Eros act-1 13

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 何の説明もないまま、突然呼び出されて、ジェイの恋人みたいな感じになったあの日以来、ずっとこの部屋で暮らしている。
 そしてジェイも毎晩、ココに戻って来て、そのまま泊まっていく様になった。
 元々、彼に用意して貰った部屋だし、ジェイと一緒にいるのは案外心地良くて、俺の方からは、それに対して不満はなかった。
 ジェイは本来、店長の中川とルームシェアをしていて、夜はこの部屋にいるけど、昼間は自分の部屋に帰ったりしている。
 それでも、ジェイの私物が、この部屋にも少しずつ増えてきて、何だか少し不思議な気がした。


 ジェイがちょっと気にしている様子だから、自分の荷物なんて無いも同然だけど、時々自分の家に戻って、手持ち出来る分だけをバッグに詰めて、少しずつ運んできた。中身は服が幾つかと、他はテレビゲームとかばかりだから、ジェイから「ガキだな」って笑われてしまって、ちょっとだけ口喧嘩したりした。
 でもやっぱり、喧嘩したりムカつく事を言われたりしても、ジェイの事は好きだと思う。
 彼については知らない事ばかりで、相変らずどんな人なのか分からないけど、でも、ジェイの事を考えると胸がドキドキと高鳴ってくる。
 ジェイは自分の事をあまり話そうとしない。
 コッチの色んな事情を聞いてくる事もないから、まだ、彼に話していない事は沢山ある。
 俺が彼に話さないから、彼も、自分の事を教えてくれないんだろうとは思うけど、まだ、彼に話せずにいる。
 そんな色んな事を悶々と抱え込んだまま、時間だけは、あっと言う間に過ぎて行った。






 ドコに行ってるのかは分からないけど、昼間はジェイと別行動になる事が多い。
 本当は気になってしょうがないけど、それを俺の方から問い質すのは気が引けて、未だに彼が何をしているのかは知らずにいる。
 彼がいない間、一人でぼんやりと部屋で過ごすのは何となく苛々して嫌だから、そういう時はお店に行って、皆の邪魔にならない程度に気をつけながら、色んな雑用を手伝って過ごす様になった。
 絶対に、すごく簡単な事しかやってないんだろうなって分かってるけど、それでも、やっぱり慣れてないから難しく感じる。
 皆に色んな事を少しずつ教えて貰いながらだけど、「一緒に仕事をしてるんだな」って気がして、それがちょっと嬉しかった。


 事務所で仕事をしてると色んな発見があって、ちょっと面白いなと思う。
 ジェイに話しかける時は、ずっと敬語なんだなと思っていた中川は、どうやら仕事以外の話をする時は普通のくだけた口調で話しているらしい。
 中川が不在だった昼間に家に戻ったジェイが、窓を一つ開けっ放しにしていたらしく、翌日、ブツブツとジェイに小言を言っているのを聞いた時は、本当に悪いと思うけど笑いを堪えるのに必死になった。
 逆に従業員の皆は、店長の中川には敬語混じりで話しかけるのに、オーナーのジェイには普通の友達みたいに接していて、それが本当に不思議に思う。
 皆に聞いてみると「ジェイは堅苦しく話をするより、アレの方が良いんだってさ」と答えてくれたけど、やっぱり今でも「変だろ……?」って考えている。
 でも、言葉使いとかは楽な感じだけど、ちゃんとジェイが一番偉い人だって思っているらしい。
 ジェイに聞いてみたら、本当に自分でそう言ってるらしく、「敬語とか面倒くせぇし、必要である意味が分からねぇ」と、本心から嫌そうに顔を顰めていた。
 何だかよく分かんないな…とは思うけど、もう、皆の中ではそれが当たり前になってる。
 面白いお店だよな、って感じながら、初めての『仕事場』になったこの店で、少しずつ色んな事を覚えていった。






******






 開店前で賑わう事務所の片隅で机に向かい、ゴソゴソと一人で、中川に頼まれた書類整理をやっていると、目の前にある電話が鳴った。
「はい、クラブJです……あ、こんにちは……え? ちょっと待って……」
 最初は電話に出る事にすら緊張してたけど、もう大分慣れてきた。
 店内に直接かかる電話は予約などの問い合わせが多く、そっちの電話にはまだ出た事がないけど、事務所の方にかかってくる分は普通にやり取り出来る様になってきた。
 電話の相手は、すっかり顔馴染みになったリネン屋からだけど、その内容が分からなくて、久しぶりに少しだけ口籠もってしまった。
 オロオロとファイルを捲って考え込んでいると、開店準備のチェックから戻ってきた中川に、パシッと軽く頭を叩かれた。


「何を慌ててる。ドコからだ?」
「あ、戻ってきた。あのさ、リネン屋さんが渋滞にハマっちゃって少し遅れるって。それで『間に合わないようなら別便で少し届ける』って、言ってるんだけど……」
「なるほど。それなら、直接在庫を見た方が早い」
 そう答えて電話を受け取り、相手と話しながら歩き出した中川の姿に、慌ててファイルを仕舞って、後を追った。
 おしぼりを入れてる箱やシーツ類、制服の在庫などを確認しつつ、相手と話す中川の様子を見詰めながら、その後をチェックしてどう答えているのかを確認してみる。
 ちゃんと見てるのに何だかあまり分からなくて悩んでいたら、電話を切った中川が振り返ってきて面白そうに笑われてしまった。




「どうした? 妙な顔をして」
「うーん。見てたんだけど、よく分かんなかったなぁ……と思ってさ」
「だろうな。まぁ、そのうち慣れる」
 素っ気なく答えながら、事務所に戻る中川に駆け寄り、隣に並んだ。


「中川さん。ああいう在庫って、沢山置いてちゃダメなんだ?」
「いや、置いてあるぞ。シーツや制服類は、かなり多めに用意してある」
「そうなの? でも、電話じゃ『足りなくなるんじゃないか?』って聞かれたぜ。だから、あんまり在庫がないのかなって思ったんだけど」
「そういう類は、おしぼりとかだろうな。常に入替できる様に、あまり在庫は置いてない」
 そう答えてくれた中川の言葉を聞きながら、思わず顔を顰めてしまった。
「あ、分かる気がする。喫茶店とかで出されたヤツで、すっげぇ変な匂いのヤツとかあるもんな。アレはずっと置いてたヤツっぽいから、嫌だな……って思う」
「濡らして使う物だからな。その辺に長時間放置しておいた物を使うのも…だろ? 衛生的にも良くないだろうし、日々、使う分量だけを発注している。あまり在庫は置きたくないな」
「そうなんだ。何個残ってれば大丈夫?」
「単純に数量だけじゃ、判断は無理だな。曜日や時間帯によっても違うし、世間的に給料日後に当たる日だと、普段より人の出入りが多い。その辺りの判断も必要だ。まぁ、慣れてくれば自然に分かる。もし、俺が不在時に聞かれたら、他のヤツに変わってもらえばいい。実際に店に出てるヤツ等の方が、その辺りは詳しいと思う」
 ちょうど事務所に戻った時にそう教えられて、また椅子に座りながら、皆の方に視線を向けた。
 そろそろお店に出る時間になったらしく、店内に移動し始めた皆を、手を振って見送りながら、何だかちょっと落ち込んできて、思わず溜息を吐いてしまった。




「……どうした? 書類整理は飽きてきたのか?」
 全然違う方向を向いてたから、コッチの様子には気付いてないだろうと思っていた中川に、急にそう問いかけられ、書類を捲り始めていた腕を止めた。
「違う。俺、ホントに役立たずだなぁ……って。コレだって中川さんがやってたら、もう終わってるだろうし。在庫とか、そういうお店の事だって、皆の方が詳しいしさ」
「そうか? 俺の予想以上に頑張っていると思うがな。ちゃんと毎日、店にも顔を出して、手伝ってくれてるじゃねぇか。二、三日もすれば飽きてしまって、来なくなるんだろうなと思ったんだが」
「だって『副店長』なんだろ……あのさ、俺、マジで雑用係で良いから。一番何にも出来ないのに、副店長って……ソッチの方が嫌なんだけど」
 机の上に伏せって、ぼんやりと壁を眺めながら、何だか独り言みたいに呟いた。


 周囲の皆は何にも文句は言わないけど、それ以上に自分自身の気持ちとして、何だか少し、落ち込んでしまう。
 本当は皆が俺より少しだけ年上だ、ってのは知っていたけど、遊んでる時は気にしてなかったのに、一緒にお店で働いてみると色んな事が当然の様に出来て、それに何だか自信を無くした。
 偶然、俺と同じ日に入った新人のヤツだって、まだコッチがオロオロとしているうちに色んな事を覚えてしまって、もうずっと働いてる子と同じ様に自然に皆の中に入ってしまった。
 「友達だ」って思ってたのに、急に周囲が大人に見えてきて、少し焦ってしまう。
 ずっと昔の記憶の中にある、もう思い出したくないあの時に感じた、自分だけが一人ぼっちで取り残されてしまった気持ちを思い出して、もやもやとした気分が晴れずにいた。




 机にダラリと伏せったまま、ぼんやりと考え込んでいると、楽しそうに頬を緩めた中川に、くしゃくしゃと頭を撫でられた。
「そう落ち込むな。今まで、バイトもやってなかったんだろう? 上手く出来ない事があるのは、当然だ」
「でも……逆に足手まといになってるんじゃないか? って思うんだけど。こんな何にも出来ないヤツに教えるのって面倒だろ?」
「それが店長の仕事でもある。特に気にしてないから安心しろ。それに、何も知らないヤツに教えるのは、ジェイの時も同じだったから慣れている。アイツの場合、まず日本語から……だったからな」
 くつくつと楽しそうに笑う中川の口から、唐突に出てきた彼の名前と、その意外な内容に、弾かれた様に身を起こした。


「日本語……って。中川さんが、ジェイに日本語教えたの? ジェイって、ずっと日本で生活してたんじゃないんだ?」
「初めてジェイに会った時、アイツは全く日本語を喋れなかったし、理解してなかったな。もう十年ほど前の話だ。父親は日本の中学校に編入させたかったらしいが、さすがに、いきなりは無理だったらしい。それでも、高校からは日本の学校に編入させたいと思って、歳の近い俺をアイツの所に連れて行った。ジェイと俺の父親同士が知り合いなんだ。まぁ、特に意味は無くて、一番歳の近い俺が選ばれたんだろうな」
「何それ? 友達になってくれ……って感じ?」
 初めて聞くジェイの過去の話に、何だか興味が湧いてくる。
 問いかけた口調が弾んでいて、自分でも驚いたけど、中川はあまり気にしてない様子で、普段通りの表情で頷いてくれた。
「そう思ったんだろうな。ジェイは理解力に優れているし、頭の回転が速い。一年も経たないうちに、日常会話には全く不自由しなくなった。その間に普通に友人関係になってしまったから、今でもそのまま交流が続いているって感じだな」
「へぇ、そうなんだ。でも、父親が日本人なのに、全然日本語はダメだったんだ?」
「ジェイは此処に連れて来られるまで、自分に日本人の血が流れている事を、知らなかったらしいな。突然、日本人である父親の存在を告げられ、そのまま日本に強制送還……って感じだったそうだ」
 そう教えてくれた中川の言葉に、一瞬、言葉を返すのを躊躇ってしまった。


「……そっか。ジェイもそんな感じの人なんだ…」
「まぁな。お前、ジェイに少し位は自分の事を話したのか?」
 問いかけてきた中川に向って、ゆっくりと頭を横に振った。
「まだ、何も……別に話しても良いんだけど、ちょっと自分が落ち着いてないから……」
「そうか。気が向いたら話してみると良いだろう。二人で仲良くやってるようだな?」
「うん。ジェイといるのは心地良いんだ。理由は分からないんだけど……それよかさ、ジェイって日本に来る前、ドコにいたんだ?」
 すごく気になっているけど、何だかジェイには、昔の事を聞きにくい。
 だからちょっと興味が出てきて、今日は時間に余裕があるらしくて、珍しく色々と話しかけてくれる中川を相手に、興味津々で問いかけていった。







 何となく気付いていたけど、一稀は、自分の事情について、口に出すのを嫌がっているらしい。
 気を取り直した様に笑顔を浮かべ、そう話しかけてきた一稀の手元から、書類を半分取りつつ、中川は、もう遠い記憶を探った。


「アメリカのどこかだ……と聞いた気がするな。ずっと前に一度聞いたきりだし、もう、詳しい場所までは覚えてないが」
「へぇ、アメリカかぁ。だから、敬語とか嫌だ、って言ってるのかな? 中川さんって仕事中は、ジェイとは敬語で話してるみたいだけどさ」
「俺は自分の区切りを付ける為に……だな。アイツとは友人関係が長いから、気を抜くとそういう雰囲気になってしまう。それが嫌で、仕事上では使っているだけだ。ジェイ本人は、やはり敬語や謙譲語辺りは苦手らしいな。多用されると意味が理解出来なくなるそうだ」
「だよな。俺、日本人なのに分かんねぇし。やっぱり、途中から日本語を覚えたんじゃ、難しいだろうな」
 納得顔で頷く一稀の横顔を眺めながら、彼と向かい合って書類の山を片付けていく。




 ジェイが「一稀をモノにする」とか言い出した時は、自分の立場を考えずに、話すらした事の無い素性も全く知れないヤツを…と、内心眉を顰めた。
 一稀が以前から頻繁に店に出入りしているのは記憶にあったし、そう悪いヤツではない印象はあった。けれど、ジェイの境遇を考えると、そう容易く一稀を受け入れて良いものか、少しだけ判断に迷った。
 そうして一稀の周囲を調査させ、その報告書に目を通した瞬間、何とも言えない気持ちを感じた。
 書かれている内容と、店で見かけていた一稀の様子とが、どうしても一致しない。
 もしかして、少し自分に無理をしながら、わざと空騒ぎをしているんだろうか……? と、そんな風に感じてしまった。
 ジェイの独断で彼の恋人になり、副店長にされてしまった一稀は、少々戸惑いつつも、こうして毎日店に顔を出して文句も言わずに黙々と雑用を手伝ってくれている。
 もし、普通の子供として生きていける環境であったとしたら、案外、こんな所で売りをやらずに、済んでいたのかもしれないな……と、予想外に生真面目な一稀の姿を眺めながら、そう思っていた。


 「ジェイといるのは居心地が良い」と、話す一稀が、何に躊躇ってジェイに自分の事を話そうとしないのかは分からない。
 それでも、ジェイはそれに目を瞑り、容易に気を許す様なヤツではない事は、多分、一稀本人も理解しているはずだと思う。
 自ら歩み寄るタイプの男ではないジェイが、ここまで一稀の様子を見守っているのは、本当に彼の事を気に入っているからだと思う。
 それとは別に、人並外れて短気で支配欲の強い彼が、一稀の様子を黙って見詰めている理由も、何となく分かる気がした。
 もしかしたらジェイ自身も、一稀と同じ様に、自分の感情に躊躇っているのかもしれない。
 どっちにしても、早いうちに落ち着けば良いんだがな…と、最後の壁を作ったまま、その向こう側で戸惑い続ける一稀を見守りつつ、書類の山を前に静かな事務所で、のんびりと雑談を交わしていた。






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