Eros act-1 16

Text size 




 拓実と行き合わせた事務所の中、差し出した掌の上に、ポトンと落ちてきたブレスレットを受け取りながら、ジェイは訝しげに顔を顰めた。
「確かに。言われてみれば……だな。何か動きがあるのか?」
「今の所は大丈夫。でも、ヨソの奴等も気付き始めてると思う。一稀はウチ以外の店に行かなくなったし、ジェイだって、他所の買い専に遊びに行かなくなっただろ?」
 真顔でそう答える拓実の言葉に、思わず、少し顔を顰めた。
「てめぇ、人聞きの悪い言い方するんじゃねぇよ。俺が夜毎、ふらふらと遊び歩いてた様に、聞こえるじゃねぇか」
「あ、ゴメン。確かにジェイが……じゃないよな。どっちかってーと、三上さんが、ジェイを無理矢理連れ出して……だもんな」
 ククッと楽しそうに笑いながら答える拓実を、憮然とした表情で眺めた後、掌に乗せられたブレスレットに視線を向けた。




 三上と一稀が連れ立って店を出ていった後、少しだけ話をした中川を店内に残して事務所に戻った時、仕事を終えた拓実と一緒になった。
 渡すモノがある…と呼び止められ、そのまま「少し一稀の周囲には、気をつけた方が良いかもしれない」と、話しはじめた拓実の言葉にジッと耳を傾けた。
 何かと目立つ存在である自分は、確かにそれなりに誘いの言葉を多く聞いたし、それは一稀の方も同じだったらしい。
 ある程度の事は三上から聞いていたものの、一稀のこれまでの話となると、やはり拓実の方が色々と情報を持っていた。
 あの容姿だから当然だと思うが、あちこちで一稀に声をかけていた者達の中には、確かに、名前を聞いただけで「注意した方が良いな」と思える奴等も混じっている。
 それが、荒っぽい手段で俺の方に向かってくれば、それなりに対処する術は持っている。
 ――――只、もし、一稀の方に向かうとすれば。
 それは恐らく手段を変えて、彼の身体を奪う方向に向かうだろう……と、そう容易に想像がついた。


「とりあえず周囲の様子が分かるまでは、出来る限り一稀を一人にしない様に気をつけよう。用心するに越した事はねぇだろうな」
「おう、俺はその方が良いと思う。ジェイはマジで喧嘩も強そうだけど、一稀はな……口だけは強気で達者だけど、腕力は全く無さそうだよな」
「あの体躯じゃ仕方ねぇだろう。遊びに行く時は、誰か店のヤツとでも一緒に行く様に伝えておく。それでコレは何だ? 何となく見覚えがある気がするが」
 ジャラリと音を立てるシルバーのブレスレットを目の前にかざして、しげしげと眺めていると、拓実が思い出した様な声を上げた。


「あ、ブレスの事を言うの忘れてた。一稀が持ってるのと同じヤツ。アレ、俺が作ったんだよな」
「なるほど、それで見覚えがあるのか。お前、案外器用なんだな。上手く出来てんじゃねぇか」
「まぁな。ココの仕事が終わったら、ソッチ方面の店を出そうと思ってんだよな。俺、前から『リーマンには興味ない』って言ってただろ? 一稀とお揃いだからさ、ちゃんと着けてやれよ。アイツが喜ぶから」
 そう話す拓実に促され、自分の手首に巻き付けつつ、少々不思議に思って拓実の方に視線を向けた。
「まぁ、別にかまわねぇが……これでアイツが、喜ぶのか?」
「恋人とお揃いだぜ? 喜ぶに決まってるじゃん。ジェイって、そういう所はマジでガサツだよな。色気がねぇと言うか、何と言うか……」
 真顔で腕を組み、真剣に考え込んでいる拓実の頭を、パシッと軽く叩いてやった。
「てめぇ、生意気な事を言うんじゃねぇよ。そういうお前の方はどうなんだ? ノンケを必死で口説いてるそうじゃねぇか」
「裕真の事かな? んー、そうだな。まぁ、必死というか……のんびり口説いては、いるけどな」
「『ゆうま』……? あぁ、橋本はそんな名前だったな」
 ようやく何とか思い出して、ボソリと呟いてみると、それが面白かったのか、拓実は堪え切れずに吹き出してしまった。


「そっか。アイツの事は、苗字で覚えたんだ。裕真……って難しいかな?」
「いや、そういう問題じゃねぇな。それは本名なのか?」
「そうだぜ。何か必死になって考えてたけど、思いつかなかったらしくてさ。『俺は本名だぜ』って教えてやったら、『じゃあ、俺もソレでいい』って」
「それなら、特に問題はねぇな。店用の名前が別にあるのなら少々考えても良いが、本名なら、どっちでも同じだろう」
「まぁ、良いと思うぜ。ジェイが呼びやすい方が、楽だろうしさ。やっぱり、覚えにくい名前ってあるのかな?」
 いつも勝手に呼び名を決定して、平然としているのが面白いのか、ジッと眸を見詰めながら、拓実がそう問いかけてきた。




 室内では深い蒼色に変わる眸を、彼は不思議そうに覗き込んでくる事が度々ある。
 割と堅苦しくて、良くも悪くも日本的な雰囲気な自分の実家を、拓実は少々嫌がっているらしい。その反動なのか、今まで自分の周囲に無かった物に対しては、素直な興味を示す事が多い。
 これもその一つなんだろうなと、子供みたいな彼の好奇心を、何となく微笑ましく思っていた。
「自分では気にしてねぇが、まぁ、それなりにあるんじゃねぇか? あいつの雰囲気だと、橋本の方が呼びやすいな」
「へぇ、やっぱりそうなんだ……皆や店長は、店での名前で呼び合うけど、ジェイは、自分の勝手な名前で呼ぶからさ。まぁ『ドコからその呼び名が出てきた?』ってのもあるけど」
「単純に、ソイツの印象で覚えているからな。皆には不評なのか?」
「全然。皆、本当に自由な人だよな……って呆れてるけど、どっちかって言うと面白いから良いと思うぜ。店の雰囲気も良くなるしさ」
「そうか。まぁ、店長がお堅いヤツだからな。俺が少々、自由にしているくらいの方が良いだろう」
「俺もそう思うな。店長はホント、真面目だもんなぁ。ジェイが話し易い人だから、ちょうどバランスも取れてるんじゃないかな」
 真顔でそう話す拓実の言葉に、以前、彼が話していた言葉を思い出す。
 他の売り専クラブに、少しだけ勤めていた事のある彼は、ギスギスとした雰囲気に、どうしても馴染めなかった……と言っていた。
 そういえば、一稀も『他の売り専の店は入り難くて、見に行った事が無い』と言ってたな……と、考えた瞬間、結局、一稀の事に思考が行き着く自分に気付き、苦笑いを浮かべてしまった。


「橋本は、少しは店に慣れたのか? 案外、人気を取ってる様だが」
 手首のブレスを眺めつつ、そう拓実に問いかけてみると、彼は素直に頷いた。
「ん、頑張ってるぜ。もう、見るからにノンケで真面目なタイプだろ? かなり年上なリーマンのオッサンにウケが良いみたいだな」
「なるほど。『こんな可愛い部下を誘惑して……』ってヤツか?」
「だと思うな。裕真に聞いたらさ、結局、お客さんの方が逆にご奉仕してくれて、勃つトコまでやって貰って、それで掘ってやって終わり……って感じらしいぜ。ちょっとオモチャにされてるっぽいよな」
 そう教えられてみると、その様子が簡単に想像出来て、思わずククッと笑ってしまう。
「やっぱり、そうなるんだな。アイツらしい。それで、自分等の方はどうなんだ?」
「うーん……まだ、単なる友達って感じだなぁ。この前、我慢出来なくて襲ったけど」
 その答えが少々意外で、思わず驚いた表情を浮かべてしまった。


「へぇ、なかなかやるな。お前、襲ったのか?」
「ちょっと大袈裟な言い方だったかも。やっぱノンケって、危機感ねぇんだよな。平気で部屋に泊まらせるんだぜ。我慢出来るか! ってーの」
「それは仕方ねぇだろう。そういう思考は無いだろうからな。最後までやったのか?」
「まさか。抜き合って終わりだよ。気持ち良かったし、今はそれで充分満足してる。普通、ノンケの男に迫ったりしたら驚かれるだろうけど、アイツは次の日も態度変わらなかったし。少なくとも、俺の事は嫌いじゃねぇみたいだからさ」
 本心からそう思っているらしく、穏やかな表情でそう話してくれる、拓実の姿を眺めていると、何となく、また一稀の事を思い出した。




 出逢った頃と比べると随分と気を許してくれている様に思えるけれど、アイツはまだ、こんな穏やかな表情を浮かべた事はない。
 自分以外の誰かの事は、少し退いた所から眺めている様な……そんな雰囲気が、一稀にはある。
 その原因が全く分からず、柄にもなく少々焦っていたけど、中川の話を聞いたら、ほんの少しその理由が垣間見えた気がした。


「まぁ、頑張るんだな。焦っても仕方ねぇよ」
 半ば、自分にも言い聞かせる様に声をかけると、拓実は薄く口元を緩めた。
「そうするぜ。ホント、自分でも驚くけどな。何でアイツなんだろうな。楽に口説けそうなヤツは、他に沢山いるのになぁ」
「良いんじゃねぇか? 妥協してそういうヤツを恋人にした所で、お前の性格からすれば、直ぐに別れるのがオチだ」
「おう、自分でもそう思うぜ。まぁ、ココにいる間に落とせりゃ良いかな……って思ってるから。あと一年かけて、のんびり口説くぜ」
「随分と悠長な事だな。そんなに待てるのか?」
「意外とな。それに、もし、それまでに上手くいけば二人共、辞める事になるだろうからさ。だから、やっぱり時間かけて口説く事にする」
 苦笑いを浮かべながら、そう話す拓実の姿に、少し俯いて口元を緩めた。
「そうだな……まぁ、惚れたヤツが他の男と寝る…ってのは、あまり良い気分じゃねぇだろうな」
「俺もそう思う。別に、付き合う前なら良いんだけど、やっぱ『自分の恋人』として見ちまうとな……ところで、今日は三上さんが、一稀を外に連れて行ったんだって? ジェイ、今頃になって後悔してんだろ?」
 顔を覗き込んできて、からかう様な口調でそう問いかけてきた拓実の頭を、思いっきり、パシッと叩いた。
「うるせぇな。サッサと帰りやがれ」
「はいはい。一稀が帰ってきても、責めるんじゃねぇよ。送り出したジェイの方が悪いんだからさ」
 ゲラゲラと笑いながらそう言い残し、手荷物を持って更衣室に向かう拓実の後姿を眺めながら、思わず舌を鳴らしてソファに乱暴に座り込んだ。




 一稀には何も非がない事なんて、もう自分自身でも、嫌と言うほど分かっている。
 そんな事より、ムッとした表情を浮かべて出て行った一稀は、本当に怒っているんだろうな……と、今頃になって、それが気になってきた。
 三上は妙な事を吹き込むヤツではないし、連れ出した目的も分かっている。
 だから、そう心配はしていない筈なのに、妙に気持ちがグラついてしまう。
 素っ気なく放り出されたアイツは、きっと本当に怒っているだろうな……と、そう一稀の気持ちを想像して、自嘲の笑みを浮かべた。


 たった一晩、離れて過ごすだけだと言うのに、妙に空いた隣を寂しく感じる。
 半ば強引に開始した恋人同士の関係だけど、自分達でも気付かないうちに、それが当たり前になっていたんだな……と、『ジェイといるのは心地良い』と言っていたらしい、中川から聞いた一稀の言葉を思い出した。
 自分と同じ様に、たった一人で、長い時間を過ごしていたらしい一稀の戸惑いは、嫌と言うほど理解出来る。
 だからと言って、一稀の寂しさを紛らわすだけの関係には、どうしてもなりたくない、とも思っている。
 そんな甘ったるい気持ちでやっていけるほど、自分達の置かれた環境は容易い物ではない。
 だから、アイツ自身の意思で、この関係を選んでもらわなければ……
 そう考えている筈なのに、先走りそうになる自分の気持ちを、ほんの少し持て余していた。


 拓実に貰った、一稀とお揃いのブレスレットを指先で弄びながら、ほんの少し口元を緩める。
 こんな物が本当に嬉しく思える位、アイツに気持ちを持って行かれてるんだろうな……と、そう他人事の様に考えた。
 揃いのブレスレットが手錠になって、アイツと俺を永遠に縛り付けてくれればいい――――
 そんな事を思いながら、ぼんやりと、目前の壁を見詰めていた。






BACK | TOP | NEXT


2008/10/12  yuuki yasuhara  All rights reserved.