春風駘蕩 01

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 単純に重い物や大きい荷物を運んでやった程度で、残りは話し相手をしていた位で、そう大した事はしていない。
 その相手は実の母親だし、変に気を使う事も無かったけど、いつもとは違う雰囲気に無意識ながらも気が張ってたみたいで、それなりに疲れてしまった。
 普段は、客も顔見知りばかりの慶の店を気侭に手伝っているだけで、そんなに忙しく働いている訳じゃない。
 せいぜいガードマン代わりになっているかどうか……って位の仕事ぶりなのに、慶は「これで充分だから」と、座る間もなく働いている自分自身を後回しにして、俺の方を労わってくれていた。




 もう随分と前、ちょうど一稀が怪我をして入院していたのと同じ頃、慶の店で働いていたヤツが一人、体調を崩して辞める事になった。
 元からあまり頑丈な性質のヤツじゃないのは知っていたから、あまり驚きはしなかったし、理由が理由だけに無理に引き止める訳にもいかない。
 「また元気になって働ける様になったら、ココに戻ってくれば良い」と、忙しい店を切り盛りしながら、優しい言葉をかけて送り出した慶を見るに見かねて、そのまま何となく手伝いを始めた。
 当時のジェイは入院中の一稀に付きっ切りだったし、中川は店長の仕事をしつつ、一稀が襲われた理由を探り出そうと、あちこち動き回っていた。
 どっちにしても今は遊んでくれそうなヤツがいないし、その間だけでも手伝ってやるか……と、軽い気持ちで始めた仕事らしき物は、自分でもビックリするけど、今でも順調に続いている。


 元々、慶の店には行き慣れていたし、あんまり気負わずに始めたのが結果として良かったんだろう。
 出された物を右から左に渡してやったり皿洗い程度を手伝ってるだけで、顔見知りがやって来たら一緒に飲んだりする、本当に気楽な手伝いを続けているうちに、ある時ふと、慶がこの状況を心底喜んでいるのに気付いた。
 何にも煩い事を言わず、俺の好き勝手にさせてくれている慶だけど、いつになく嬉しそうな顔を見ているうちに、今までの言動を少々後ろめたく感じて反省したくなってきた。
 ジェイも一稀を恋人にしてからは全く遊び歩かなくなったし、あの中川までもがティコと一緒に暮し始めて、周囲が急に落ち着いてきた……ってのも大きかったんだと思う。
 あの二人が其々に恋人の一稀やティコを大切にしているのに、彼等よりずっと前から慶を恋人にしている俺が、いつまでもフラフラと遊び歩いている訳にもいかないんじゃないか……?
 そう考えると自分でも踏ん切りがついたのか、慶に不満は無いのに何となくダラダラと続けていた男遊びからも、あっさりと手を引く事が出来た。


 特に何かをしてやれる甲斐性はないから、単純に「ずっと一緒にいる」だけなのに、慶は嬉しそうにしてくれて、毎日本当に機嫌が良い。
 やっぱり慶がいる所で、アイツの店の手伝いやってるのが一番良いなぁと実感しながら、のんびりと暖かなお湯に浸かって、慣れない疲れを癒していった。






*****






 風呂から上がってゴソゴソと身を整えている途中で、何となく家の中に人の気配を感じた。
 まだそんな時間じゃない筈だけど、二人だけの暮らしだから、この家には俺と慶しか住んでいない。
 念の為にバスルームから顔を出してリビングの方を確認すると、やっぱり明かりが灯っているし、何やら物音も響いている。
 今日は早く帰れたのか……と少しだけ驚きつつ、ざっと髪を乾かしてリビングにへと向かっていった。




「何だ、先に連絡すれば良かったな。今日も閉店までだろうから、一風呂浴びて迎えに行けば丁度良い時間だろうと考えてたんだが」
 普段の慶なら、まだ店で働いてる筈の時間帯なのに、今日は早々に帰って来たらしい。
 俺が風呂から上がってるのに気付いてたのか、キッチンで二人分の珈琲を淹れている慶に声をかけると、動かしている手を休める事無く、彼は楽しそうに口元を緩めた。


「今日は博人以外、全員出勤してくれてたから。かなり余裕があって楽だった。それにね、麻紀とティコと一稀の三人が揃って遊びに来てくれたんだ。麻紀達が帰る時に、僕も『一緒に上がって大丈夫だ』って皆が勧めてくれるから、それに甘えて帰らせて貰った。博人がいなかったし、皆、気を使ってくれたみたい」
「へぇ、アイツ等が揃って来たのか。珍しいな。慶に何か用事があって来ていたのか?」
「ううん、全然。偶然、皆の空き時間が重なったらしいよ。全員揃うなんて滅多にないから本当に楽しかった。一稀も『また来月も集まりたいな』って、今から麻紀に提案してたな」
「一稀はそうだろう。アイツ自身はあんまり話す方じゃないが、集まって騒ぐのが好きだからな。そういえば、ティコは結構見かけてるが、麻紀とは最近会ってない気がする」
 麻紀は元々そんなに遊び歩くヤツじゃないけど、最近、慶の店にも来ていない。
 ふと思い出して問いかけると、慶が頬を綻ばせたまま頷いてくれた。


「お店として使っているマンションの中を、少し改造してるらしいよ。ボーイの控え室に色々運び込んで皆が集まりやすくしたり、バースペースをちょっとだけ大きくしてミニクラブ形式にするんだって。それで忙しくしてたみたい」
「へぇ、そうなのか。クラブ形式にするのは、きっと翔の好みだろう。アイツは客と飲むのが好きだからな」
「翔が空き時間にバーを手伝う様になった時に、他の皆にも『気が向いたら出ても良いから』って言ってたらしいね。実際、表に出てお客さんと直接話す様にしたら、そのまま指名される事も結構多くて、皆も乗り気になったんだって。そっちは強制じゃなくて本人の気が向いた時だけらしいけど、意外と皆、出てくれるんじゃないかな……って話してた」
「だろうな。翔みたいに飲むのが好きなヤツは、率先して出るだろう。客のおごりで飲める事が多いからな。で、麻紀は元気だったか?」
「すごく元気そうだったよ。やっぱり僕から見ても、以前より明るくなったと思うし、表情も穏やかになった気がする。翔が明るい人だから、色々と影響されてちょっと似てきたのかもね」
 恋人が出来てから少しずつ変わってきた麻紀の雰囲気に、彼を昔から知っている奴等は、皆、一様に驚いている。
 最近話題になる事も多い噂話を楽しげに肯定しつつ、リビングにやってきた慶と二人で、ゆったりとソファに座って珈琲を味わった。




 出会った頃からしっかりとした考えを持っていて、小柄で可愛らしい風貌ながらも、性格そのままの強い視線が印象的だった麻紀は、翔という恋人が出来て暫くすると、段々と雰囲気が変わってきた。
 確かに言われてみればお似合いだなぁとは思うけど、何となく、麻紀はずっと一人で過ごすんだろうと勝手に決め付けていたから、自分の店のボーイとして雇い入れた翔と恋仲になったと聞いた時は、真剣に驚いた。
 もっとも、後から慶や一稀に教えて貰った話によると、翔は初対面の時から麻紀をかなり気に入っていて、「すごく可愛い」とか「そのうち口説いて恋人にしたい」などと、呑気な事をほざいていたらしい。
 俺と似たり寄ったりの、お気楽で前向き過ぎる性格の翔だからこそ、気の弱い奴なら萎縮してしまう位に居丈高な麻紀を平然と口説けたんだろうし、麻紀も彼を受け入れたのだろう。


 年上で優しくしっかり者の慶を頼りに暮らしていて、周囲からは慶のヒモ扱いされ、実際その通りな俺と同じく、慶の何倍も性格が強い年上の麻紀を恋人にした翔は、何かと彼の尻に敷かれているっぽい。
 元々が決断力のある奴で、スパスパと色んな事を即決で決めていく麻紀が相手じゃ、それなりにしっかり者の翔でも、彼の後を付いて行くのが一番だろうなぁと、部外者の俺から見てもそう思う。
 もっとも、一見そう見えるだけで、実際の関係は少し違うんだろうなとも感じている。
 以前にも増して毎日上機嫌で過ごしている翔は、何かにつけて年上の麻紀を立て、勤めている店のオーナーでもある麻紀の立場を大切にしているし、麻紀も素っ気ない口振りながらも、その雰囲気が変わってくる位に翔を受け入れ、彼の影響を受けているらしい。
 翔は何気に尽くすタイプの優しい奴だし、麻紀も、自分の内側に入ってきた者を大切にする包容力に富んだ奴だから、年下の翔とは色んな意味で上手くいくと思う。
 放っておいても収まる所に収まるモンだなぁ……と妙にしんみりと納得していると、同じ事を考えていたのか、慶も安心した様子で深々と溜息を吐いた。




「ホント、麻紀が落ち着いてくれて良かった。何か理由があるんだろうなとは思ってたけど、一稀の件もあったし。一時期は、麻紀は本当にどうなるんだろう? って、僕の方がハラハラしてたから」
「確かに。アイツは昔から用件だけを伝えてゴソゴソと動き回るだけで、その理由を全く説明してくれないからな。誤解を招く言動も多いし、誰かに一言相談すれば良いのになぁと思ってたけど、その相手がいなかった。今後は翔がいる事だし、麻紀も色々と考えてくれるんじゃねぇか?」
「そうなるだろうね。翔の意見を無視して、自分の考えだけを押し通す麻紀じゃないから。翔なら色んな相談にも乗れるし、これからは二人で仲良くやってくれると良いな」
 同じ歳で昔から仲も良い麻紀の予想外の行動に、あの頃の慶は自分の事の様に本気で悩み、ずっと心を痛めていた。
 ホッとした表情を浮かべ、穏やかに呟く慶に向かって頷きながら、また珈琲を一口飲んだ。


 単純に「嫌いだから」って理由で嫌がらせなどをするタイプじゃないし、きっと何か考えがあるのは分かっていたけど、状況だけ見ると麻紀の真意が全然掴めず、話を聞いた慶は本当に戸惑っていた。
 個々に仲良くしていた者同士のトラブルを知って、何とかしてやりたいと考えていた慶だけど、自分の仕事の忙しさもあって、思う様に動けずにいた。
 ようやく眠りにつく前の一時、腕の中で彼等の事を心配そうに語る慶を抱き締めながら、俺もまた、慶の不安を取り除いてやる事が出来なかった。
 あの時、不安な慶に何にもしてやれなかったからこそ、ささやかながら出来るだけの手伝いをしつつ、胸を痛めている慶の傍にずっといてやろうと、自分達の関係についても改めて考えられたんだと思っている。
 結局、あの問題もすんなりと解決して、俺達自身の関係を含めて、以前よりも親密な交際があちこちで順調に続いていた。




「それより、今日はお店にいなくて正解だったかもね。皆が全員揃っていたし、おまけに麻紀達もいたでしょ。博人は格好の的になったんじゃないかな」
 久しぶりに俺が顔を出さなかった、今日の店の様子を思い出したのか、クスクスと笑いながら話しかけてきた慶の言葉に、思わず苦笑いを浮かべた。
「絶対にそうなるだろう。考えただけでも恐ろしいな。アイツ等が勢揃いしてたら、俺なんか何言っても敵う訳ねぇよ」
「ティコは性格が優しいから大丈夫だろうけど、麻紀と一稀は本当に毒舌だから。悪気は無さそうだけど、何かとハッキリ言い過ぎなんだよね」
「俺が言うのも何だが、あの二人は『遠慮』ってモンを知らないからな。麻紀は少しマシになってきたけど、一稀はジェイと付き合う様になって、ますます強気になった気がする……」


 あれだけ仲良くしてるから当然だろうけど、恋人であるジェイの影響を受けてか、一稀の毒舌ぶりは以前にも増してエスカレートしてきた。
 まだ10代のガキの頃から、彼よりはるかに年上の俺を捕まえては「ちゃんと仕事をしろ」だの「遊び歩いてたら慶が可哀想だ」とか生意気な助言を繰り返していたけど、最近では麻紀と一緒になって、あれこれと説教してくる様になってきた。
 年齢的にも生意気盛りの年頃だし、元々勝気な性格だから、ある程度は仕方ないとは思う。
 でも彼の場合はジェイと同じで、この調子でずっと続くんだろうなぁと半ば諦めながら、揃って店にやって来ては手伝ってる俺を捕まえ、やいのやいのと口煩い麻紀と一稀の話を、いつも右から左に聞き流している。


 慶の友達だってのは重々承知していたけど、麻紀が売り専ボーイで働いていた頃は何度か買いに行った事があるし、それはティコや一稀も同じで、何気に皆と寝た事があった。
 彼等も其々に恋人が出来て売りから離れたし、もう彼等と抱き合う事は無いだろうけど、昔からの顔馴染の気安さもあり、今でも皆とは友人として親しく付き合って貰っている。
 もっとも、俺から見れば慶が一番だと思うし、彼に不満なんて全く無い。
 しっかりしていて頼りになるし本当に綺麗で優しい慶が、やっぱり誰と比べてみても、非の打ち所がない最高の恋人だよな……と、一人で大いに満足していると、隣に座ってた本人が静かにソファから立ち上がった。




「せっかく早く帰れた事だし、僕も早めにお風呂に入ってゆっくりしようかな」
「そうだな。片付けは俺がやっておくから、このままで大丈夫だ」
 飲み終わったカップに手を伸ばそうとしている慶に声をかけると、彼は和やかに微笑んだ。
「大丈夫だよ、コレ位なら数分もかからないし。博人もお母さんの助手やってきて疲れてるでしょ?」
「いや、そうでもねぇよ。半分は話し相手をしてただけだ。それに、今日は皿洗いをやってないからな。最近は毎日、店の皿洗いをやっていたから、何もしないと色々忘れてるみたいで変な気分だ」
 冗談めかして答えてみると、慶が楽しそうに声を上げて笑いながら、頬に軽くキスしてくれた。


「ありがと。じゃあ、洗い物だけ頼もうかな。お風呂から上がったら、また淹れてあげるから」
「分かった。ゆっくり入ってくればいい。こんな時間に戻れるなんて久しぶりだからな」
 休みの日ならともかく、店を営業しているのに早く帰るなんて、多分、月に一度も無いと思う。
 毎日働き通しなのに愚痴一つ溢そうとしない慶に、そう声をかけてやると、彼は見慣れた笑顔で嬉しそうに頷いてくれた。


 皿洗い程度であんな笑顔を見せてくれるなら、別に大した事じゃないし、毎日でも洗ってやろうと思う。
 この程度が精一杯で、胸のうちでは色々やってあげたいとは思っているものの、結局、何も出来ずに日々を過ごしている俺を、慶は変に急かす事無く、暖かく見守ってくれている。
 皆も其々に自分の恋人が一番だと思っているだろうけど、俺にとっては慶が最高の恋人で、出会ってからずっと、彼以外に気持ちが傾いた事は無い。
 それはこれから先も変わらないだろうから、慶が俺に愛想を尽かさない限り、このまま二人で過ごすんだろう。
 慶もそう思ってくれていると良いなぁと願いながら、サラサラと長い髪を揺らしながらバスルームに向かう後姿を、ぼんやりと見送っていた。






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