Eros act-1 15

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 背後で扉が閉まって、賑やかな音が消えた瞬間、ほんの少し後悔に駆られた。
 自分が三上に何を言われているのか、そして何をしに行くのか……それは「ジェイも知ってるから」と三上は言ってきた。
 それなのに止める事なく、呑気に手を振ってきたジェイの姿にムカつき、その衝動のまま、三上に連れられて店を出た。
 本当はこんな事したくないし、彼に「行くな」って、言って欲しかった。
 恋人が他のヤツの所に行くって、そう知ってるのに引き留める事もせず、平気で送り出すジェイの気持ちが、どうしても分からなかった。




「一稀、機嫌悪いなぁ。そう怒るなって」
 大勢の人が行き交う街中を歩きながら、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌な三上に、からかう様な口調で軽く言われて、思わずムッと顔を顰めた。
「……うるさい。自分が原因のクセに」
「ふーん。やっぱ、ジェイが止めてくれたらなぁ、とか思ってた?」
「……そりゃあ、少しは……」
「なるほど。やっぱ、まだそんな感じなのか。誘って正解だったな」
 独り言みたいに呟かれた言葉の意味が、何だかよく分からない。
 コッチに視線を向ける事なく、前を向いたまま何だか楽しそうに歩く三上の姿を、ジッと見詰めた。
「……三上さん、何か、すっげぇ機嫌良さそうなんだけど?」
「当然。一稀とやんの、久しぶりだからさ。そりゃあ、テンション上がるってーの」
 普段、ジェイと一緒に帰るマンションとは、反対方向にある駅へと続く繁華街の中、全く臆する様子もなく、そんな事を平気で口走る三上に驚き、慌てて服を引っ張った。
「ばっか……そんな大声出すなって! 人が沢山いるだろ!?」
「誰も聞いちゃいないって。心配すんな」
「そうかもしれないけど。でも……」
「平気平気……で、ちょっとは機嫌直った?」
 人の事なんか気にしていない、相変らずな飄々とした物言いで問いかけてくる三上の様子に、何だか急に気が抜けてきて「はぁ…」と溜息を吐いた。




 割と周囲の視線や評価を気にしない、我が道を行く大物タイプの彼は、本当にいつもマイペースで、何だか調子が狂ってしまう。ちょっと雰囲気は違うけど、こういう所はジェイと似てるよな…と、店で見かけて改めて気付いた、本当に仲が良いらしい、二人のやり取りを思い出す。
 だからと言って、恋人を平気で抱かせてやるのは違うよな…と、また店を出る直前に見た、ジェイの仕草を思い出してムカついてきた。
 でも、ジェイも三上さんも、絶対に悪い人ではないとは思っている。
 すごく短気なのに、何故だかいつも上機嫌な三上の姿を、苛立ち紛れに横目で睨んだ。


「三上さんってさ、いっつも無駄にテンション高いよな」
 何かちょっとは文句を言いたくなってきて、とりあえず頭に浮かんできた言葉で毒吐いてみると、三上にフンと鼻で笑われてしまった。
「そうかな? それを言うならさ、一稀はすぐに機嫌悪くなるよな?」
「……それは、三上さんが、変な事ばっかり言うからだろ」
「俺が? 別に何も言ってないけどな。まぁ、ちょっとは機嫌直せよ。一稀はジェイの恋人だからさ、あんまり誘っちゃいけないし。もう滅多にない機会だろうから楽しもうぜ」
 唐突にそう言い放った三上の顔を、目を瞠ってマジマジと眺めた。
「あ……一応、俺の事をそう思ってるんだ」
「当然だろ? 親友が、初めて『俺のモノだ』とか言い出した相手だからさ。俺も一稀を大事にしてやるぜ」
「ソレも、よく分かんねぇんだよな……ジェイと寝たりしてたんだろ? それなのに何で、親友とか平気で言えるのかなぁ」
 ずっと疑問に思っていた事を問いかけてみると、三上は顔色一つ変えずに、チラリと視線を向けてきた。
「ジェイと寝るのに、あんまり深い意味はねぇよ。強いて言えば『行き過ぎた友情』って感じかな」
「もっと分かんね。普通さ、そういうのって恋人に対する表現じゃないの?」
「ばか、友情だって言ってるだろ? アイツの事は好きだけどさ、恋愛感情ってのは全くねぇな。俺とジェイって、すげぇ似てるトコがあるから。多分、自分を見てるみたいで楽なんだよな。だから、どっちかって言うと、一稀がジェイに惚れた……って方がショックでかいな。俺の方が、一稀との付き合いは長いのにさ」
 ショックなんて全く受けてない様な、明るい口調でそう話して、平然と肩を抱いてきた彼を睨みながら、頭の中では「ホント、何でだろ…?」と、自分でも不思議に思った。


 今まで、何人もの人に口説かれたけど、全くそんな気にはならなかった。それなのにジェイだけはストンと極自然に、自分の意識の中に入り込んできた。
 本人が気付いてる通り、ジェイと三上は性格的にも似てる所があるよな……と思うし、ジェイより穏やかに接してくれる人もいた。
 でも、今まで誰に出会っても、その近くにずっといたいとか、そんな気持ちは起こらなかった。
 恋愛なんてしたくない。誰とも、深い付き合いなんてしたくない――――
 ずっとそう思っていたのに、ジェイに初めて出逢った瞬間から、その存在に、大きく気持ちを揺さ振られてしまった。




 三上に肩を抱かれたまま、漠然とそんな事を考えていると、いつも彼が車を停めている駐車場を素通りして、駅の方にへと歩いているのに気付いた。
「……あれ、今日は電車?」
「そうだぜ。ちょっと用事があったし、今日は元から飲もうと思ってたからさ……ってか、お前、電車じゃ嫌なのかよ?」
「あ、別にそんなんじゃないけど。珍しいな、と思って」
「俺は結構、電車乗るぜ。座ってぼんやりと景色を眺めるのは嫌いじゃねぇし。一稀、ジェイと付き合う様になって贅沢になったんじゃねぇの? アイツの車ばっかり乗ってるからさ」
 わざわざ顔を覗き込んできて、口元を緩めてそう問いかけてきた三上に、慌てて頭を横に振った。


「そんな事ねぇよ! 店に行く時は歩きだし、まだ何回かしか乗った事ないから」
「へぇ、そうなんだ。昼間はアイツと遊びに行ったりしねぇの?」
「時々は、行くけどさ……ジェイ、昼間はどこかに出かける事が多いんだよな。ドコに行ってるのかは知らないけど」
「そうなんだ? アイツも結構、忙しいんだな。遊んでばっかりなのかと思ってたんだけど」
 どうやらかなり意外だったらしく、感心した表情を浮かべてそう答えた三上の様子に、こっちが少し驚いてしまった。
「三上さんも、ジェイが昼間は何してるのか知らないんだ?」
「当然。基本的に夜しか顔を合わせねぇし。俺の知らない所でアイツが何やってようが、全く興味ねぇよ。だから友達なんだろうなぁと思うぜ。これで相手が恋人なら、ちょっと気になるけどさ」
 あっさりとそう言い切った、三上の言葉を聞いた瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。
「……どした、一稀? 急に黙り込んで」
「ん……ジェイは俺に『何してたんだ?』とか、そういうの聞いてこないな……と思って。俺が何やってても、気にならないのかな?」
 出逢ってから今までの、ジェイの言動を思い返して考えてたら、ちょっと悲しくなってきた。


 基本的に放任主義で、口煩い事を言わないジェイは、自分がドコに行くのかも教えてくれないし、俺が出かけても何も言わない。
 もちろん絶対にあのマンションに戻ってくるって、そう思ってるからだろうけど、皆の話を聞いてると少しだけ寂しくなってくる。
 普通の恋人同士は、色んな事を言葉で伝え合ったり、もっと仲良さそうにして歩いている。
 それが少し、羨ましかった。
 「好き」とか「愛してる」とか、そんな言葉も信用してくれないジェイに対して、どうやって自分の気持ちを伝えれば良いのか――――
 最近、暇さえあれば、そんな事ばかりを考えていた。




 俯いたまま、考え込んで歩いていると、肩に置かれていた三上の腕がスッと離れて、ガシガシと頭を撫でられた。
「もし、すっげぇ気になってたとしても、アイツはそういう事を自分から問い質す性格じゃないと思うぜ」
「……うん。それは、何となく分かるんだけど」
「じゃあ、気にすんな。それか、一稀が自分から言えば良いだろ? 聞いてこないから話さない……って、ガキじゃねぇんだからさ」
 そう話す三上の言葉に頷きながらも、まだ、その決心がつかずにいた。
 聞いてもあまり楽しい話じゃないだろうし、まだきっと色んな所で、自分自身でも迷ってる部分があるのかもしれない。
 もし、それを彼に話したとしても、面倒なヤツとか思って嫌われてしまったら……とか、そんな悪い事ばかりを考えてしまって、何も話す事が出来なくなっていた。


 ドコで何をしていても、ジェイの事が頭に浮かんできて離れなくなってしまう。
 彼の事が気になってしょうがないのに、俺は彼に何をしてあげたいのか、彼にどうして欲しいのか。
 ――――それが今でも、分からずにいる。
 それでもジェイから離れる事は出来なくて、今でも本当は「帰りたいな…」と思っている。
 そんな気持ちを見透かしているのか、がっしりと肩を抱いてくる三上に促されるまま、駅までの道程を歩いて行った。






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