Eros act-1 12

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 今までとは違う店の一番奥の席で、ジェイの隣に並んで座りながら、ぼんやりと店の様子を眺めた。
 カウンターから見る風景と違って、この席は店の中を一望出来る。だから、只、ぼんやりと眺めているだけでも皆の動き方が分かって、それが何となく面白く感じる。
 数日前までは考えてもいなかった『副店長』ってのになるんだな……と、考えてみると、そのうち自分も少し位は、料理を運ぶ手伝いなんかをした方が良いのかなって思えてきた。
 皆、よく動いてるなぁ……と改めて感じながら観察していると、目の前を料理を掲げた新人の男が手慣れた感じで横切って行った。




「橋本……と言ったな? アイツは結構、給仕の仕事に慣れてそうだな」
 同じ事を感じたのか、ジェイが、近くで立ったまま、店の様子を眺めている中川に声をかけた。
「えぇ。先月まで、居酒屋でバイトをしていた様です。それでも少しだけ給与的に足りないから…と、ウチを探し当てたみたいですね」
「ホールに出てるだけでも、ウチの方が稼げるだろうな。案外、真面目そうなヤツだ」
「そうですね。人当たりも良いし、皆とも直ぐに仲良くなったみたいです。この業界に慣れていませんから、スレた所も無いですし」
「この店に限って言えば、全くの素人からの方が馴染みやすいだろうな」
「確かに。結局、今残っている連中も、そういう入り方をしたヤツばかりですから」
 派手な音楽の流れる店内で、中川とそんな会話を交わしていたジェイが、ふと、言葉を切って入口の方をジッと見詰めた。
 ……何だろう? と思いながら視線を向けると、丁度、お客が帰る所で、入口付近にボーイが見送りに出ている所だった。
 よくある、ありふれた光景だと思う。それでも、ジェイが見詰めているからじゃなくても、何となく違和感がある。
 そう思った瞬間、立ち上がってその方に向かったジェイと、その後を追う中川の背中を、呆気に取られてぼんやりと眺めた。


 客と二、三言会話を交わしたジェイが、突っ立ったままの、彼の身体を支えてやった。
 彼の代わりに客を見送りに出た中川とは、反対方向にある事務所の方に、ふらつく彼を支えながらジェイは一緒に姿を消した。
 それでようやく我に返って、慌ててソファから立ち上がると、その後を追って事務所の方に向かって行った。






「――――拓実、大丈夫? 急に具合が悪くなったのかよ?」
 薄暗い店内では気がつかなかったけど、ソファに寝かされた彼は、異常に青白い顔色をしている。
 それに驚いて、声をかけると、寝かされた彼のネクタイを緩めてやっているジェイが、呆れた様子で溜息を吐いた。
「軽い貧血だろう。慣れない事をするからだ」
「……慣れない事って?」
「拓実、てめぇバリタチだろうが。それなのに、受けに廻ったんだとよ。まったく、無茶しやがって」
 呆れた声色で呟いたジェイの言葉に、ソファに寝転んだままの拓実は、照れた様子で口元を緩めた。


「悪いな、ジェイ。いっつも買ってる子がさ、休みだって知らずに来ちまった……って言うからさ。まぁ、何回かやった事あるし、大丈夫だろ? って思ったんだよな……」
 そう軽く答える彼の様子に、思わず、顔を顰めてしまった。
「そんなの……いきなりは無理だって。出血は?」
「大丈夫。痛くはないんだけど、何ていうか、違和感がさ……それが気持ち悪くて」
「慣れない事やって急に動き回ったら、気持ち悪くなるって。ちょっと横になってた方が良いよ」
 拓実の足元に座り込み、そう言い募っていると、ジェイも微かに頷いてくれた。
「そうだな、しばらく寝てれば治るだろう。今日は帰るか?」
「いや、大丈夫。もうちょっと良くなったらホールの方に廻って、時間までは仕事する。今日は結構、来客が多いからさ。ソッチも忙しいから」
「そうか。まぁ、店の方は心配するな。新人が意外と頑張ってるからな」
「そうだな。アイツ、結構真面目なヤツだな。あんだけ動けりゃ、俺も安心して休めるぜ」
 まだ青白い顔色のままだけど、それでも割としっかりした口調でそう話す拓実の姿に、ジェイは安心した様子で口元を緩めた。

「それだけ軽口を叩けるんなら、まぁ大丈夫だろう……一稀?」
 ずっと彼の足元に座り込んで様子を見てると、ジェイが不思議そうに問いかけてきた。
「……俺、もうちょっと様子見ていく。まだ、一人にさせると心配だから」
「そうか。向こうで手の空いたヤツが出たら、様子を見に行く様に伝える。それまで、付いててやれるか?」
「うん。代わりのヤツが来るまで、俺がちゃんと面倒見とく」
 素直にコクリと頷き返すと、ジェイは頭を撫でてくれた後、静かに事務所を去って行った。




「……ねぇ、水とか要らない? 少し飲んだ方が良いと思うんだけど」
 シンと静まった事務所の中、そう問いかけてみると、拓実は少し考え込んだ。
「そうだな……欲しいかも」
「多分、ちょっと熱が出てると思うんだよな。冷たい水を飲んだ方が落ち着くと思うぜ」
 寝込んだままの拓実にそう声をかけて、事務所の隅にある小さなキッチンの方に向かった。
 あんなに青白い顔をして、具合が悪くて倒れそうになったというのに、まだ「最後まで仕事に出る」と、そう言い切った彼の様子に、ちょっと複雑な気持ちになった。
 もし、倒れたのが自分だったら、仕事だとか考えもしないで、サッサと家に帰ってしまうと思う。
 この店に遊びに来ても、皆、外で遊んでいる時と同じ様な感じで接してくれてたから、彼等は仕事中なんだって、俺は分かってる様で、本当は分かってなかったのかもしれない。
 そんな事を考えてみたら、また胸の中がモヤモヤしてきた。


 氷水を入れたグラスを差し出すと、ちょっと身を起こした拓実は美味しそうに飲み干して、また直ぐに横になった。
「あー、確かに水飲んだら気持ち良い……ちょっと熱が出てるのかな?」
「気持ち悪いんならそうかも。そういう人、結構多いらしいぜ」
 元気っぽく振舞ってるけど、普段より弱々しい声色の彼の様子に、また少し心配になってきた。
 一旦、ホールに戻っておしぼりを貰って戻ってくると、先程よりは少し顔色の良くなってきた彼が、チラリと視線を向けてきた。
 何とか大丈夫そうだな……とホッとしながら、おしぼりを水で冷やして、彼の額に置いてあげた。


「サンキュ。一稀、ジェイのトコに戻っても大丈夫だぜ。かなり良くなってきたから」
「んー……でも、もうちょっと見とく。俺、これ位しか出来ないし……」
「あ。もしかして、皆にからかわれたのを気にしてるとか? 副店長ってヤツ」
「ちょっとだけ。だって、俺、全然何にも分かってないから――皆、ホントは怒ってるんじゃないかな? って」
 ジェイに連れられてお店に来た時から、色々と気になってた事を、ほんの少しだけ話してみると、拓実は楽しそうに口元を緩めた。
「誰も怒ってねぇよ。ジェイが一稀を気に入って連れて来たんだからさ。お前が色目使って、ジェイに取り入ったんなら話は別だけど」
「俺は何も……だって、昨日初めてジェイと、話とかしたばかりだから」
「だろ? じゃあ、気にすんな、って。ジェイがああいうヤツだって、皆、知ってるからさ」
 そう話した所で言葉を切って、彼は少し考え込んだ。
 そのままジッと拓実の顔を見詰めていると、彼はフッと真顔になって、真剣な視線を向けてきた。


「……ウチの店内にいる間は、大丈夫だろうけど。でも当分の間は、あまり一人では、うろつかない方が良いかもな」
「え、何で……?」
「当然の事だけどさ、ジェイを狙ってるヤツって多いし。一稀だって、結構、あっさりと男を振ってただろ?」
「あれは別に振ったんじゃねぇよ。元から、俺はそんなつもりは無かったぜ」
「俺等はドッチも知ってるから、その辺は分かってるけど。でも、そう思わないヤツもいると思う。今は、ココの店の内部のヤツしか知らないけど、そのうち、他の色んな奴の耳にも入るから。その時は注意しといた方が良いと思うぜ」
 真顔でそう話す拓実の言葉に、思わず、真剣に考え込んだ。


 自分の事はさておき、ジェイを狙ってるヤツは多かったし、実際にそう公言してるヤツを、何度か目にした事もあった。
 その時は、全然ジェイとは関係もなかったし、実際に会った事すら無かったから気にしてなかったけど、確かに、ジェイが話題に上る事は多かったよな……と、改めてそう思った。
 拓実が何を心配しているのか――――詳しく言われなくても分かってしまう。
 予想もしてなかった事を言われて、少し戸惑ってしまったけど、でも、それは絶対にあり得る事だと思えた。
 だからと言って「ジェイの所から離れるか?」と聞かれれば、もう、それは無理なんだろうって、自分でも分かっている。
 急激に色んな事がありすぎて、まだ頭が付いていかないけど、とりあえず「じゃあ逃げよう」って気持ちにだけは、ならなかった。






「拓実! 倒れたって……あ、すいません」
 バタンと音を立ててドアを開け、血相を変えて飛び込んできた橋本の姿を見て、ゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと貧血起こしたみたい……俺、ジェイのトコに戻るから。もう少し、様子見といて」
「あ、うん……貧血なんだ。すっげぇ元気そうだったのに?」
 不安気に顔を曇らせて呟いた橋本を、拓実は苦笑いを浮かべて手招きをした。
「いやー。人が足りなかったからさ、ちょっと突っ込まれてみたら、気持ち悪くなった」
「えー! だって、ソッチじゃないって……」
「だよな。やっぱ無理したら、貧血起こした。アレは慣れてないとキツイよなぁ」
 先程まで自分が座っていた場所に、腰を降ろした橋本と、まだ少し力の無い口調で、説明を続ける拓実の様子に、ちょっと安心して背を向けた。


「あ、一稀。コレやるよ」
 唐突に声をかけられて振り返ると、ポンと何かが飛んできて、何気なく受け取った。
「……ブレスレット?」
「俺が作ったんだ。そーいうの好きでさ」
「へぇ、凄いなぁ。売ってるのと全然同じじゃん」
「だろ? 今度、それと同じヤツ作って、ジェイに渡してやるからさ。まぁ、介抱してくれたお礼…ってトコかな?」
 まだ少し顔色は悪いものの、楽しそうにそう話す拓実の様子に、ようやく安心して頬を緩めた。
「ありがと。貰っとく」
「おう……それから、あの話。分かってると思うけど、俺からも、ちょっとジェイにも伝えとくから」
「……そうだよな。俺も気をつける様にする」
 受け取ったブレスレットを手首に巻きながら、素直にその言葉を受け取って、ちょっと考えながら頷いた。


 気をつける……とは答えたものの、何をどうすれば良いのか、まだちょっと分からずにいる。
 予想外の方向に進み続ける、自分の周囲に戸惑いながら、意外と楽しげな雰囲気で話し始めた二人を残して、賑わう店内で待っているジェイの元へと、ゆっくりと戻って行った。






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