいた子供時代の事は、俺も詳しくは知らない。その辺りは、ジェイから直接聞くしかないな。一稀も何となく気付いてるだろうが、ジェイは正妻の子ではない。ジェイも知らなかった様だが、俺もジェイに会う直前まで、自分に隠し子がいたなんて知らずにいた」
「……え? じゃあ、ジェイのお母さんが隠してた……って事?」
「隠してた、と言うより、俺に告げる必要が無かったんだろうな。ジェイの母親は、俺が向こうで仕事をする時、秘書的にサポートをしてくれる人物だ。仕事も人並以上に出来る、本当に有能な人だ。金銭的な面だけで考えれば、子供を一人育てる位、何の問題も無いだろう。ジェイを出産する時にも、その時に受け持っていた全ての仕事を片付け、突然『子供を産んでくるから1年間休暇が欲しい』って、そんな感じだ」
「じゃあ、ジェイが産まれた時、お父さんはアメリカに?」
「いや。彼女がそう言い出した時には、日本に戻ってきていた。だから、それも後日聞いた話だ。共に仕事をしている時は互いのスケジュールを知っているが、離れてしまえば個人の動向を知る事は無い。次に向こうに行った時に、彼女が子供を産んだ事を聞いたが、特に何も言われなかったからな。それが自分の子だとは思ってなかった」


 何だか意外な話ばかりが続いて、ちょっと考え込んでしまった。
 中川から少しだけ話を聞いた時も、ジェイも自分と同じで、お父さんを知らずに育ったんだな……位の認識しかなかったから、彼の父もジェイの事を知らなかったと聞かされ、少しだけ混乱してくる。そのまま無言で考えていると、ジェイの父が腕を伸ばしてきて、足元の布団をかけ直してくれた。


「母親がそんな感じだから、普段のジェイは祖母が面倒を見ていたそうだ。祖母がもう少し長生きをしていれば、ジェイもあのまま何も知らずに、今でもアメリカで暮らしていたと思う。祖母が亡くなった後、彼は俗に言う『スラム街』ってトコに入り浸っていたらしいな。一人になって寂しかったのもあるだろうし、ジェイもまだ子供だったから、単なる好奇心で体験してしまった、そういうスリルを面白く感じてしまったんだろう。いくら言い聞かせてもスラムに行くのを止めないジェイに困り果てた母親が、そこでようやく俺にジェイの事を知らせてくれた。俺がジェイを迎えに行った時、彼はスラムのド真ん中で出血多量で死にかけている所を発見され、病院に担ぎ込まれた直後だった」
「あ……背中の、…」
「その傷だ。あと一歩遅かったら、ジェイは死んでいたらしい。俺が病室に行った時も、まだ意識が朦朧としている様子だった。日本に行かせるのに迷っていた母も、その姿を見て、彼を手放す決心を固めたそうだ。このまま自分の手元にジェイを残しておいても、傷が癒えたら、また……と考えたんだろうな」
「じゃあ、ジェイとお母さんは、その時に別れたんだ……」
「そういう事になるな。だが、互いに連絡は取っている様だ。何年かに一度は、ジェイも向こうに顔を出している。次に行く時は、一稀も連れて行くつもりだろう。一緒に行って来ると良い」
「ありがとう、そうする。俺もジェイのお母さんに会ってみたいし」
 そう素直に頷いて、サイドテーブルに置いていた紅茶を一口飲んだ。


 痕が残る程の怪我をした事ないから、それを見ただけじゃよく分からないし、ジェイも「ガキの喧嘩だ」としか教えてくれなかったから、そんな大怪我だったとは思ってなかった。
 話を聞いて考えてみただけで、ちょっと落ち着かなくなってくる。何だか喉がやたらと渇いてきて、また紅茶を一口飲んだら、ジェイの父が優しく頭を撫でてくれた。


「悪い、少し怖がらせてしまったか。怪我をしたばかりの一稀に、詳しく聞かせる話じゃなかったな。ジェイから聞いてると思うが、この病院はセキュリティが厳しい。妙なヤツは入ってこないから大丈夫だ」
 そう言って笑いかけてくる姿が、何となくジェイに似てると思う。ホントにジェイのお父さんなんだな……と実感しながら、素直に微笑んで頷いた。
「もう大丈夫。初対面の時は、ジェイもお父さんも、どっちも驚いた感じなんだ」
「そうだな。ジェイは何が何だか、よく分からない様子だったな。ジェイの傷が治ってから、彼を日本に連れて来た。本妻との間には、娘しかいないんだ。だから息子がいた事を嬉しく思ったし、ジェイの事は一目で気に入ってしまったからな」
「え、怪我して病院にいたジェイを?」
「まぁな。後で聞いたら、ほとんど意識が無かったらしいが、それでも、ジェイは物凄い目をして睨みつけてきていた。あの状態でそんな顔をするジェイを頼もしく思ったし、これなら日本に連れて行っても大丈夫だろうと感じた」
「……睨まれたのに、気に入ったんだ……」
「俺の家系は、少し特殊な環境だからな。旧財閥系……って分かるか?」


 そういきなり問いかけられて、何となく聞き覚えのある記憶を必死に辿った。


「うーん、何となく。昔から偉いトコの人達? 学校で習った気がする」
「大体合ってる。そんな所だ。とにかく色々と面倒で堅苦しい。そんな所に連れ込む訳だから、並の精神力のヤツじゃ潰されてしまう。だからジェイの様子を見て、コイツなら大丈夫だろうと、そう思った」
「そうなんだ……やっぱ、虐められるとか?」
「そんな生易しいモンじゃないだろうな。実際、ジェイもかなり困惑していた。だからジェイと歳の近い中川の息子に引き合わせ、話し相手になって貰った。彼の息子は英語が得意だったし、随分と助けて貰った」
「それで、さっき『中川家の息子状態だった』って、言ってたんだ」
 納得して呟くと、ジェイの父も頷いてくれた。


「ジェイも居心地が悪かったんだろうな。長い間、本家には馴染めずにいた。最初に周囲の態度が変わってきたのは、ジェイが此処に来て二年が過ぎた辺りだな。彼は小遣いを貰うのを嫌がっていた。性格的に『貰っている』って雰囲気が嫌なんだろう。それで環境を整え、株取引を教えた。名目的に『その資金』という事にすれば、ジェイの気分も和らぐだろうと考えたんだ。そうしたらジェイは本当に取引を始め、あっと言う間に億単位の金を稼ぎ出してしまった。まさか本当に手を出すとは思ってなかったから、簡単なノウハウを教えただけなんだが」
「え……直ぐに?」
「あぁ。その辺りは母親の血を受け継いでるんだろうな。ジェイはそういう勘が桁違いに優れている。良い意味で博才があるんだと思う。あの日以降、ジェイに金を渡した事はない。全て自分自身で稼いでいるんだ。それで周囲のジェイに対する態度も変わってきた。反応は半々だな。彼の能力を素直に受け入れた者もいるし、逆に、ジェイの存在に危機感を募らせた者もいる。俺はますます、ジェイに夢中になったな。彼に色んな事を教え込み、ビジネスの世界に引っ張り込んだ」
「少し聞いた事ある。今でも、何か俺には全然分からない本とか読んでるし」
「普通のヤツなら、大体そんな感じだろうな。ジェイはアレを『面白い』と、随分と気に入ってくれた。自分でも興味を持ったから余計に覚えるのも早い。ジェイに向いてる仕事だろう。もう一つ転機があったとすれば、ジェイが『自分は同性愛者だ』って、カミングアウトした時だろうな」


 サラリと告げられた言葉に、一瞬、返事に困ってしまう。どんな顔をしたら良いのかも分からず黙り込んでいると、ジェイの父は口元を緩めて笑ってくれた。


「心配するな。今はもう、受け入れている。初めて聞いた時は本当に驚いたし、狼狽してこの病院の院長に相談した。その時『治せる類の事ではないし、治す必要もない』と言われた。それで吹っ切れた感じだな。それもジェイの個性だと、今ではそう思っている」
「……ありがとう。俺が言うのも変だけど、でもすごく嬉しい」
「やはり、色々と大変らしいな。だが、ジェイに限って言えば、それが良い方向に動いた。彼が子供を残す可能性が無くなったからな。俺の血族からすれば、ジェイは突然やってきた異端児だ。彼が深く入り込んでくるのを不快に思っていたし、ジェイの金を稼ぎ出す才能を疎んじていた様だが、それはジェイ個人だけに限られる事になった」
「ジェイに子供が出来る可能性がないから、それで終わり……って事?」
「そうだ。いくらジェイが巨大な力を得ようと、それは彼一代のみで、血筋を荒らされる可能性は無いと判断した様だ。皮肉な結果だが、ジェイが同性愛者で良かったと思う。今は周囲の風当たりも随分と弱まってきた」


 穏やかな声色で話を続けるジェイの父親の顔を見詰めながら、何て言葉を返せば良いのか、まだ頭に浮かんでこない。でも、ジェイも大変だったんだな……って事だけは分かった。
 亡くなった祖母の話を聞いた事はあるけど、ジェイが日本に来てからの詳しい事情を、あまり話してくれなかった理由が少しだけ理解出来た。


「……今は何とか上手く行ってる……って思えば良い?」
「そうだな。表向きは、だ。まぁ、無理して合わせる必要はない。ジェイは四面楚歌でも平気で生きていける人間だからな。俺はジェイがやっている様に、金なんてモンは自分で稼ぎ出すモノだと思っているが、そう思ってない奴等ばかりだ。選ばれた一族が代々受け継いで行く物で、そこに産まれた自分達が恩恵を受けるのは当然だと思ってるらしいな。愚劣極まりない話だと思うが、どうやら奴等は真剣に、そんな風に考えている様だ」
 ムスッと顔を顰めて腕を組み、忌々しそうに語るジェイの父の姿に、逆に思わず頬が緩んでしまう。
 中川からも「ジェイに似た性格の人だ」って聞いてたけど、それで想像していた以上に面白い人だな……って、ジェイの父に好感を持った。


 大きな会社の社長だ、って聞いていたから、もっと気難しくて硬い人なのかなって考えてたけど、全然違った。
 きっとコッチに合わせてくれてるんだろうけど、普通の言葉で分かりやすく話してくれて、それを本当に嬉しく思った。




「そろそろ時間だ。病室に戻ろう」
 簡易ベッドに腰掛けたまま、無言で見守っていた中川の父からそう声をかけられ、ジェイの父は、彼の方に振り返って頷いた。
 また此方を向いてきたジェイの父は、楽しそうに頬を緩めて腕を伸ばし、くしゃくしゃと頭を撫でてきた。


「時が経つのは早いな。ジェイが戻ってきたら、夕食を一緒に取りたいと言っていた……と、そう伝えておいてくれ」
「はい。お昼過ぎには戻ってくる、って言ってたから。大丈夫だと思う」
「そうか。明日までは此処に入院している。また少し時間を空けて話をしよう。今回は、俺ばかり話してしまったからな」
「あ、それは全然……俺なんて、あんまり話す事もないし」
「それでも色々と聞いておきたい。ジェイが恋人を作るとしたら男だけど、きっと嫁を貰う感じなんだろうと思っていたが。やはり違うな。息子がもう一人増えて、二人になった様な気がする。ジェイに辛い思いをさせてしまったけど、彼を日本に連れきて息子として受け入れた事を、今でも後悔はしていない。アイツをあのままアメリカに置いてたら、今頃きっと、希代の賭博師にでもなっていただろうからな」
 軽い口調でそう告げ、ククッとジェイに似た含み笑いを残して去って行く後姿を、笑顔を浮かべて見送った。


 並んで去って行く姿がジェイと中川の雰囲気にそっくりで、それが本当に面白い。やっぱり親子って似てるんだな……と思っていると、ふと、その存在を知らない自分の父親の姿が、頭の中を過ぎって行った。


 顔はあまり似てないけど、ジェイと父親の雰囲気は本当によく似てると思う。ジェイが歳を取ったら、あんな風になるのかなぁ? って想像したら、何だか楽しくなってきた。
 本当の父親に会うつもりは無いけど、ジェイのお父さんに「息子がもう一人、増えたみたいだ」って言われた瞬間は、心の底から嬉しく思った。よく考えたら「おじさん」とでも呼べば良かったのに、自然と「お父さん」って言い続けていた自分も、きっと同じ気持ちだった。


 大好きなジェイの父親の事も、彼と同じ位、好きになった。
 夕食の時はもっと親しく、「父さん」って呼んでみようかな? と考えながら、端に除けていた雑誌を手に取り、ジェイが戻ってくるまでの時間を、一人で静かに過ごしていた。






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