Eros act-1 10

Text size 





 目元を冷たく冷やしてくれる感触に、少しずつ意識を取り戻した。
 ……濡らしたタオル? と、その物に気付きながら起き上がると、隣で動いた気配と共に、ゆっくりと背中を擦る掌を感じた。
「起きたか? 一稀」
「うん……俺、寝てた?」
「寝てたって程じゃねぇよ。少し意識が飛んだだけだろう。それより、てめぇはビービー泣き過ぎだ。俺が無理矢理、嫌がるお前を凌辱した様に見えるだろうが」
 ククッと笑い声を洩らしながら、呟かれた彼の言葉に、アレは夢じゃなかったんだ……と、ぼんやりする頭で実感した。


 元通りに整えられた服と、泣き過ぎたから腫れない様に……と、瞼を冷やされていた濡れタオルを眺めながら、何だか本当に不思議な気がする。
 ボーっとしている身体を、背後から抱きかかえてくれて、また目元を冷やしてくれる彼の仕草に身を任せながら、アレは、本当にジェイだったのかな?って、何だか少し信じられなかった。
 こんなに暖かく、身体を包んでくれるジェイの姿と、口元をきつく押さえて「俺がお前を殺してしまえば…」と、そう呟いたジェイが同じ人だなんて、どう考えても納得いかない。
 ――どっちが本当の彼の姿なんだろう? って、そう考えただけで、胸がドクリと音を立てた。


「……ジェイは、俺を殺したいの?」
 目元を彼に覆われたまま、その腕の中で問いかけてみると、ジェイがまた少し笑った。
「何だ、覚えてたのか? 泣いてばかりだから、もう覚えてねぇだろうと思ってたのにな」
「ちゃんと覚えてる……俺、ジェイになら殺されてもいいぜ。それでジェイが喜ぶんなら、俺は殺されたって構わない」
「ばーか。俺を変人扱いするんじゃねぇよ。お前が死ぬ時、俺の姿だけを見詰めながら……だったら、俺もお前も最高の一時だろうなって事だ」
 そう答えて、背後からギュッと抱き締めてくれた彼の温もりを感じながら、その瞬間の事を考えてみる。
 自分が死んだら……なんてまだ考えた事もなかったけど、彼が見守っている中で死ねたら、きっとどんな状況でも怖くない。
「……なぁ。ジェイも、俺が見てる前で死にたいとか思う?」
「そうだな。そうすれば、俺がお前の前からいなくなった後でも、一稀は俺の事を忘れないだろう?」
「うん……でも俺は見てるだけより、今みたいに、腕の中で死ぬ方が良いな。その方が暖かいし」
 ふと頭に浮かんだ事を、素直に答えてみただけなのに、ジェイは一瞬、間を開けた後、楽しそうに笑い出した。


「なるほど。まぁ、お前らしいな」
「そうかな? ジェイはそう思わない?」
「思わねぇな。少なくとも、今現在は……だが。大体、俺はそういう柄じゃねぇだろう? お前みたいに仔猫ちゃんじゃねぇからな」
 そう答えながら目元を覆っていたタオルを外した彼が、背後から顔を覗き込んできた。
 冷やしてたから大丈夫だったのか、満足気な表情を浮かべて立ち上がった彼の後姿を、ぼんやりと眺めた。




 小さな冷蔵庫を覗き込み、中川が買ってきてくれて余ってた缶コーヒーを取り出した彼が、立ったままゴクゴクと飲み始める。
 スラリと背の高い彼の姿を眺めながら、急に自分が本当に幼く思えてきて、ほんの少し顔を顰めた。
「……俺の事、すっげぇガキだと思ってる?」
 そう問いかけてみると、ジェイが振り向いてきて口元を緩めた。
「どうした、急に。俺はそんな事は、一言も言ってねぇだろう?」
「……だって、仔猫ちゃんって言っただろ? そりゃあ、ジェイみたいにデカくはないけど、別に身長だって低い方じゃねぇし」
「可愛いな…って気持ちの比喩じゃねぇか。そう突っかかるんじゃねぇよ」
 缶コーヒーを持ったジェイが近寄ってきて、飲みかけの缶を差し出してきた。
 受け取ってゴクリと一口飲み込みながら、本当に仔猫に触れる様な手付きで、頭を撫でてくれるジェイの姿をジッと見詰めた。


「ジェイ、仕事でやってきたんだろ? ノンケの子だって聞いたけど……やっぱ満足しなかった?」
「へぇ、中川から聞いたのか?」
「うん。だから少し遅くなるかも、って」
「ノンケは自分の好みすら分かってないし、時間もかかるな。どっちにしても俺は出してねぇよ。お前相手にやった方が気持ち好いからな」
「そうなんだ……んじゃ、面接やった子はダメだった……って事?」
「いや、とりあえずは採用だな。荒削りだが、そういうのを好む客もいる。女しか相手にしてなかった事はバレバレだが、最初からノンケを売りにすれば大丈夫だろう。男に慣れてくれば、上手く攻める様になるんじゃねぇか」
 結構真面目に答えてくれたジェイの言葉に、一瞬考え込んだ後、すっごいビックリしながら、彼の顔をジッと見詰めた。




「――え!? ジェイ、突っ込まれたのかよ?」
「ソッチの方が向いてそうなヤツだったからな。とりあえずは、その方面で売る事に決めた」
「ソイツの事はどうでもいいって! そうじゃなくて、ジェイ、突っ込まれる方もいけんの?」
「面接に来るヤツも様々だからな。相手がソッチのヤツなら俺が受けにまわる。それがどうかしたのか?」
 平然とそう答えるジェイの言葉に本当に驚きながら、彼の姿を上から下までじっくりと眺めてみた。
「……ジェイが突っ込まれてるトコなんか、全然想像できねぇ……」
「まぁ、そうだろうな。それなりに気持ち好いとは思うが、俺は攻め立てる方が好みだな」
「え、まじ? 気持ち好いって思うんだ……」
「お前だって、あんあん啼いてるじゃねぇか。それと同じだ」
 素っ気なく答えてくれたジェイの言葉に、顔を顰めて考え込んだ。


 俺は最初から抱かれる方にしか興味がなかったから、ソッチしか考えた事がない。
 でも、ドッチでも大丈夫、って人がいるのは知ってたし、そういう人ともやった事はあるけど、ジェイもそうだとは思ってもいなかった。
 ……全然、そんな風には見えないんだけどな……と思いながら、隣に座る彼の姿を眺めてみた。
 部屋の中をのんびりと眺めながら、無言で煙草を燻らせるジェイの姿からは、彼が男に組み敷かれて喘いでいる所なんか、全く想像も出来そうにない。
 自分より一回りは身体の大きいジェイを、攻め立てている自分の姿を想像してみて、ますます眉間に皺を寄せた。





「……俺、ソッチはやった事ねぇけど。でも、ジェイが時々そうしたいなら、頑張る」
 ボソッと小声で呟いてみると、ジェイが少し不思議そうな顔をして、チラリと視線を向けてきた。
そんな彼とは、視線を合わせず、ベッドの上に座り込んだまま、真剣に考え込んでいると、ジェイが吹き出して笑い出した。
「何、馬鹿な事を言ってんだ、てめぇは。熱でもあるんじゃねぇのか?」
「だって、ジェイが気持ち好い……って言うから。ジェイがソッチでしたいな、って思った時、俺が出来なかったら、他の男とやるんだろ? それなら、俺が頑張る」
「攻め立てる方が好みだと言っただろう。妙なトコばかり覚えてるんじゃねぇよ」
 そう言いながら肩を抱いてきたジェイの腕に、大人しく身を任せた。
 触れるだけの軽いキスが心地好くて、こうしているだけで気持ちが穏やかになってくる。
 こんな言葉を彼は信用してないみたいだけど、やっぱり俺はジェイの事が好きなんだろうな…って、そう思った。


 どうしてこんなに、出逢ったばかりなジェイの事が気になるのか、それは自分でも分からない。
 でも、ジェイと一緒にいるのは楽しいかもしれないな……って、俺はそう思っている事だけは、自分でも理解出来た。




「ほら、店に行くぞ。良い時間だ」
 そう促してきたジェイと一緒に、ベッドの上から立ち上がった。
 肩を抱いてくれる彼に身を任せながら、飲むだけの客して通い慣れた彼の店に、彼の恋人として初めて、彼と一緒に向かって行った。






BACK | TOP | NEXT


2008/8/12  yuuki yasuhara  All rights reserved.