Eros act-5 20

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「そろそろ卒業式のシーズンだな。一稀の卒業式は、いつ頃になるんだ?」
 賑やかな店の中、すっかり出来上がっている武内代議士が上機嫌で問いかけてきた。
 一瞬、何の事だか思い浮かばなかったものの、直ぐに一稀が通っている通信制高校の卒業式の事だと気付く。
 俺の隣に座っている一稀も分かったらしく、向かいのソファにいる武内代議士を見詰め、笑顔のまま首を横に振った。


「もうすぐ卒業式はあるけど、今回は春に入学した人達だけ。俺はもうちょっと先なんだ。秋に入学したから、確か9月に卒業式だったと思う」
「半年先になるのか……やはり違うんだな。確認して良かった。お祝いは何が良いか聞こうと思ってたんだが、まだ少し早過ぎるか」
「え、お祝いとかいいのに……普通の学校と違うから、ホントに『はい、全部終わりました』ってだけの、あっさりした感じだしさ。あんまり大騒ぎする事じゃないと思うなぁ」
「そんな事はない。店の手伝いをしながら勉強して、それを4年間も続けたんだからな。とても偉い事だし頑張ったじゃないか。他の皆もお祝いしてくれるだろうから重複しないように打ち合わせが必要だな。一稀は何が良いか考えておくと良い」
 息子や孫同然に可愛がっている一稀の卒業式だから、俺の親父や武内代議士など、彼を大のお気に入りな爺様連中が黙っている筈がない。
 すっかり好々爺の様相で嬉しそうに話しかけている武内代議士と、いつものちょっと困った表情で遠慮している一稀のやり取りを眺めていると、ふと、一稀が初めて「学校に行きたい」と相談してきた時の光景を思い出した。


「卒業か……もうそんなに経つのか。早いもんだな」
「うん、そうかも。今言われて、自分でもビックリした。まだ半年先だから実感無かったけど、そんなに過ぎてたんだな」
 何気なく呟いてみると、一稀もコクリと頷いて応えてくれた。
 どんな学校があるのか調べようと、覚束ない手つきで恐々とパソコンを触っていた一稀も、あれから4年が過ぎようとしている今では、学校へ提出するレポートもパソコンで難なく作成出来るようになっている。
 他にも色々な事が自分一人で出来る様になったし、ずっと一緒にいるから気付いてなかったけど、改めて考えると本当に成長したもんだと驚いてしまった。


「9月に卒業式を迎える学校があるのか。何か専門学校にでも行ってるのか?」
 卒業のお祝い話で武内代議士が盛り上がる中、不思議そうな表情で皆の会話を聞いていた藤原が、グラスを片手に会話の頃合いを見計らって問いかけてきた。
「教えてなかったか? 一稀は通信制の高校に席を置いている。毎日通学する必要は無いし、空き時間に店の手伝いをやりながらだけどな。俺と暮らす様になって入学したから、今年が4年目で卒業なんだ」
「あぁ、なるほど。それで20歳過ぎて卒業なのか。4年間も両立させたとは頑張ったんだな……もしかしたら、あの騒動が起こった時も在学中だったのか?」
「そうだな。俺の看病もあったし、あの時は病院内で勉強をしていた。4年の間に色々と状況も変わったもんだ」


 最初に一稀から相談を受けた時は、正直、卒業まで辿り着く可能性は半々程度だろうと思っていた。
 時間の融通が利く店の手伝いとは言っても、やはり働きながら勉強をするのは大変な事だし、何より、人見知りが激しく無口な一稀が学校に通うなんて精神的にも大変だろう。
 絶対に卒業しなきゃダメな訳でもないし、本人が納得出来る所まで頑張れれば良いだろうと送り出したのに、そんな俺の予想に反して、一稀は卒業までの4年間を生真面目に通い続けた。
 本来は真っ直ぐな性格で負けず嫌いな所もあるから、少々辛い方がむきになって頑張る奴だし、それが良い方に向かったんだと思う。
 この4年間で起こった出来事を感慨深く思い出していると、一稀と和やかに話していた武内代議士が、徐に立ち上がった。


「僕はそろそろ帰るかな。まだ早い時間だが、明日は早朝から会議がある。藤原はまだ遊んでいくのか?」
「もうこんな時間か。ジャスミンの所へ顔を出すと約束しているし、俺は向こうに移動するか。ジェイ、例の話も考えておいてくれ」
 あの騒動では色々とあったものの、何だかんだで藤原や武内代議士達は、今でも深水と頻繁に連絡を取り合っては彼の元を訪ねている。
 今ではすっかり『売り専クラブの看板ママ』にへと、華麗に鞍替えしてしまった深水から受けるもてなしの数々は、やっぱり彼等の水にとことん合っているらしい。
 一緒にジャスミンの所にも顔を出すかと悩んでいる武内代議士と、半分笑いつつ誘っている藤原の後姿を眺めつつ苦笑していると、彼等を外まで見送った一稀が戻ってきた。




「ねぇ、ジェイ。さっき藤原さんが言ってた『例の話』って、またいつもの話?」
「そうだな。あいつ等が二人揃うと、いつも最後は『ジェイも政治の世界に……』と始まるからな。どれだけ仲間に引き摺り込みたいんだか……」
 深水が去って少々寂しくなったからなのか、武内代議士や藤原などの街に出入りする政治家連中が、挙って誘いの言葉をかけてくる様になってしまった。
 あまり素っ気無く断るのも何だからと、それとなく話を逸らせたりして逃げ回っているけど、結構な人数で手を変え品を変えての誘い文句に、少々辟易し始めている。
 予想以上に長く続いている勧誘活動に溜息を吐くと、一稀が小声でクスクスと笑った。
「俺が言うのも何だけど、皆、自分の意見を曲げないよなぁ。ジェイが仲間に入るまで、ずーっと言い続けそうな気もする」
「そうだな……少なくとも他に犠牲者が見付かるまでは続きそうだ。直ぐに飽きてくれると思ってたんだが、ちょっと甘かったな」
「ジェイは人気者だから、お父さんの方からも誘いが来るしさ。ジェイが三人くらい必要かも」
 楽しそうに答えた一稀が、手元のカクテルを飲み干し、店内へと視線を向けた。
 何となくその仕草につられて店内に顔を向け、相変わらず賑わっているホールをぼんやりと眺めた。


 この席から眺めたカウンターに座っていた一稀を見付け、一目惚れで出逢った時から考えると、もう5年が過ぎようとしている。
 まだ10代であどけなくて、本当に子供そのものだった一稀も、次の誕生日を迎えたら当時の俺と同じ23歳になってしまう。
 相変わらず口下手で実年齢よりも可愛らしい面持ちの一稀だけど、それなりに大人びて落ち着いてきたし、しっかりとした雰囲気も感じるようになってきた。
 こうして一緒に5年も過ごしてきたのかと思うと、何だか不思議な気分になってくる。
 あれから何かが変わったような、でも、何も変わってない。
 一稀と過ごした5年間が本当にあたり前過ぎて、過ぎて行った時間の長さに、今までまったく気付いてなかった。




「――――……俺達も帰るか。少し早いが、家でのんびりしよう」
「ん、それが良いな。二人だけでお酒を飲むなら、その方がゆっくり出来るし」
 あんなに心地良く感じていた腹に響いてくる大音量の賑やかな音楽を、ほんの少しだけ騒々しいと感じてしまう。
 素直に立ち上がった一稀を伴い、賑やかな喧騒が続いている店内を横切り、二人だけの静かなマンションにへと戻っていった。






*****






 ベッドに潜り込んできた一稀の手を取り、腕の中にへと抱え込む。
 慣れた仕草でそれに従い、そっと身体を寄り添わせてきた一稀が、胸元で甘く息を吐いた。
 彼と暮らす様になってからずっと、毎日こうして抱き合って眠りにつくけど、煩わしいと思った事は一度も無い。
 顔を上げてきた一稀にキスを落とし、そっと髪を撫でてやると、彼は嬉しそうに微笑んでくれた。


「ジェイ。今、何か考えてる?」
「俺か? まぁ、考えてるかと聞かれれば、そうなるかな。どうしてだ?」
「うーん……機嫌が悪そうとかじゃないけど、今日はずっと考え事してるなぁと思って。お店を出る前からだけど、何か気になる事があるのかなーって」
 胸元に顔を寄せたままの一稀が、ゆったりとした口調で問いかけてくる。
 ちょっぴり上目遣いの可愛らしい仕草で見詰めてくる姿の観察力に、ほんの少し驚いてしまった。


「……そうだな。色々と考えていた。クラブJのオーナーを引退しようかと思う。あの店は、既に中川とティコだけで充分に機能している。もちろん良い意味でだが、俺が口を挟む必要も無くなった」
 店長の中川がティコを恋人にして、二人で店を動かし始めた辺りから、俺があれこれと助言をする必要は無くなっている。
 その間にボーイ達の世代交代も進んでしまって、今ではもう、俺が面接をして色々な事を助言してやったボーイ達は全員引退してしまった。
 拓実や橋本の様に客として時折遊びに来てくれる彼等とは交流があるし、他店に移った翔みたいに、街に残っている奴等もいる。
 まだ当時は若かった俺と同年代だったボーイ達とは、今でも仕事を離れた友人として、楽しい付き合いが続いていた。
 俺が店の顔として闊歩していたあの頃とは、クラブJも随分と変わっている。
 中川とティコの好みが強さを増して以前よりもっと若々しく絢爛な雰囲気になった、あの店が進む方向性は俺が決めるべきではないと、少し前からおぼろげに考え始めていた。


「何となく分かるかも。ジェイがいた頃は男っぽい人が多かったけど、今は可愛い子が増えたかな」
「そうだな。ティコの雰囲気的に、そういう奴等が働きやすい店になったんだろう。男っぽい奴も拓実みたいなタイプが増えた。真面目そうな中川が選んでいるから、翔みたいに派手な奴は応募してこないんだろう」
「そうみたい。翔のトコに遊びに行ったら、やっぱり翔に似たタイプのボーイが多かった。やっぱり店長の雰囲気って大きいかも」
 藤原の騒動が解決した後、店長を任される事になった深水から「麻紀の店みたいに、小さなクラブが付いた個室メインの売り専をやりたい」と相談を受けた麻紀は、あっさりとサテンドールを運営していたマンションを明け渡し、またもや周囲の度肝を抜いた。
 何か裏があるんじゃないかと勘繰る皆を横目に、麻紀本人は「以前から店の引越を考えていた」と涼しい顔で言い放ち、サッサと移転と済ませてしまった。
 恋人の翔を店長に据えようと考えた麻紀は、宴会好きな彼の為に、もっとクラブスペースが大きな店を……と、秘かに物件を探していたらしい。
 店の運営を翔に任せ、以前より少しだけ時間の余裕が出来た麻紀は、一稀に勉強を教えてあげたりして、悠々自適な日々を過ごしていた。


「翔に店を譲ってから、麻紀はほとんど口を出してないそうだな。かなり翔の好みが入ってそうだ」
「あとは祐弥の雰囲気もあるかな。あの二人で仕切ってるから、すごく賑やかだった……それでさ、俺も学校を卒業したら、麻紀とお店をやろうかなとか考えてるんだ」
 楽しそうに話している一稀が、そのまま綻んだ笑顔で見上げてくる。
 悪戯が成功した子供みたいな表情を浮かべて、ニコニコと俺の返事を待っている一稀の顔を、呆気にとられて見詰めてしまった。


「――――……何だ、麻紀と二人でなのか?」
「だって、俺一人じゃ自信ないし。麻紀も翔が店長になってからは、毎日すっごい暇でしょうがないみたい。今日も二人でそういう話をしてて、ジェイに相談してみようって考えてたんだ」
「それは構わないが……売り専クラブでもやるのか?」
「ううん、違う。平日の昼間だけ営業する、普通の喫茶店にしようかなって。下のお店が空いてるから場所もあるしさ」
「下の……って。タカ達が隠れてた、あの空き店舗の事か?」
「うん。あの場所を最初に麻紀が見つけた時、喫茶店に良さそうな場所だなって思ってたみたい。あの場所ならオフィス街が近いし、普通の飲食店の方が繁盛するだろうとか言ってた」
 聞かされたのは始めてたけど、一稀と麻紀の間では、もうかなりの所まで話が進んでいたらしい。
 何を問いかけても詰まる事無く淡々と答えてくる一稀の髪を、ゆっくりと撫でてあげた。


「まぁ、良いんじゃねぇか。麻紀と二人でなら時間的な融通も効くし、俺も何かと安心だ。思いつきで行動する奴じゃないから、店を出しても上手く行くだろう。特に反対する理由も無い」
「ホント!? ありがとう、ジェイ。良かった……出逢った時のジェイと同じ歳になったら、俺もお店を出したいなーって、ずっと考えてたんだ。一人では無理だったけど、とりあえずはOKかな」
 本当に嬉しそうに声を弾ませた一稀が、胸元に頬を寄せたまま、そんな事を呟いた。
 抱きついている腕に力を込めた様子に笑いながら、また彼の髪を軽く撫でた。
「お前、そんな事を考えていたのか。相変わらず負けず嫌いだな」
「そうかなぁ。俺が頑張ってもジェイには追いつけないけど、ちょっとでも同じ事をしてみたいな。ジェイは政治家になるの?」
「さぁ、どうだろうな。まだ何も決めてないが、新しい何かを始めようとは思っている。最近は名前だけだったけど、オーナーの仕事が一つ減った。少し余裕が出来たからな」




 金と愛欲だけで繋がっているこの街で一稀と出逢い、此処で共に生きていこうと決心した。
 随分と負けん気の強い彼と二人で、色々な事件を起こしたり巻き込まれたりしながら、ささやかだけど暖かい二人だけの牙城を築いた。
 とても居心地が良くて気に入ってるこの街を、これからも離れるつもりは全然ない。
 でも俺達はとても欲張りで新しいモノが大好きだから、もっと広くて刺激の多い、違う居場所も欲しくなってきた。


 何が起こるか想像もつかなかった5年間も、過ぎてしまえば何もかもが懐かしい、二人の想い出になっている。
 出逢った頃以上に、かけがえのない存在になった一稀をしっかりと抱き締めたまま、柔らかなベッドに包まれながら、これから始まる新しい月日の夢をゆったりと語り合っていった。






     Eros act-5 《The end》






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