Milky way 01

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 背中にぎゅっと縋り付いてボロボロと涙を流しながら、何年もの間、自分の胸の中で押し殺していたやるせない思いを、一稀はようやく話してくれた。
 一稀の過去の話を自分は聞きたがっていたのか…、それは今でも分からないけど、彼が自分にだけ話してくれた事は素直に嬉しく感じた。




 泣き疲れて微睡み始めた身体を抱え、ベッドにそっと寝かせてやって、自分もその隣に横たわる。
 もう見慣れてきた、幼い子供みたいな無垢な寝顔ですうすうと寝息を立てる一稀の姿を、今までとは少し違う性質の穏やかな気持ちで見詰め続けた。


 歳相応の大人っぽさも子供らしさも持っていたけど、本当の一稀の心は、母親に置いていかれたあの頃のまま、ずっと止まっていたのかもしれない。
 引いている手をきつく握り返してくれるのに、足だけは動かそうとせず、俯いて立ち尽くしている子供の様だった一稀の姿の意味が、ようやく理解出来た気がした。


 誰かに置いていかれる事を、頑なに恐れている彼の気持ちを知ろうとせず、強引に引っ張り過ぎてたのかもしれない。
 …少し疲れさせてしまったかもな…と、ぐっすりと眠り込んでいる華奢な身体を抱き寄せ、彼を包む込む様に腕を廻した。




 本当の一稀の姿は、彼が自分で思っているより、ずっと強くてしなやかだと思う。唯一無条件に信頼していた大切な人が、急に自分の元を去って行く辛さは、自分もそれなりに味わっていたから理解しているつもりでいる。
 その後に襲ってくる虚ろな気持ちを、たった一人きりで乗り切った彼が、弱い人間である筈がない。
 只、彼が自分でそう気付く時が来るまで…
 その間だけは、彼が望むだけ抱き締めてやろうと、そう決めた。


 寂しくて閉じたままだった眸を開いた彼は、これからどんな大人になっていくんだろうな…と、そう考えただけで、何となく胸が弾んでくる。
 2人でいても賑やかに話す方じゃなかったのに、一稀のいなかった一夜は、本当に長く感じた。縋りついてきたのは一稀だけれど、本当は自分の方も、抱き締めた温もりに安心していたんだと思う。
 彼と母親の姿と同じ様に、幼い頃から穏やかな時間を一緒に過ごしていた祖母を亡くしてから、きっと自分も色んな事に飢えていたんだろう…と、彼の話を聞きながらそう気付いた。


 こうして2人だけの空間で抱き合っていると、ずっと遠い昔に忘れてしまっていた、様々な淡い感情を思い出す。
 驚くほどに長く感じた『彼のいなかった一夜』の喪失感を埋めようと、一稀の身体を抱き締めたまま、穏やかな午後の一時にウトウトと微睡んでいた。






*****






「ほら!俺の方がタイムも良いじゃん。やっぱ、ジェイは少し攻め過ぎなんだって」
「うるせぇな、俺はあれでいい。ゲームの中でまでチンタラ走っても面白くねぇよ」
「んー、そうかなぁ?ゲームでも最後まで走りきった方が面白いって。俺、コイツを抜かすまで止めないからな!」
 背中を暖めてくれる姿にそう宣言してみる。それには応えず、ククッ…と笑いながら腕を伸ばしてきてゲームの邪魔をしてくる手を、ペシペシと叩いてやった。


 昨夜はあまりぐっすりとは眠れなかったせいか、いつの間にか眠ってしまったらしい。
 途中でちょっと目を覚ました時にジェイも寝ているのに気付いたから、そのまま一緒に昼寝をした。やっぱりジェイに抱かれるのは心地好くて、少しの時間だったけど熟睡出来た。
 少しだけ昼寝をして、ちょっと遅めのお昼ご飯代わりに、2人でお菓子を半分ずつ食べた。 「今日はずっと此処にいる」と言ってた通り、のんびりと寛ぐジェイと一緒に、夕方までゲームをする事にした。


 ぎゃあぎゃあと騒ぎながらゲームを続けていると、膝の間に抱え込んで背中を包んでいるジェイが、ゴソゴソと携帯を手繰り寄せた。
 何処にかけてるのかな…?と、それとなく様子を伺っていると、どうやら店にいる中川にかけたらしく、「今日は2人共、顔を出さねぇから」と話し始めた。
 何となく楽しそうな声色で話すジェイの様子に、ゲームを続けながら一瞬首を傾げた。でも直ぐに山場が迫ってきたから、それは後で聞く事にして、またゲームに集中した。




「ジェイ、何か楽しい事でもあった?」
 中川との話を終えて携帯を切ったジェイに振り返って問いかけると、彼が頭を撫でてくれた。
「別に。どうしてそう思う?」
「うーん…。何となく。ちょっと機嫌良さそうに話してたから、何か良い事でもあったのかな?って」
「確かに良い事はあったな。お前、分からねぇのか?」
「え、俺も知ってる事?何かあったかな…」


 次のレースが始まるまでの間、腕を止めて考え込んでいると、肩口に顔を埋めたジェイのくぐもった笑い声が聞こえてきた。
「別に大した事じゃねぇ。分からないなら気にするな」
「ホント?気にしなくても良いような事?」
「まぁな。そう悩まなくても大丈夫だ。お前は次のレースに集中してろ」
 そう答えながらジェイがお腹に腕を廻してきたから、慌てて前を向いて次のレーススタートに意識を向けた。少しだけ「何の事だろう…?」って気になるけど、ジェイは「気にしなくて良い」って言うし、本当に機嫌が良さそうだから深く考えない事にした。


 何処となく線の細い、華奢な身体つきの自分と違って、ジェイの身体は筋肉質ってわけでもないのに、何となく大きくて抱き締められると心地好い。
 以前からこうして賑やかにゲームをしたりして2人だけで遊ぶ事はあったけど、今までより本当に楽しく思える。彼に本当の事を話すのには、やっぱりかなりの勇気が必要だったけど、頑張って話して良かった…とそう思った。


 母親がいなくなって一人ぼっちになってから、随分と自信を無くした。
 自分は要らない子なんだろうな…って、そう断言されたみたいで、誰かと深く関係を持つ事を本当に恐れていた。
 ジェイに本当の事を話して、見捨てられたらどうしよう…?と、そんな事を考えていたんだと思う。肉親に見放されてしまうなんて何の価値もない奴だなと、そんな風に受け取られるんじゃないか?って不安だった。
 でも、それは無駄な危惧だったんだなって気付いた。
 今までもこうして背中から抱きかかえてくれる事はあったけど、昨日までとは明らかに違う彼の手付きが、何にもその事に触れてくれないジェイの気持ちを、ハッキリと伝えてくれた。


 彼に話して慰めてもらおう…なんて考えてなかったから、逆に何も言ってくれない方が嬉しく感じる。きっと、ジェイはそういう人だ、って無意識に悟っていたから、彼の事をこんなに好きになったのかもしれない。
 小さい頃から「お父さんがいなくて可哀想だね」とか、そんな事を言われるのが大嫌いだった。
 父親に会ってみたいなと思う事はあったけど、でも、父親を知らない自分を可哀想とか、そんな風に思った事は一度もなかった。
 母さんとあんな風に離れてしまった事は寂しく思うけど、俺は可哀想な子だとは考えていない。
 寂しく思ってしまう自分が少し子供なだけで、他の皆より、ちょっとだけ早く親元を離れる事になってしまっただけだ…って、今はそう考えている。


 でも、そう考えられるようになったのは、きっと今、ジェイがこうして抱き締めてくれているからなんだろうな…って、それも何となく理解していた。
 暖かく包んでくれるジェイに抱かれていると、お父さんってこんな感じなのかな…?って、彼が聞いたら怒りそうな事を考えた事もある。
 色んな事を素直に話して、今までよりもっと優しく包んでくれるジェイに、少し甘えてみても良いかな…って、そんな気がしてきた。




 ジェイは、今まで自分が知らなかった色んな気持ちを教えてくれる。彼を好きになって沢山泣いた気がするけど、ただ寂しくて流れる涙を1人で堪えていた頃より、ずっと幸せな気分になれた。
 今は何も出来ないけど、俺もそのうち、彼に何かを教えてあげられる様になりたい。
 そんな事を漠然と考えながら、腹に廻っているジェイの手を取ってコントローラーを握らせ、何度言っても全開で走ろうとする彼に、上手なレースゲームのやり方を大騒ぎしながら教えてあげた。






*****






 陽も落ちて周囲が夜の雰囲気に変わった頃、一緒にご飯を食べに出かける準備を始めた。
 ジェイと一緒に暮らし始めて数ヶ月経ったけど、2人で食事に行った事は、まだ数える程しかない。普段はお店で何か用意して貰って、それで済ませる事が多いし、お店に行かない日は、部屋で簡単な食事を作ったり、宅配ピザを頼んだりする事が多かった。


 母親が置いていってくれる僅かなお金だけで暮らしていた頃、ご飯は全部自分で作ってたから、結構、色んなご飯を作れる方だと思う。それを知ったジェイが面白がって「アレが食べたい」とか「コレを作ってみろ」とか調子に乗って注文するから、こっちもムキになって作ってみた。
 自分では、わりと良く出来たな…って位の料理だったけど、ジェイは気に入ってくれたらしい。「案外、美味いな」と言いながら全部食べてくれたのを見て、彼の前では平然としてたけど、本当はすごく嬉しかった。
 だから、今日も家で食べるんだろうなと、当たり前の様に考えてたから「外に食べに行こう」って言われた時は、ちょっと驚いてしまって胸がドクリと高鳴った。
 ジェイにご飯を作ってあげるのは楽しいけど、今日はちょっとだけ、その時間が勿体無いな…と思っていた。今はジェイにくっ付いていたいから、料理を作っている時は1人になるから嫌だな…って、そう考えたのがバレたのかな?と、少しソワソワしてしまう。


 携帯をポケットに突っ込みながら、チラリとジェイの方を探ってみると、彼は普段通りの表情を浮かべている。
 …もしかして、ジェイも同じ事を考えたのかな?って、自分の都合の良い風に解釈しながら、スタスタと玄関の方に向かった彼の後を追って、久しぶりに2人だけで過ごす夜の街にへと出かけていった。






 夜の街を歩く事は慣れてるけど、それは自分達の居場所である男ばかりの界隈だけで、意外と他の場所をうろつく事は少なかった。
 ジェイと他の場所に出かけた事はあるけど、それは昼間ばかりで、此処にも何度か彼と来た事はあるけど、その時もまだ夕方って言える時間帯だった。
 初めて見る夜間の賑やかな雰囲気に少々戸惑いながら、ジェイに肩を抱かれたまま、のんびりとお店を覗いて廻った。


 基本的に、ウチのお店は恋人のいないヤツばかりだから、ジェイと一緒に行く事はあっても、あまりくっ付かない様にしている。ジェイは「気にする事はねぇよ」と言ってくれるけど、やっぱり自分が少し遠慮してしまう。
 だから一緒に外出する時が一番くっ付いてるかも…と思いながら、引き寄せられる腕に身を任せて、ジェイと並んで夜の街を歩いて行く。
 やっぱり男同士で堂々とくっ付いてるのは珍しいから、行き交う人達がチラチラと視線を向けてくるのが分かる。それでも、そんな事は全く気にせず、耳元でアレコレと囁いてくるジェイの仕草を、ちょっと照れ臭いけど嬉しく思った。




「一稀、何か食べたいのは無いのか?」
 通りすがりの店のメニューに、チラリと視線を流しながら、そう問いかけてきたジェイの言葉に、彼の腰に腕を廻しながら考えた。
「んー…。今日は麺類が食べたい。普段、お店では食べないからさ。ラーメンでも良いけど」
「ラーメンか…。俺はパスタ系の方が良いな」
「あ、それもいいな。じゃあ真ん中取って、箸で食べるパスタのお店に行く?この前、皆で行って来たんだけど、すっげぇ美味しかったぜ」


 真顔でそう答える一稀の顔をジッと見詰めた後、何だか堪えきれなくなってきて、ジェイはククッ…と笑い声を洩らした。


「…何?俺、変な事言ったかな?」
「いや、別に…。お前、ラーメンとパスタの中間は『箸で食べるパスタ』なのか?」
「え、そうだろ?違うかな?」
「お前がそう思うんなら、それで良い。気にするな。その店は近いのか?」
「うん、ちょっと行き過ぎたから戻るけど。駐車場にも近いから、ソコにしようぜ」
 そう話しながら足を止めて、また歩いてきたばかりの道を戻っていく。




 食事をする店も決まって、もう普段の会話をしているのに、ジェイは時々思い出してるのか、1人で笑いを我慢してる。
 全然面白い事を言った覚えはないし、何がそんなにハマったのかな…?と考えてみるけど、どうもいまいち理解出来ない。ジェイの笑いのツボって全然分かんねぇな…と、やたらと上機嫌なジェイに肩を抱かれたまま考え込んだ。


 メニューを問いかけてくるジェイに答えながら、そういえばジェイって海老好きだよなと思い出して、それを中心に教えてあげた。俺も海老好きだけど、ジェイと同じのを頼んでも面白くないから、彼とは違う物にしようと考えた。
 ジェイと一緒にいると、ご飯のメニューを考えるだけでも、本当に楽しくてしょうがない。
 …俺は何にしようかな?と、先週行ったばかりでまだ記憶に残っている店のメニューを、ジェイに話してやりながら、2人だけの楽しい時間に何を食べるか、あれこれと思い浮かべていた。






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