Eros act-2 13

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 半分夢見心地のまま寝返りを打とうとした瞬間、身体中のあちこちに痛みを感じて「いてっ!」と叫びながら一気に目覚めた。
 反射的に起き上がろうとしたのに、それさえも儘ならない。何が何だか分からなくて、ちょっとパニックになりつつ目を開けたら、心配そうな顔をしたジェイが上から覗き込んでいた。


「おい、大丈夫か? 医者を呼ぶか?」
「……あ、平気……何か色々忘れてた。俺、怪我したんだよな。普通に起きようとしてた……」
「なるほど。それなら大丈夫だな。それだけぐっすりと眠れてた、って事だろう」
 安心した様子で口元を緩めたジェイが、頬に軽くキスしてくれた。身を戻した彼が消え、代わりに目に飛び込んできた見慣れない天井を眺めながら、ようやく昨夜の事を思い出した。




 ジェイが駆けつけてくれて、彼の腕に抱かれた事までは覚えている。ちょっと会話を交わした記憶はあるけど、その後は覚えてないから、多分、気を失ってしまったんだろう。
 ジッとしてる分には大丈夫だけど、少しでも動こうとすると、身体中の至る所が痛んでくる。
 随分とやられたんだな……と、うんざりしながら、隣に置かれた簡易ベッドの上に座っているジェイの方に、何とか頭を少し動かして視線を向けた。


「……ジェイ、ホントにごめん。こんなに怪我するとは思ってなかった……」
「いや、お前は悪くねぇよ。俺も予想してなかったからな。俺が謝るべきだろう。ボディガードでも雇えば良かったな」
 冗談めかした穏やかな口調で呟き、優しく手を握ってくれるジェイの仕草に、ふと、昨夜の事を思い出した。


 完全に目が覚めた訳じゃなく時々ぼんやりと目覚めた時には、いつも身体の何処かに温もりを感じた。それでまた安心して眠ったけど、いつもジェイに抱かれて眠っているから、それを不思議に思ってなかった。
 もしかして、彼がずっと手を握ってくれてたのかな……? と、そう気付いてちょっと嬉しくなってくる。
 心配かけた上に不謹慎だと思うけど、やっぱり、ジェイがずっと傍にいてくれたから、安心して寝れたんだと思う。
 穏やかな微笑を浮かべ、右手を握り締めたまま、反対の手で優しく頭を撫でてくれるジェイの横顔を見詰めながら、彼の為にも早く治らなきゃと、少しだけ元気が出てきた。




「……俺、結構酷い怪我なのかな?」
 殴られた時に内側を歯で切ってしまったらしく、しゃべる度に疼く頬の痛みを我慢しながら問いかけると、ジェイは微かに口元を緩めた。
「いや、そう酷くはねぇよ。左腕は折れている。他は打撲らしいな。打撲の方は数日もすれば、痛みも治まってくるだろう」
「そっか、やっぱ折れてるんだ……でも、もっと酷いのかと思った。ココ、個室だよな?」
 あんまり病院とかには行った事ないけど、普通の病気の人は大部屋に入って、すごくお金持ちの人や、ずっと付き添いが必要な重傷の人が個室を使うんだよな……位の事は、何となく分かっている。
 左頬を覆うガーゼで左目が半分隠れているし、あまり顔を動かせないから見え難いけど、視界の四方に壁があるこの病室はすごく静かだし、どう考えてもジェイの気配しか感じない。
 せめて、もう少し頭が動けばなぁと思いつつ、必死に病室の様子を眺めようと努力してると、ジェイが楽しそうに笑い出した。


「もう少しの間は大人しくしてろ。後でベッドを起こしてやる」
「ん、ありがと。やっぱり大部屋じゃないんだ?」
「この病院には大部屋はねぇよ。全て個室だ。普通の病院とは少し違うからな。一般外来がなくて、そうだな……決まったヤツしか利用しない、とでも思えば良いだろう」
「そうなんだ? 俺、何でそんな所に運ばれてんの?」
「俺の親父が利用している病院だ。あまり身体が丈夫な性質じゃないから頻繁に入院している。まぁ、親父の場合、休暇も兼ねて……だろうがな。その絡みで、此処に来る事が多い。あまり病院らしくなくて良いだろう?」
「うん、そう思う。すっげぇ静かだよな」
 わりと上機嫌で教えてくれたジェイに頷き、また病室の中を見える範囲だけ、ゆっくりと観察した。




 起き上がってないから左側の足元の方はハッキリ見えないけど、個室にしても結構広めな方だと思う。
 ジェイが座っている簡易ベッドを並べても、まだ壁の方に余裕があるし、足元にある大きな窓から陽の光がチラリと見えて、何となく景色が良さそうな気がする。
 早く起き上がりたいな……とか漠然と考えていると、軽くドアを叩く音がして、看護師が点滴の道具を持って入ってきた。


「あら、案外元気そうね。痛くて騒いでるんじゃないかと思ったのに」
「うーん……痛いけど、この位なら我慢できる」
「我慢強いのね。若いから治りも早いだろうし、直ぐに良くなるわよ。ところでジェイ、邪魔だから退かすわよ」
 ジェイが並べて置いているベッドの向こう側から、そう話しかけてきた看護師の方を振り返って、彼は不服そうに顔を顰めた。
「あぁ? 点滴なら向こう側で良いだろう。また並べるのは面倒じゃねぇか」
「左腕はダメでしょ。治療の邪魔だから向こうに行ってなさい」
 露骨に顔を顰めて凄むジェイに慣れているのか、看護師のおばさんは怯む様子もなく、あっさりと言い放つと、ジェイが座ったままの簡易ベッドを足元の方に動かし始めた。
 ムスッと顔を顰めてベッドに座ったままのジェイが、ベッドごとガラガラと遠ざかっていくのが面白過ぎて、ククッと笑おうとした瞬間、みぞおちの辺りと頬がピリッと痛んだ。


「ジェイ、笑わすなって! あちこち痛い……」
「ばか、笑うんじゃねぇ。俺は何も面白い事はしてないだろう。勝手に運んでいったコイツが悪い」
 あまり見えない位置に行ってしまったから分からないけど、運ばれて行ったベッドの上でブツブツと文句を言っているらしいジェイを気に留める様子もなく、彼を隅に追いやって平然と戻ってきた看護師が、テキパキと点滴の準備を進めていく。
 その姿をぼんやりと眺めながら、ちょっと懐かしい記憶を思い出した。




 小さい頃、風邪をひいて寝込んだ時に、こんな感じで母さんが優しく看病してくれた。母さんはいつも優しかったけど、病気の時はもっと優しく沢山傍にいてくれて、それが本当に嬉しかった。
 ジェイと一緒に暮らそうと決めて、あの家の鍵を返しに行き、しばらくの間は色々と思い出してちょっと胸が痛かったけど、今はもう、母さんを思い出しても「小さい頃は2人で楽しかった」って、そればかりを思う様になっている。
 母さんとの事は、本当に想い出になってしまったんだな……って実感して、何か寂しい様な、嬉しい様な……妙な気分になってきた。


 今はまだ、あの小さな弟を混乱させるだけだから、母さんにもう一度会いに行こうとは思わない。
 でも、あの子も自分も、もっと大人になって色んな事が分かる様な歳になり、そして母さんも許してくれたら、一度だけ、話をしてみたいと思う。
 あの時は本当にショックを受けてしまったけど、落ち着いた今では、自分には兄弟がいるんだ、って事を本当に嬉しく思っているから、それを話してみたい。
 本当にそんな日が来れば良いな……と思いを馳せながら、色々と問いかけてくる看護師のおばさんと、ちょっとだけ話をした。


 好きになるのは男ばかりだけど、これ位、歳の離れた女の人と話をするのも、少し違った意味だけど安心出来て好きだと思う。
 母さんと話をしてるみたいだからかなぁ? と思いつつ、点滴の針を刺してくる看護師と話をしてると、簡易ベッドを降りて近寄ってきたジェイが、足元の方に座った。


「一稀、随分と素直じゃねぇか。俺と話す時とは大違いだな」
「だって、看護師さんだからさ。ちゃんと答えないと良くならないし」
「なるほど。まぁ、直ぐに良くなる。心配しなくても大丈夫だ」
 そう話すジェイが腕を伸ばして、頬にかかる髪を直してくれた。
 ジェイは何にも突っ込んでくれないけど、きっと、看護師さんと素直に話をするのは、母さんと話してるみたいで楽しいと思ってるからだって、多分気が付いてると思う。
 でも俺はそれ以上に、ジェイと話すのだって凄い好きだと思ってる。
 普段は結構冷たい事を言うし、すぐに頭をパシッと叩いてくるけど、こっちが落ち込んでたり、こんな風に怪我したりした時、彼は言葉で慰めてくれないだけで本当に優しく接してくれた。


 今は平気で色んな事を「我慢できる」って答えてるけど、それは彼がこうして見守ってくれてくれてるからだ、と分かっている。
 一晩心配をかけてしまったから、後でもう一度「ありがとう」って言わなきゃ、と考えながら、点滴の針が刺さった右手をそっと撫でてくれるジェイを見上げて、ちょっとだけ微笑み返していた。






 こんな怪我をするのは初めてだから、一体、何に気をつければ良いのかも分からない。
 ボーッと点滴の袋を眺めているだけの俺に代わり、色々と聞いてくれているジェイの声を聞きながら、やっぱりジェイって凄いな……と、妙な所で感心してしまった。
 ジェイの背中にも傷があるし、父親が頻繁に入院するって言ってたから、ジェイはこういう事に慣れてるのかもしれない。
 看護師に色々と聞いてくれたジェイが身の周りの事をやってくれて、点滴が終わって身体も落ち着いた頃、ベッドの背を起こして貰って、ようやくちゃんと病室の中を見る事が出来た。


 思ってた以上に広い病室の中に、本当に驚いてしまう。こんな立派な所に入院して大丈夫なのかな? と、逆に不安を感じながら、あちこちを見廻してみた。
 何でドアが2つあるんだろう? と不思議に思っていたソレは、どうやら大きさから考えると、トイレ付きのユニットバスらしい。
 普通の大きなテレビや、事務所にあるのと同じ位のミニキッチンまであるのに驚きつつ、何となく、ジェイと最初に住んでいたワンルームの事を思い出した。


 あのマンションに住んでた頃は、まだお互いの気持ちも分かってなくて、こんな風にジェイと過ごしていける様になるなんて、全く想像もしていなかった。
 あの時、ちょっと辛かったけどジェイに本当の気持ちを話したから、こうして仲良く過ごしていけるんだよな……って、今の生活に慣れ過ぎて、忘れそうになっていた事を思い出した。




「……ジェイ、ありがと」
 少し恥ずかしくて小さな声になってしまったけど、ボソッと彼にお礼を告げると、ベッドに腰を下ろして窓の外を眺めていた彼が、嬉しそうな表情を浮かべて振り向いてきた。
「どうした、急に。別に礼を言われる様な事はしてねぇよ」
「そんな事ない。一晩中、付き添ってくれたし……それに、仕事も休んでるんだろ? いつもこの時間には出かけるのに」
「仕事の方なら心配するな。何かあれば連絡する様、頼んである。店の方も中川がいるからな。お前の状態が落ち着くまで、俺が付き添う事にした。言っただろう? お前のいない夜は、俺には少し長過ぎるからな」
 そう言いながら右側の頬にキスしてきた彼の背中に、何とか自由になる右腕だけを廻して、その大きさを確かめてみる。


 彼と抱き合えるのは、もう当たり前の事だと思っていたのに、それが自由にならない怪我を負って初めて、それがどんなに大切な事だったのか思い知った。
 もっと酷い事が起きて、ジェイと抱き合えない様になってしまったら……そう考えただけで、胸の奥がキリッと痛む。
 それは一瞬頭を過ぎっただけでも、こんな怪我なんかとは比較にならない位に、とても怖くて、辛く悲しい出来事だった。


 彼が傍にいない生活なんて、もう、想像さえ出来やしない。
 混乱してきた気持ちを落ち着かせようと、そっと触れるだけの手付きで抱き締めてくれるジェイの肩口に顔を埋め、何故だか滲んできた涙を堪えながら、その温もりを感じていた。






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