一稀の日常 01

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 ピピピ……という電子音で、今日も無理矢理、心地良い睡眠から連れ戻される。
 とりあえず音を止めなきゃ……と思って腕だけを伸ばしてゴソゴソと探っていると、今朝もいつもと同じ様に、目覚まし時計に触ってないのに勝手に音が鳴り止んだ。




「……おはよ、ジェイ……今日も止めてくれてありがと……」
「あぁ、おはよう。俺の方が腕も長い。先に届くのは当然だろう、気にするな」
 もうすっかり普段通りの声色になっているジェイが、そう答えながら、目覚ましに伸ばしていた腕を戻してきて、今度は俺の身体をギュッと抱き締め、背中を軽く叩いてくれた。


 確かにジェイの方が腕は長いとは思うけど、距離的には俺が手を伸ばした方が全然近い。
 でも半々位の確率でジェイが先に止めてくれて、寝惚けた俺の頭がハッキリしてくるまで、こうして頭や背中を撫でてくれる。
 暖かいし気持ち好過ぎて逆にウトウトしてくるけど、こうされるのは嫌じゃないから、まだちょっとだけ眠いふりをして、いつもジェイの腕の中で微睡んでいる。
 よく考えると、夜寝る時もこんな感じで、いつもジェイに抱かれてる様な気がしてきた。


 夜中に自然と目が覚めてしまった時なんかに、隣で寝ている彼の寝顔を見る事はあるけど、基本的にジェイの方が遅くまで起きてて、朝も目覚まし時計が鳴れば、直ぐに目が覚めるらしい。
 ジェイ本人は「あまり寝なくても大丈夫な体質だから」って言うけど、そんな体質があるのかなぁ……? と不思議に思う。
 俺もジェイ位の歳になったら、彼みたいに早起き出来る様になるのかな? とか、ぼんやりする頭で考えながら、暖かい胸元でゴソゴソと身動いだ。




 そうしてる間にも、彼が頭を撫でてくれたり、頬に沢山キスしてくれるから、段々と目覚めてきた。
「ようやくお目覚めだな。そろそろ動けるか?」
「ん、もう起きた……ご飯、作らなきゃ……」
 昨夜のうちに聞くのを忘れてたけど、今日は平日だから、ジェイも一日仕事がある筈だと思う。
 休みの日なら朝昼まとめてのご飯でも良いけど、お互いに仕事がある日は、ちゃんと食べなきゃ元気が出ない。
 俺は学校が無い日だから、開店からジェイが帰ってくる時間まで、お店の手伝いに行く事になっている。
 だから早起きしなきゃなぁ……と思いながら答えると、ククッと軽く笑ったジェイが、また頬にキスしてくれた。


 毎日こんな感じで朝を迎えているから、目覚まし時計で起きてるのか、それとも、ジェイに起こして貰ってるのか。自分でもよく分からない。
 もし、ジェイが出張とかで不在になったら、俺は一人で起きれるのかな? と自分でも不安になりながら、抱き起こしてくれる彼に促され、眠い目を擦りながらベッドルームを後にした。






*****






 昼間と同じ様な速さで、サッサと身支度を済ませたジェイから少し遅れて、何とか顔を洗って本格的に目を覚ましてからキッチンに向かっていく。
 先に朝食の支度を始めているジェイは、今日はスクランブルエッグとかの副食を作ってくれるらしい。
 仕事はお昼近くからで良いんだなぁと思いながら、フライパンを持っている彼の手元をチラッと覗き込んで見ると、大きくザクザクと切ったベーコンを炒めていた。
 それを見てちょっと考えた後、彼が作っている料理に合いそうな、イングリッシュマフィンを冷凍庫から取り出し、既に暖めてくれていたトースターに二つ入れた。


 ジェイが朝一から会社に行かなくても良い日は、いつもこんな感じで朝食の準備を手伝ってくれる。
 仕事のある日は準備とかで忙しそうにしてるけど、お昼位からで大丈夫な日は、二人で一緒に朝食を作るのが、いつの間にか当たり前になっていた。
 最初の頃は「何を作ってるの?」とか、寝る前にも「明日は朝も早い?」などと聞いていたけど、もうそんな事は聞かなくても理解出来る。
 それはジェイの方も同じで、以前は「今日はドッチの準備をしたいんだ?」と訊ねられる事も多かったのに、今は何も聞かずに、その時の時間やジェイの都合に合わせて手伝ってくれる様になっていた。
 彼がパンを焼いたり、珈琲を淹れる方を手伝ってくれる日は、朝食後の間もない午前中から、仕事に行ったりする場合が多い。
 だから、今日はゆっくりで良いんだなと納得しつつ、手際の良い彼に遅れない様に気をつけながら、朝食を作っていった。







 和食も好きなジェイだけど、朝食だけは、シリアルとかの軽い物じゃないとダメらしい。
 パンにスクランブルエッグを付けたりするのも、俺が好きだからジェイも食べる様になっただけで、以前は「シリアルにヨーグルトだけで済ませてた」と教えてくれた。
 俺も朝食は洋風な方が好きだし、シリアルも嫌いじゃない。
 こういう好みが似てて良かったなと、ちょっと嬉しく思いながら、もうすっかり当たり前な二人一緒の朝食の時間を、ゆったりと過ごしていった。




「ジェイ、今日の仕事は午後からなのかな? お昼ご飯はどうするの?」
 最近は朝食後すぐに出かける準備を始めて、10時位には仕事に向かう事の多かったジェイが、今朝はのんびりとリビングに居座っている。
 キッチンで食器を洗いながらカウンター越しに問いかけると、リビングのテーブルでノートパソコンに向かっているジェイが、チラリと視線を向けてきた。
「午後からだ。予定変更のメールも届いてないし、昼食過ぎまでいても大丈夫だな。昼前に田上が打ち合わせに来る事になっている。アイツの分も用意出来るか?」
「大丈夫。じゃあ、三人分だな。ジェイはお昼までのんびりしとく?」
「そうだな……時間もあるし、少し泳いで来よう。1時間程で戻ってくる」
 届いていたメールにも急用は無かったらしく、そう答えたジェイがパソコンを閉じて立ち上がった。


 ジェイは泳ぐのが好きみたいで、こんな感じでちょっとした時間があれば、マンション内にあるプールに行く事が多い。
 大きなタトゥも入ってるし、普通のスポーツクラブとかだと断られる場合があるから、タトゥ入りの人が珍しくないこの界隈で、居住者専用のフィットネスがあるマンションを選んだと、ずっと前に教えてくれた。
 アメリカで住んでた家の庭にプールがあって、暑い時はソコで遊んだりするのが普通だったから、今でも、軽く泳ぐのは遊びの延長みたいなイメージがあるらしい。
 ジェイがアメリカで通っていた学校では、水泳の授業やプールそのものが無かったそうで、日本に来て、当然の様に学校にプールがあり、水泳の授業も普通にあるのを知って、本当にビックリしたらしい。
 だから、泳ぐのを本格的に覚えたのは日本に来てからだって聞いたけど、小学校からずっと水泳の授業があった俺より、ずっと上手に長い距離を泳げる。
 ジェイって運動神経も良いんだなぁと感心しながら、二人とも暇な時はマンション内のプールに行って、ほとんど貸切状態で、のんびりと遊んでいる。


 一瞬だけ、俺も一緒に行こうかなと考えたけど、学校のレポートが残っているのを思い出し、ちょっと残念だけど今日は諦める事にした。
 フラリと出て行く彼を玄関まで見送り、またキッチンに戻ってきて片付けてから、今度は脱衣場に行って洗濯をする事にした。




 昔住んでた家は、本当に古い二階建ての木造アパートだったから、洗濯機は外にしか置けなかったし、洗った物もベランダに干していた。
 でも、ジェイと暮らす様になったこのマンションは、凄く立派で高層階だし、室内に洗濯機を置く場所もある。
 冬でも寒くないから、それは嬉しく思ったけど、洗った洗濯物はどうするんだろう……? と、一番最初に来た時は、ちょっと悩んでしまった。


 ココに越してくる前にジェイが借りてくれていた、今は皆の別荘になっているワンルームに住んでた時は、8階だったからベランダに干していた。
 でも、このマンションはベランダに出れない様になってるし、それ以前に、もしベランダに出れたとしても、こんな高層階の外に出て洗濯物を干せとか、変な罰ゲームだとしか思えない。
 だから外に干す気は最初からないけど、今までどうしてたんだろうな? と不思議に思ってジェイに聞いてみたら、「乾燥機に放り込めばいい」と簡潔に答えてくれた。
 それだけじゃ分からないから詳しく聞いてみると、基本的に服は全部クリーニングに出していて、自分ではタオルや下着類程度しか洗濯しないから、洗濯機から出すと、そのまま全部を衣類乾燥機に入れていたらしい。
 それでようやく納得したけど、それはちょっと勿体無いから、やっぱり家で洗える物は、俺が洗濯機で洗う事に決めた。


 ジェイはそんな感じで『洗濯物を干す』って考えが元々ないから、色々と話を聞いても参考にならない。
 だから、彼と一緒に暮らしていた中川に質問したら、脱衣場にも浴室乾燥機と同じ物が付いているそうで「俺はソコに干している」と答えてくれた。
 キレイ好きで洗濯も大好きなティコにも聞いてみると「脱衣場に干して除湿機もかけとくと、マジで数時間で乾くから良いよ」と、また別な方法も教えてくれた。
 だから、ジェイが仕事で着ているスーツや高そうな服はクリーニングに出して、普段着なんかは今まで通りに洗濯機でガンガン洗って、脱衣場に干して浴室乾燥や除湿機をかけたり、普通の衣類乾燥機で乾かす事にした。


 昔は「洗濯って面倒だな」と思って、あんまり好きじゃなかったけど、今のマンションはベランダと部屋とをウロウロしなくて良いし、直ぐに乾くから洗濯も楽しくなってきた。
 そんな理由もあるけど、俺のだけじゃなくて、ジェイのも一緒に洗濯してるから楽しんだろうなと思いながら、もうすっかり慣れてきた朝の家事を、滞りなく済ませていった。






 掃除や洗濯を終わらせてから、学校に提出するレポートをリビングでゴソゴソとやっていると、思っていたより早い時間に、秘書の田上がやってきた。
 予定が早くなったのかなぁと心配しつつ訊ねてみると、単純に会社での用事が早く終わったから来ただけで、特に意味は無いらしい。
 いつになく時間的に余裕のあるジェイと同じく、今日は割りとゆったり出来るそうで「ジェイはプールに行ってる」と教えても、特に困った様子もない。
 ジェイが帰って来るまでは少々暇な田上に、レポートを一緒に考えて貰いながら勉強していると、ジェイがプールから戻ってきた。


 時計を見たら、お昼ご飯の用意をするのに丁度良さそうな時間になっていたから、勉強は一旦中断して、キッチンにへと向かった。
 最近は一人でお昼を食べる事が多かったから、久しぶりに賑やかな一時に、ちょっと嬉しくなってくる。
 適当で良いかな……と、何かと手を抜きがちな普段の昼食と比べて、倍以上はありそうな料理を作りながら、時折聞こえてくる二人の話し声を、心地良く感じていた。






*****






「ジェイ。今日は帰ってくるのも早い?」
 一足先に駐車場に向かった田上に少し遅れて、スーツに着替えて部屋を出てきたジェイに問いかけた。


「あぁ、そうだな。普段よりは早く戻れると思う。店で待ってろ」
「ん、分かった。晩御飯は、お店で食べて帰るの?」
「その方が良いだろう。家に帰ってからは、のんびりと過ごしたい。せっかく時間がありそうだからな」
「言えてる。じゃあ、晩御飯を頼んどく」
 家で晩御飯も好きだけど、やっぱり片付けの時間とかもあるから、二人でゆっくりしたい時は、お店で賄い料理を皆と一緒に食べてきた方が、何かと余裕があったりする。
 お店で料理をしているのは本職の料理人達だから、賄い料理でも本当に美味しいし、ボーイの皆もほとんどコレばかりを食べている。
 基本的に沢山作ってくれるから無くなる心配はないけど、ジェイも食べる時は、一応、そう言って頼んでおくと、彼の好きなのを別に作ってくれる事も多い。
 今日は時間的にも早そうだし、お店に行ったら直ぐに頼んでおかなきゃ……と考えながら、ジェイと一緒に玄関に向かった。




「一稀、今日は開店から店に行くのか?」
 ふと思い出した様に問いかけてきた彼を見上げて、すんなりと頷いた。
「うん。ティコと二人で開店から。中川さんが少し遅く出勤の日だったと思う」
「そうか。それなら、もうあまり時間が無いんだな。片付けが終わらなかったら、夜にでもやればいい。俺も手伝ってやる」
「あ……ジェイ、そんなトコまで見てたのか。あとちょっとだし、何とか終わると思うんだけど」
 昼食後のおしゃべりが楽し過ぎて、ずっと一緒にリビングで話をしていたから、まだ全部の片付けが終わってないのを、しっかりと見ていたらしい。
 少し恥ずかしく思いながら答えると、ククッと笑ったジェイが軽くキスを落としてくれた。


「慌てなくていい。今日は三人分だったからな。普段より洗い物も多いし、時間がかかるのは当然だ」
「ありがと、ジェイ。もしかしたら、ちょっと残るかもしれないけど……多分、大丈夫だと思う」
 まだ少し時間もあるし、レポートをお店に持っていって向こうの空き時間にする様にすれば、何とか片付け終わりそうな気がする。
 だからそう答えて、もう一度ちゃんとキスして、仕事に向かう彼を玄関から見送った。




 ジェイと一緒に暮らし始めて随分と時間が過ぎたけど、今でも、仕事に行く彼を「行ってらっしゃい」とお見送りするのは続けている。
 やっぱり少しでも長い時間を一緒にいたいし、ジェイもお見送りされると嬉しいと言ってくれた。
 俺も好きでやってるから、特に大変だとは思わないし、逆にやらないと忘れ物したみたいで、少し変な気分になってくる。
 今日もちゃんとお見送り出来た事に満足しながら、ちょっと慌ててキッチンに向かい、お昼の片付けに戻った。


 ジェイが言っていた通り、そろそろお店に行く時間が近づいている。
 とりあえず洗い物だけは終わらせて、食器棚に仕舞うのは帰ってからだな……とか考えながら、あと少しだけ残っている食器類を大急ぎで洗っていった。






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2010/3/27  yuuki yasuhara  All rights reserved.