春雷 24

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 受話器を片手に和やかに話をしている兄を横目に、そっと窓の外を伺った。
 会話の内容から、相手が誰だか聞かなくても分かるし、朝から一向に治まる気配のない豪雨を見れば、兄が何と答えるかも分かってしまう。
 凄い勢いで風雨が吹き荒れている外の様子を、恐る恐る閉じたままの窓から確認していると、電話を切った兄が、レジ横の椅子に腰掛けたまま、退屈そうに大きく伸びをした。


「広石くん、やっぱり『雨が酷過ぎて、ちょっと無理かも』ってさ。この風じゃ原付は危ないだろうし、電車も所々で止まってるらしいな」
「あ、やっぱり? アイツ、最近は原付で来てたもんな。危ないから来ない方が良いと思う」
「だよな。事故にでもあったら大変だし『今日は来なくても大丈夫だ』って言っといた。雑誌の仕事もあるから、怪我したら大変だもんな。どっちにしても、こんな天気じゃ、お客さんも来ないだろうしさ。俺だって二階に住んでなかったら、店に来る方法に悩むだろうな」
「ホント、そうかも。ココが家だから良いけどさ。来るまでの間に、びしょ濡れになりそうだもんなぁ」
 俺と兄さんしかいない喫茶店の片隅で、思い思いの場所に座ったまま、のんびりと会話を交わしていく。




 四年前に喫茶店が開いたのと同時に、ココでバイトを始めた広石は、今でもこの店でバイトを続けているけど、数年前に街角で声をかけられて誘われたそうで、雑誌モデルの仕事も始めている。
 確かに、背が高くてカッコ良くて、堅苦しいのが似合わない広石にはピッタリな仕事だとは思うけど、やっぱりその辺りは広石だから、その活動内容は、ちょっと変わっていると思う。
 あまり仕事にこだわりを持っていないみたいで、おしゃれな雑誌に載ってたかと思えば、量販衣料品店のチラシなんかのモデルも、平気な顔でやってたりする。
 そうはいっても元からオシャレなヤツだったし、そういう仕事を始めてからは、何となく雰囲気出てきたなぁと感じる事も多いし、本人も「大学でも、佑輔よりモテる様になった」と変な基準の喜び方をしていた。


 大学も卒業して時間もあるんだし、もう喫茶店のバイトは辞めて、ソッチの仕事をメインにした方が良いんじゃないかな? と思うけど、広石曰く「もうちょっとだけ、葵と一緒にのんびり遊んでいたい」らしい。
 ともあれ、やたらと幅広い層に顔を知られるようになった広石を目当てに、いそいそと通ってくる女性客も多くて、喫茶店の方も、彼のお蔭で忙しいくらいに繁盛している。
 今日はこんな天気だし、広石目当ての女の子達も来ないから、久しぶりに暇だろうなぁと考えながら、ゴソゴソとポケットを漁って携帯を取り出した。




 やっぱり四年も経ってしまうと、皆、其々の道に進んで行くんだと実感する。
 桑原は好きな絵を取り扱う仕事を目指しているらしいし、広石はもうちょっと仕事を選んだ方が良いとは思うけど、どうやらこのまま芸能関係っぽい業界に進む事になりそうな気がする。
 俺達の中で一番真面目な性格だった佑輔は、やっぱりその雰囲気通りに、俺の父さんが勤めていた会社にへと就職が内定して、サラリーマンになるらしい。
 佑輔が迎えに来てくれたら、ちゃんと「おめでとう」って言ってあげなきゃ……とか考えながら、携帯の画面に映る、ますます大人っぽくなった彼の顔をジッと見詰めた。


 皆と比べたら、俺が一番ガキなのは自覚している。
 でも、あれから四年経った今では、それなりに大人になったんじゃないかと、自分では思っている。
 だからあの頃、俺の目からは、すごく大人に見えていた佑輔だって、まだ結構子供だったよなって、数年が過ぎてそう気付いた。


 悩んでいた俺を抱き締めて「ずっと此処にいればいい」と言い続けていた彼は、きっと、当時の俺とは違う意味で、離れてしまう事を不安に感じていたんだろう。
 そんな彼の気持ちに気付かず、自分の気持ちだけを押し通して飛び出してきた俺は、やっぱり今も昔も、佑輔より随分と子供だった。
 自分なりに色々と考えたかったし、もっと大人にならなきゃと焦っていたのも事実だけど、それは言い訳に過ぎず、本当は『辛い事から逃げてしまった』――と言うのが、一番正直な気持ちだったのかもしれない。
 そんな俺の身勝手な言い分が、あの時、本当に佑輔を傷付けてしまったんだと、ようやく気付いた。
 何年も過ぎてから、ようやく理解出来た彼の本心を思うと、今でも後悔ばかりを感じてしまう。
 それでも、本当にガキで我侭ばかりだった俺に愛想を尽かす事無く、佑輔は四年間、ずっと俺が大人になるまで待ち続けてくれた。


 高校生だった佑輔の事を、彼も子供だったんだなと思える位に、俺も少しは大人になった。
 でも、ようやく追い付いた筈の佑輔は、もっと大人になってるんだろうな……って、今では素直に認められる様になってきた。
 桑原達が佑輔の写メを送ってくれる度に、落ち着いて大人びていく彼の姿を見ても、もう焦りなんて感じない。
 幼い頃から、俺よりちょっとだけしっかり者で、いつも優しくしてくれる大好きな人が『佑輔』ってヤツなんだと、もう迷いなく理解していた。
 幼い頃から続く「大好き」でも構わない。
 今でも彼の事が本当に大好きだから、変に色々考えたりせずに素直に甘えても良いんだと、沢山の時間をかけて悩み抜いて、やっと気付いた。


 今ならもう、彼の事を自信を持って「好きだ」と言えるし、周囲に隠していくつもりもない。そして、その気持ちは佑輔も同じだろうと分かっている。
 そうハッキリと確信してからは、それから毎日、佑輔が迎えに来てくれる日を、指折り数えて待っていた。




 ちょうど四年目になる今日は、こんな嵐になってしまったから、佑輔はきっと来ないだろう。
 バスケの途中でも、パラパラと降ってきたら真っ先に軒先に逃げ込むタイプだったし、俺が雨の中で遊んでいるのを見て、いつも「風邪ひくだろう」と怒っていたのを思い出して、少しだけ口元を緩めた。
 この雨が降り止んで、春らしい穏やかで晴れ渡った空になれば、彼は絶対に約束通り、俺を迎えに来てくれる。
 本当の事を言えば、一秒でも早く、佑輔に逢いたくてしょうがない。
 でも、四年も経ってるし、俺の我侭でこうなってるんだから、一日くらい先に伸びても我慢しなきゃと、そう自分を励ました。


 俺と佑輔が再会したら「四人で何処かに遊びに行こう」と、佑輔が桑原達に提案してくれたらしい。
 彼が自分から、皆とそんな話をしてくれている……って事を、すごくささやかではあるけど、本当に嬉しく思った。






 激しい雨の音と共に、微かにカラン……と、ドアにぶら下げているウィンドチャイムの音が聞こえてきて、佑輔の写真を眺めていた携帯をポケットに戻した。
 こんな雨の日に出歩くヤツがいるんだ……と内心ちょっと驚きながら、お冷のコップを手に、何気なく顔を向けた瞬間、少しだけ持ち上げていたコップが手を離れて、カタンとトレーの上に落ちて行った。




 絶対に忘れる事のなかった顔が、そこにある。
 ずっと逢える日を楽しみに、何度も繰り返し携帯の画面で見詰め続けていた彼が、今、俺の目の前に立っていた。


「――――……佑輔? ホントに、佑輔……?」
 ほんの数秒前まで、携帯の小さな画面の中にいた彼が、ずぶ濡れのまま、俺の方を見詰めている。
 手にしていた壊れかけの傘を、入口横の傘立てに放り込み、無造作に濡れた髪をかき上げた佑輔が、ゆっくりと店の中にへと入ってくる。
 覚束ない足取りでフラフラと彼の方に歩み寄り、目を瞠って震える声で問いかける俺を見て、佑輔は楽しそうに頬を緩めた。


「他の誰に見えるんだ? 俺に決まってるだろう」
「だって、すっげぇ雨降ってるのに……何で? 佑輔、濡れるのが嫌いなのに……」
「四年前からの約束だろうが。それに、少しだけ我慢すれば葵に逢える。これ位の雨、どうって事ねぇよ」
 ハッキリとそう答えた佑輔の前髪から、雨の雫が一粒、ポトリと静かに伝い落ちた。




 また少し背が伸びた。声が少し低くなった。
 ――――そして、ずっと一緒にいたあの頃より、もっと優しく笑うようになった。




 あんなに嫌っていた雨の中を、びしょ濡れになるのも構わず、佑輔は四年前の約束通りに、俺を迎えに来てくれた。
 胸が詰まって返事も出来ず、潤んでいく眸で見上げているだけの俺を見詰めながら、彼は本当に穏やかな微笑を浮かべた。
「まだ納得してないのか、てめぇは。まぁ、それでも構わないけどな。お前が納得してくれるまで、俺はいつまでも待ち続ける。でも、次に迎えに来るのは一年後だ――――葵のいない四年間は、本当に長過ぎる」
 優しい表情を浮かべてそう話す彼の胸元に、勢い良く飛び込んだ。


 嵐に打たれ、芯まで冷え切っている彼の腕の中に、少しずつ俺の体温が移っていく。
 久しぶりに感じる彼の大きな身体に、流れ落ちる涙で濡れた頬を寄せると、ククッと軽く笑った彼が、以前とまったく変わりない手付きで、優しく背中を擦ってくれた。
「ばか、葵が濡れると思って我慢してたのに。お前から抱きついてきてどうするんだ?」
 笑いながら囁いた言葉上は、そう言って咎めながらも、佑輔はぎゅっと強く抱き返してくれる。
 沢山の愛情をこんなに雄弁に物語ってくれる、大きくて優しい彼の気持ちに気付いてなかった、自分の幼さが胸に痛くて堪らなかった。


「佑輔……すっげぇ逢いたかった……俺、何度も『ごめんなさい』って言って、佑輔のトコに戻ろうかな……って迷ったけど――でも、俺が我侭言って、こうなったから……頑張って我慢してた……」
 四年間も会ってないから、彼に話したい事が沢山あった。
 あれも話そう、これも話してあげよう……って、毎日色々と考え続けていた筈なのに、涙ばかりが先に出てきて、何にも言葉が出てこない。
 泣きじゃくりながら、やっとの思いでこれだけを伝えると、彼が昔と同じ様に、軽く髪を撫でてくれた。
「あぁ、そうだな。俺もすごく逢いたかった。もう約束なんか破ってしまって、葵に逢いに行こうか……って、何度もそう考えた」
「……佑輔、ホントに俺が悪かった……佑輔が優しくしてくれてるのに、俺、全然分かってなかった……」
「そんな事ねぇよ。俺だって、葵に無理な事ばかりを強いていたと思っている。辛い気持ちにさせてしまって、本当に悪かった」
 少しずつ暖かさを取り戻してきた、佑輔の腕の中が心地好い。
 またこの腕の中で穏やかに微睡む日々を、ずっと四年間、恋焦がれていた。




 ぎゅっと佑輔に抱きついていると、何かが目の端を通り越して、バサリと彼の頭の上に落ちていった。
「佑輔、二階に上がって俺の服に着替えて来い。そのままじゃ風邪ひくぞ。ついでに葵も着替えさせてやってくれ」
 ポタポタと雨の雫を落としている佑輔の頭に、バサリとタオルを放り投げた兄が、楽しそうにそう話しかけてきた。
「そうだな……葵は着替えさせるが、俺はこのままで構わねぇよ。どうせまた、帰りにびしょ濡れになるからな」
「ばか、そんな格好でウロウロされたら、店の中まで水浸しになるだろう。それに帰りは、隣の花屋さんの車を借りて送ってやるから安心しろ。とりあえず、昼飯はうちで食べていけよな。三人で話をするのは久しぶりだ」
「あぁ、なるほど。確かにそうだな。それは悪かった。葵、着替えに行こう」
 床に点々と残っている、自分の濡れた靴跡を見て、佑輔が軽く苦笑した。


 随分と楽しそうに、自分達のお昼ご飯の準備を始めた兄を残して、背中を押して促してくれる彼と一緒に、二階へと上がって行く。
 雨に濡れた服の佑輔と、昔みたいにはしゃぎながら階段を登っている最中、ふと重要な事を思い出した。
「……あ、しまった。兄さんの前で、佑輔に抱きついちゃったな……まだ説明してなかったんだけど、ビックリしたかなぁ?」
 佑輔の前に立って階段を登りつつ呟いてみると、背後から楽しそうな含み笑いが聞こえてきた。


「兄さんになら、俺が四年前に全部話している。だからもう、俺達の事は、とっくの昔に了承済だ」
「――――え、そうなの? 四年前って、いつの間にそんなの話したんだよ!」
「葵と離れて直ぐだな。ついでだし、兄さんも事情が分からなかったら心配するだろう。だから、四年後の今日、此処に迎えに来る事も話しておいた」
「ホントに? じゃあ、俺達が恋人同士なんだって、兄さんも認めてくれた……?」
「そうだな。ってか、俺が説明するより前から、兄さんは気付いてた様だな。お前、小さい頃に俺と別れて自分の家に帰った時、駄々をこねて『俺は大きくなったら佑輔と結婚して、ずっと一緒のお家に住むんだ!』って騒いでたらしいな。だから、本当にそうなるかもしれないな、って思ってたそうだ。逆に『アイツ、今更何を悩んでるんだ?』って、少し呆れていたぞ」
 楽しそうに笑いながら、そう教えてくれる佑輔の言葉を聞きつつ、自分の頬が染まるのを感じた。
「まじ……? もう、兄さん……何でそんな事まで覚えてるんだよ……」
 だからこんな嵐の中、「今日もお店を開けなきゃ!」って、朝から張り切っていたのか……と、兄の行動が理解出来た。


 何だか急に気恥ずかしくなって、俯きながら階段を上りきると、背後から付いてきてた佑輔に、急に腕を強く引かれた。
 思わずよろめいた身体を、しっかり抱きとめてくれた佑輔の唇が、一瞬、軽く触れて離れた。
 反射的に彼の腕を強く握って、離れていく唇を追いかけると、ククッ……と微かに緩んだ彼の唇が、今度はしっかりと、絡み合うキスをくれた。




「――――もう、二度と離れるな。葵。俺も絶対に離さないから……」
「うん、分かった……これからはずっと、佑輔と一緒にいる」
 抱き締めてくれる腕の中で、そう躊躇いなく答えると、嬉しそうに微笑んだ彼が、また優しいキスをくれた。


 幼い頃から大好きで、彼以外の誰かに目を向けたこともないのに、最後の一歩を踏み出すまでに、俺達は随分と遠回りをしてしまった。
 でも、これが無駄な事だったとは、佑輔も俺も思っていない。
 色んな事に真剣に悩んで考え抜いて、それでも、俺達は手を繋いで一緒に歩いていく事を決めた。




 寒い季節があったから、その後の暖かな温もりを感じ、本当に愛しく思う。
 凍て付く寒さが過ぎた後、春雷の音を聞きながら、久しぶりの暖かな彼の唇が、忘れていた温もりを呼び起こしていった。






          春雷 《The end》




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