Eros act-5 15

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 何年も前からの長い付き合いになる慶とは、こういう待ち合わせをした事は幾度となくあるものの、こんな曖昧な場所で待つのは初めてだと思う。
 基本的に俺の方から誰かを呼び出す場合だと、相手が慶に限らずとも、必ず何処かの場所を指定して落ち合う事にしている。
 逆に慶から呼び出された場合でも、今まで待ち合わせ場所の指定は俺に任されていた。
 今回も当然の如く場所を指定しようとした途端、何故だか慶の方から、彼等の街へと向かう交差点の角を指定してきた。
 それを奇妙に思いつつも、今は慶の提案に従うしかあるまい――――そう自分に言い聞かせて納得し、その場所へと向かう事にした。






 ほんの一時間ほど前、ジェイの事件以来ずっと音信不通になっていた慶から、ようやく連絡が入ってきた。
 あの事件に関しては俺も思いがけない事ばかりで混乱していたし、武内代議士からも「慶の方から連絡が入るだろう」と助言が入った事もあり、俺の方からの連絡は控えていた。
 直ぐに連絡が入ってこない場合、きっとジェイの退院を待ってからになると考えていた事もあり、あまりにも中途半端な時期の呼び出しに、内心少々戸惑ってしまう。
 ましてや、こんな交差点の片隅で待ち合わせる意味が分からなかった。
 いつも通りに俺が場所を指定した途端、あっさりと断ってきた慶に思わず理由を問いかけたものの、曖昧にかわされてはっきりとした答えは返ってこない。
 何となく不可解に思いながらも、約束した時間に指定された場所に向かった。


 俺がこういう賑やかな場所を好まぬ事くらい、長い付き合いのある慶も充分に承知している筈だ。
 それなのに、あえてこの場を指定してきたのだから、何かそれなりの理由があるんだろう。
 こうした分かれ道になる交差点を指定して、わざわざ待ち合わせでもおかしくない理由は……と考えてみると、もしかしたらジェイが退院してくる前に、彼等の街に案内されるのかもなと思えてきた。
 それなら逆に好都合だし、むしろ歓迎すべき事柄の一つには違いない。
 いずれにしても、こんな事態になっているんだから、今ではもう、慶を頼って情報を手に入れるより方法はなかった。


 あれから事ある毎に今回の件に関して考え続けていたのに、俺の理解を遥かに超えた出来事ばかりが目に留まって、それに気を取られて正常な判断が出来ていないと自覚している。
 俺が入り込もうと考えている彼等の世界は、俺が考えていたよりずっと頑なに扉を閉ざし、容易に受け入れてくれそうになかった。






「ねぇ。アンタが藤原って人だよな」
 唐突に名前を呼ばれ、反射的にその方へ視線を向けた。
 聞き覚えのない声だと思った通り、やはり顔を見ても心当たりが全く浮かんでこない。
 見上げてくる子供みたいな顔を見詰めたまま、何と答えるべきか考えた。


「――――……それで? お前は誰なんだ?」
「慶に頼まれた。約束してた時間に遅れるから、相手しといてくれってさ」
 俺の問いとは若干違う答えながらも、少々意外な事を告げてきた少年の顔をジッと見つめた。
 慶が約束の時間に遅れた事は今までにも幾度かあるけど、代理で誰かを寄越してきた事など一度も無い。
 それを些か不審に思いながら、慶よりも随分と若い、まだ子供にも思える少年の姿を上から下まで観察した。
 此処での待ち合わせを知っているのは慶一人しかいないから、彼に頼まれたと言うのは本当だろうとは思う。
 でも、だからと言って、慶が寄越してきたこの少年に付き合ってやる理由にはならなかった。




「慶が遅れるだけなら、一旦戻って出直せば良いだけだ。お前の相手をしてやる義理は無い」
 いちいち説明するのも面倒だし、とりあえずそれだけを言い残して足を踏み出すと、少年はムッとした様子で顔をしかめた。
「そうかもしれないけど。でも、俺は慶に頼まれたんだからさ。ちゃんと約束を守らなきゃ、俺が慶に怒られるだろ」
「お前が慶に怒られようと、俺には全く関係の無い話だ。そもそも何を話すつもりだ? お前とでは共通の話題など無いだろう」
「普通に話すんならそうだけど。街の事を知りたがってるから、それを教えてやれって言われた」
 耳に入ってきた言葉に、立ち去ろうと踏み出し始めていた足を止める。
 愛想の欠片もなく、ぶっきらぼうに無表情で言い放った少年の方に視線を戻した。


「……街の事だと? お前、慶の店で働いてる奴なのか?」
「違う。慶とは友達みたいな感じ。だから色々聞いてて、頼まれたから教えに来た」
「慶から俺の事を聞いてるのか?」
「少しだけ。今度、新しく店を出したいんだろ。でもノンケだから、あんまりよく分かってないって。だから教えに来た」
 相変わらず端的な言葉でしか説明してくれないものの、どうやらコイツも同性愛者で、慶とはあの街中で付き合いがあるらしい。
 そう考えてみると、ちょっと生意気そうな表情の少年に対して、何となく興味を引かれてきた。
 普通に「友達だ」と言い切るには年齢が離れている様に思えるものの、慶は基本的に面倒見の良い奴だし、こういう知人がいても不思議ではない。
 昔の慶とはベクトルが違っているけど、何となく似通った可愛らしさを感じる華奢な身体に、また不躾な視線を走らせた。


「慶が遅れるのは、どれ位だと聞いてるんだ?」
「多分、一、二時間位じゃないかなぁ。そんなに遅くならないと思うけど」
「お前と半日一緒に過ごせと言われても困るが、その程度なら良いだろう。慶とは長い付き合いなのか?」
「かなり長いかな。もう五年は過ぎてると思うし、どっちも暇な時は一緒に遊びに行ったりしてる」
 とりあえず慶からの頼まれ事が出来そうで安心したのか、少年はホッとした表情を浮かべた。


 俺が見逃している、あの街に関する重要な何かを、この少年は知っている予感がしてしょうがない。
 普段通りの勘が働いているのか。それとも、全てが後手に回り続けている今回の件と同じく、この予感が根本的に間違っているのか……
 それはまだ分からないものの、素っ気無く断る必要は無いと感じた。
 もっとも、単純にこの少年自身に興味を覚えたという理由もある。
 慶やジェイ、武内代議士……と知り合いの同性愛者も幾人か判明しているけれど、全く予備知識の無い「ゲイの男」を見たのは、この少年が始めてになる。
 俺とほとんど変わらないと感じているのに、何故か気持ちを通じ合わせる事が難しい、彼等との違いが何処にあるのか――――
 お互いに初対面で予備知識の無い彼との話で、何か掴める事があるかもしれない。そんな下心も持ってしまった。


 わざわざ同性愛者を探し出して話を聞く価値までは感じていないものの、その機会があれば拒絶する必要は無いし、何かの役に立つかもしれない。
 確かに慶がやってくるまでの「暇潰し」には丁度良さそうだなと納得しながら、急ぎ足で動き始めた人混みに紛れて、少年を伴って歩き始めた。






*****






 時間を潰すと言っても、移動時間を考えると一時間程なんて意外と短い。
 かといって、この少年から聞き出したい内容を考えると、不特定多数に話を聞かれる恐れのある喫茶店などは不向きだと思う。
 此処から一番近い俺の拠点だと借り上げているマンションがあるが、そこで良いか……と問いかけてみると、少年も躊躇いなく頷いてくれた。
 並んで歩きつつボソボソと話す彼によると、自分達のテリトリーになるあの界隈で過ごす事がほとんどだから、交差点を挟んだコッチ側は若い女が多くて、どうにも居心地が悪くて落ち着かないから人目につかない所に行きたいらしい。
 暇潰しの相手にしては、あまりにも口数が少な過ぎる彼に向かって、俺の方から色々と問いかけながら、交差点から角一つほど奥に入った所にあるマンションにへと向かった。




「――――……あ。もしかして、ココの階は全部借りてるとか?」
 エレベーターを降りた途端、何となく雰囲気で分かったのか、並んだドアを眺めながら少年がボソリと呟いた。
「あぁ、そうだ。俺も部外者の目に留まりたくないと考える方だからな」
「何となく分かるかも。他の部屋には誰もいない?」
「今は把握していないが、何人かは残っているかもしれない。まぁ、居たとしても全て俺の部下だ……お前、慶から話を聞いたと言ってたが、どう説明されたんだ?」
「コッチ側で風俗店を沢山経営している人だ、って聞いた。凄いお金持ちだとか、そんな感じ」
「そうか。ところで、お前の名前を聞いてなかったな」
 一番奥にある部屋の鍵を開けつつ、背後でキョロキョロと周囲を眺めている少年に問いかけると、また一瞬、答えが返ってくるまで間が空いた。


「――――……えっと……徹平……」
 不自然に視線を泳がせながら口篭ってボソリと答えてくれた姿を、部屋に招き入れつつ溜息を吐いた。
「教えたくないのなら別にそれでも構わない。いつまでも『お前』と呼ぶのも何だなと感じたから聞いただけだ。偽名を教えられても、お前に呼び掛けて返事が無ければ意味がない」
「え、何で嘘だって分かった?」
「自分の名前を言い淀むヤツはいない。それだけでも咄嗟に思いついた嘘だと分かるだろう」
「そっか……俺は別に『お前』で良いけど。どうせ短い時間だから」
 通された広めのワンルームの部屋中を眺めつつ、また言葉少なく答えてくれた少年を横目に、とりあえず暖かな飲み物の準備を始めた。




 場所的に何かと便利な所に在るこのマンションは、基本的に完全に人を招く為の場所として使用している。
 話し合っている隣の部屋には部下の誰かが詰めていたり、事務所代わりに使用していたりと、少なくとも普通の生活用のマンションとしては使用していない。
 ワンフロアー全てを借り切って、各方面の事務所代わりにしている中、唯一ワンルームタイプになっているこの部屋だけは、俺の個人的なプライベートルームとして使っていた。
 本宅は他に構えているものの、都心から少し離れた静かな場所にあるから、週の半分ほどは此処に寝泊りをしている事が多い。
 ベッド脇のソファに腰を下ろしたまま、物珍しそうに部屋の中を眺めている少年に珈琲を差し出すと、大人しく受け取った彼は両手でカップを支えたまま口元へと運んだ。


「すっげぇ普通の部屋っぽいな。藤原さんって、ココに住んでるの?」
「いや、別宅みたいな物だ。自宅は別にある。深夜まで用事があって寝るだけで済ませる日とか、週の半分ほどを此処で生活をしている。何かと便利だからな」
「やっぱりそうか。俺なら平気だけど、お金持ってる大人の男が住むには少し狭いんじゃないかなと思ったんだ」
 相変わらず愛想は無いけど、人目が無くなって少々リラックスしてきたらしい彼が、納得した様子で頷いてくれた。




 完全にプライベートな空間になるこの部屋には、基本的に誰かを招待する事はない。
 部下だと深水や古参連中などの、ほんの数名ほどが時折訪れる程度だし、慶もこの部屋へと招いた事は無いと思う。
 初対面の何処の誰だか素性が分からない奴を自分のテリトリーへ招く筈もないし、そもそも二人きりになるなど考えもしない状況なのに、何故だかこの少年に関しては、すんなりと部屋へ招こうと思ってしまった。


 まだ子供だから……と甘く見ている部分もあるし、彼はそれ以前に、何となく憎めない雰囲気を持っている。
 本当に無口で媚びる気配すら無い態度さえも、逆に「嘘を吐けそうにない素直な性格の奴だな」と好感さえ持ってしまう。
 女性の気持ちを持った慶とは少々違うと感じるものの、基本的に男を恋愛対象としている彼等には、その嗜好が無い男さえも惹き付けてしまう、似たような気質があるのかもしれない。
 一見では、その辺りにいる若い男と何ら変わりなく思えるのに、やっぱり何処か独特の雰囲気を感じる少年の姿を、珈琲を飲みつつジッと見詰めた。




「お前、年は幾つだ?」
「んと……20歳は過ぎてる。皆からは子供っぽいとか言われるけど」
「それは分かるな。俺も10代かと思っていた。だが、慶とは五年ほど前からの知人だと言っていただろう。お前、そんなに早くから風俗街に出入りしてたのか?」
「うん。俺、高校とか行かなかったからさ。中学を出て直ぐの頃から、あの辺りで遊んでた」
 そうあっさりと言い切った少年の話を聞きつつ、溜息混じりで頭を振った。
「……そんなガキの頃から出入りしてたとか、そう簡単に信用出来るか。大体、子供がうろついても面白い場所ではないだろう」
「うーん……そうでもない。だって、ゲイの人しかいないからさ。変な目で見られる事もないし、皆、色々と優しく教えてくれる」
「そういう意味では理解出来る。だが、子供の小遣いごときで遊べる所ではない」
「あ、小遣いは無いから自分で稼いでたんだ。一回売れば何万円か稼げる。本当の年がバレると面倒だから店には入ってなかったけど、普通に遊んでると誘われるからさ。慶の店でちょっと飲んで遊ぶくらいだったら、週に一回くらい売れば充分だと思うな」


 両手でカップを持って珈琲を飲みつつ、まるで学校の部活動の話をするような軽い口調で話す少年を、思わず呆気に取られて眺めてしまう。
 もっとも、彼の方は俺の反応なんて興味が無いのか、何ら気にする様子もなく平然と座っている。
 風俗街で働く者達など見慣れているし、次は男相手のそういう店を出そうとして、それなりに考えていたつもりだった。
 それなのに、実際にそうやって『男相手に身体を売って、金を稼いでいた男』を目にした途端、何とも形容し難い、不思議な気持ちになってきた。




「……お前、身体を売って金を稼いでいるのか?」
「あ、今はやってない。もう大人になって普通の仕事が出来るようになったし、ソッチの方が楽しいから」
「なるほど。バイト代わりに身体を売っていた……って事か」
「簡単に言えばそうなるのかな。慶みたいに話が沢山出来る人だったら、あんな感じでお酒を飲んでる人達の話相手で仕事になるけど。俺はあんまり話が出来ないから」
 自分は口下手な方だと、それなりに自覚はしているらしい。
 相変わらずボソボソと小声で答えてくれる少年の姿を見詰めているうちに、ふと、ある考えが頭を過った。


「――――……お前は随分と無口な奴だな。そう言われた事はないか?」
 そう問いかけてみると、少年は素直にコクりと頷いた。
「いつも言われる。慣れたら平気なんだけど、最初は何を話せば良いのか分かんないし」
「だろうな。それを自覚してるのに、俺の時間潰しの相手をしにきたのか?」
「何か聞きたい話があれば、それは慶に聞けば良いと思うけど。慶は話上手で頭も良くて、色んな事を知ってるからさ」
「それは俺も知っている。では、お前は何をしに来た。こんな雑談をしに来た訳じゃないだろう……慶に頼まれ、俺に『男を教えに来た』のか?」
 いつもの面倒な駆け引きなど、この少年が相手なら無用な物でしかない。
 単刀直入に問いかけると、少年は此処へ来て初めて、少しだけ口元を緩めて笑った。


「そんな感じ。説明する前に分かって貰えて良かった。慶はそういうのやらない人だし、こっちは俺の方が得意だからさ。喫茶店とかに連れて行かれたら、どうやって話を持っていこうかなーって悩んでたけど。ココならベッドもあるし、部屋に案内されて丁度良かった」
 少年が考えていた通りに話が進み、ようやく緊張感が解けたらしい。
 微かな笑みを浮かべたまま、楽しそうに話し続ける彼の前で、徐に溜息を吐いてやった。


「お前達の目的は理解した。だが、俺は同性愛者ではないし、そうなろうとも思っていない。そういう申し出ならキッパリと断るしかない」
「あ、そんなに固く考えなくても大丈夫。ノンケだって分かってるし、俺の方が慣れてるからさ。ベッドに寝てるだけで平気だと思うな」
「そういう問題じゃない。大体、お前が幾ら頑張ってみた所で、俺が欲情しなければ無理だろうが」
「その辺りはやってみなきゃ分からないけど。でも何とかなると思うな。ノンケで売り専ボーイになる奴もいるし、街で遊んでるうちにソッチの方が好きになる人もいる。ずっと前だけどノンケの人に教えてあげた時も、最初から上手く出来たしさ。俺は身体も小さい方だし、抱いた感じも女とあんまり変わらないとか言ってた」
 この少年は本当に、そうやって男相手に身体を売って金を稼いでいたに違いない。
 先程までとは打って変わり、やけに強気で強引な口調に変わってきた姿を、半ば驚愕しつつ観察した。




 正直な所、コイツをそういう視線で見てなかった……と言えば嘘になる。
 自分自身を彼の相手として考えていなかったものの、やっぱり何となく男が好みそうな色気があるなと華奢な体躯を眺めつつ思ったし、その状況を思い浮かべてみても何故か不快だと感じなかった。
 男に抱かれる側なら慶も同じ立場にいる筈なのに、不思議と慶を眺めていても「美人だな」と思う程度で、それが性的な方面には向かっていかない。
 異性愛者の俺がゲイの連中を目前にした時、そう思うのが当然だと考えていたのに、この少年はむしろ逆で、やたらと淫靡な妄想を駆り立てる、妙な甘ったるい色気を醸し出していた。


「――――随分と自信がある様だが。もし上手く行かなかった場合、お前が落ち込むんじゃないのか?」
「その時は仕方ないかな。俺はノンケの知り合いって少ないから、あんまりピンとこないけど……俺が女は絶対ダメなのと同じで、やっぱり受け入れられない人もいると思う」
「そう分かってるんなら構わないが。もし全く無理でも、俺を恨むんじゃないぞ」
「ん、分かってるって、その時は慶に『男相手じゃダメみたい』と報告すれば良いだけだからさ」
 そう囁きながら立ち上がった彼が、何の躊躇いも無くベッドにへと腰を下ろす。
 手招いてくる彼の動きに、何故だか吸い寄せられる様に近付き、その隣に並んで腰を下ろした。


 まさか男に誘われる羽目になるとは夢にも思ってなかったものの、逆らえない好奇心もハッキリと自覚している。
 ククッ……と小声で笑いながら肩に寄りかかってきた少年の細い身体へ、無意識のうちに腕を廻し、そっとベッドにへと押し倒した。






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