道化者のゆううつ 02

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「麻紀、一人で大丈夫? 話し相手が無くて退屈だったら祐弥でも廻すけど、どうする?」
 聞き慣れた声に名前を呼ばれて、ぼんやりと前を向いたまま考えていた自分に気付いた。
 ぼんやりと物思いに耽っていただけで特に機嫌が悪い訳でもないけど、店に顔を出した瞬間のイメージが、よっぽど強く印象に残っているのかもしれない。
 妙に心配そうな口調で問いかけてきた翔へと、カウンター席から視線を向けた。
「大丈夫だ。少し考える事もあるし、俺の方は気にしなくて良い」
「あ、そうなんだ。考え事してたのか。皆がさ『麻紀がやけに静かだから、やっぱり機嫌が悪いんじゃないか?』って心配してるからさ」
 そうホッとした表情で呟く翔の身体越しに、やけに楽しげに手を振ってくる連中が目に入ってきた。


 接客中の翔が俺の所に来るなど滅多に無い事だし、そんなに怒ってる様に見えたのか? と内心訝しく思ったけど、どうやら接客中のオカマ達に促されてご機嫌伺いに来たようだ。
 皆で賑やかに騒ぐのを好む彼等の言い草によると、俺みたいにカウンター席で騒動に背を向けて一人無言で酒を飲むなど、よっぽど機嫌を損ねているか、もしくは何か良からぬ事を企んでいるとしか考えられないらしい。
 俺の視線に気付いたのか、また大声で「麻紀ちゃん、ご機嫌いかが〜?」とか「あんまり怒っちゃダメよぉ」などと能天気に騒いでいる連中に、とりあえず苦笑を返した。




 似た者同士で騒いでいる事が多い彼等とは、もうかなり前からの顔見知りではあるけど、今までは特別に親しい方ではなかった。
 どちらかといえば慶に近い感覚の彼等と俺じゃ、そもそも性格や好みが全然違うから話が合わない。
 それに、ジャスミンがずっと昔にちらりと愚痴っていた事があるけど、見た目は普通の男性である彼等から見れば、俺みたいに小柄で幼く見えやすい容姿の男を見ると、どうしてもそれなりに妬ましく感じてしまうらしい。
 そういう意味では、女性っぽい慶についても同じ理由で羨んでしまうそうで、そういう微妙な距離感もあって、単純に顔見知り程度の付き合いを長い間、続けていた。


 顔を合わせても軽い挨拶を交わす程度の付き合いだった彼等だったけど、俺が翔と一緒に暮らすようになり店を任せはじめた頃から、彼の常連兼飲み友達である皆とも段々と話す機会が増え始めた。
 そして彼等の仲間であるジャスミンの相談に乗り、彼の希望に合致していた元の店舗を譲ってあげた事がきっかけになり、今ではすっかり顔馴染の友人達になってきた。
 さすがに一対一だと少々話題に困ったりするものの、複数人だったら何も違和感は感じない。
 彼等と気軽に会話を交わせるようになった頃、他人の噂話が大好きな皆から話ついでに「そういえば、麻紀が翔を恋人に選んだ事が、かなり意外で本当に驚いた」と、真顔で口々に言われる様になってきた。


 俺がジェイに言い寄っていたのは皆も知っていたけど、単純な恋愛感情でないのが明らかだったし、他の誰かとの色っぽい噂話が広まった事もないから、俺は色恋沙汰に興味が無い冷血人間だと思われていたらしい。
 それが自分の店で売り専ボーイをやっている、かなり年下で金も持ってない翔を恋人にしたもんだから、公になった当時はかなり噂になっていたそうだ。
 俺の耳には入ってなかったけど、それまでの言動から考えて「麻紀はそのうち何処かの金持ち老人でもひっかけて、悠々自適な引退生活を送るつもりなんだろう」と思っていたようで、そう聞かされたこっちの方が驚いてしまった。
 俺は別に年上好みだと言ってた記憶も無いし、実際に年上の恋人がいた時期も無い。
 それなのに、どうしてそんな意味不明なイメージになっていたのか全然理解出来ないものの、そのおかげで翔との事が好印象で受け止められたようだし、結果的に良かったのかもしれない。
 意外と毒舌揃いだけど面倒見の良い奴等だと気付いた、新しい知人達との交流を、今ではそれなりに楽しんでいた。




「俺が静かというより、アイツ等が賑やか過ぎるんじゃないのか。それに俺は今、一人で飲んでいる。一人でブツブツ言いながらカウンターで飲んでたら、そっちの方がよっぽど不気味だろう」
 背後の客達を気にしつつも、まだ席に戻る気配の無い翔に軽く答えてやると、彼も楽しそうに口元を緩めた。
「まぁ、確かにそうなんだけどさ。一人で暇なら、やっぱり祐弥を呼んでこようか?」
「営業中だし今日は客も多い。遠慮しておこう。それに本当に考える事が色々とある。一稀の要望を聞いてきたから、明日までに決めなきゃいけない」
「そうなんだ? 遅くまで何処に行ったのかと思ってたら、一稀の相手してたのか。アイツは無口なわりに意外と話が長いんだよなぁ」
「確かにな。買い物もあるとか言うから一緒に行って、途中の休憩ついでに少しだけ話を聞いて……のつもりが、意外と長くなった。ジェイの帰宅が遅い日だったらしいな」
「……何だそれ。アイツ一人で暇だから呼び出されたのか。半分は一稀の暇潰しの相手じゃねぇの?」
「似た様なもんだな。おかげでまともな夕食を取り損ねたから、此処で少しだけ何か食べて帰ろうと思って戻ってきたんだ。一稀は喫茶店のランチメニューを増やしたいらしい。料理人の許可は得ているそうだから、あとはメニューと値段を決めるだけだ」


 クラブJで一緒に働いていた時期もあるし、今でも仲の良いジェイの恋人でもある一稀を、翔は実の弟みたいに可愛がって何かと気にかけている。
 随分と興味津々な翔にそう答えてやると、彼は腕を組んだまま不思議そうに首を傾げた。
「昼間は一稀担当なんだろ? 何で麻紀が考えるんだよ。アイツが自分の好きにやれば良いんじゃねーの?」
「一稀がほとんど全部を考えている。ただ、最後にどうするかを決められないんだな、一稀の場合は。妙な所は猪突猛進で突っ走るくせに、こういう些細な事は決めかねるんだよな」
「あー、分かるかも。一稀の場合、何でもジェイに相談して決めているから、もう癖になってるんだろうな。意外と真面目に考え込むし、自分で答えが出せなくなるのかもな」
 一から十まで日々の出来事を逐一ジェイに報告して相談している、普段の一稀を思い出したのか、翔が納得した表情で呟いた。
 この店に関しては最終報告だけで済むから話し合いも簡単なもんだけど、一稀と物事を決める場合、彼は妙に頑固な所があるし、やたらと細かな所まで気にする性格だからそれなりに時間がかかる。
 ジェイの店で副店長をやっていた頃の一稀を思い出したのか、あっさりと引き下がってテーブル席に戻っていく翔を見送り、また喧騒に背を向けた。






 数年前、一稀から「通信制の高校へ通う事にした」と話を聞いた時、彼の気持ちは何となく分かるものの、今一つ解せない所があった。
 俺自身も高校中退者だから、やっぱり学生時代の思い出話や進学時の苦労話など、そういう何気ない会話で皆との差を感じてしまう事もあるし、一度しっかりと勉強してみたいという一稀の考えそのものは理解出来る。
 でも、ある程度の知識があれば日常生活を送るのに支障はないし、実際に不便を感じてしまう程の事でもないから、よっぽど暇を持て余しているのならともかく、わざわざ通い直す必要性は持っていない。
 特に一稀の場合、ジェイと一緒にいる限りは生活に困る事もないし、この界隈以外の場所で働くようになるとは考えにくい。
 引き留める理由はないけど、今から高校へ行ってどうするんだろうなぁと、内心は訝しく思っていた。


 そんな俺の疑問をよそに大真面目に通信制の高校で勉強を続けた一稀は、留年する事もなく去年の夏、無事に高校卒業が決まった。
 入学するのは簡単かもしれないけど、ああいう形態の学校は目前で監視してくれる者がいない分、よっぽど本人の意思が強くないと、結局、中途半端に終わってしまう事が多い。
 実際の一稀も店の手伝いの合間に勉強したりで大変そうだったから、四年間もよく頑張ったもんだなぁと素直に感嘆していた時、その一稀本人から「麻紀がタカ達の隠れ場所に使った、マンションの真横にある空き店舗を使って喫茶店をしたいんだけど……」と、思いがけない相談を受けた。
 何でよりによってその場所なのかも疑問だけれど、一体ドコから「喫茶店」という発想が出てきたのか、全くもって見当もつかない。
 わりと突拍子もない事を言い出す場合が多い一稀の言動には慣れているものの、何事かと少々面食らいつつ色々と聞いているうちに、一稀が学校に行きたいと考えた理由が何となく分かった気がした。


 まだ子供の頃からこの街だけで過ごしてきて、企業家のジェイや周囲の皆としか接触のない一稀にとって、「仕事をする」のイコールは「お店を経営すること」なのかもしれない。
 一稀なりに色々な事を考え、皆と肩を並べるには何を覚えれば良いのか試行錯誤を繰り返していた。
 そして、実際に役立つかどうかは別としても、数年越しで頑張った学校も卒業が決まって、彼なりにようやく少しだけ自信が持てるようになってきたんだろう。
 随分と楽しそうに頬を綻ばせ、あれこれと今後のやりたい事を語り続ける一稀の話を聞いているうち、段々と興味が出てきた。
 俺の方も店は翔に任せるようになって時間的に余裕があるし、ずっと夜の仕事ばかりに関わってきたから、健全な喫茶店の運営についての話を聞いてるだけでも、随分と新鮮な話に感じる。
 そろそろ何か新しい仕事にでも手を出そうかと考えていた所だったから、「俺一人じゃ不安だし、もし、麻紀が嫌じゃなければ一緒に……」と、控えめに誘ってきた一稀の言葉に乗り、彼と二人で喫茶店を始める事にした。




 一稀は店の閉店時間を、通常の喫茶店と同じ位の夕食時前で考えていたみたいだけど、そうなると昼過ぎに起き出してくる俺としては、店に顔を出せる時間がかなり少なくなってしまう。
 せっかく二人でやるのだから分担制も面白いかも……と、一般的な仕事をメインにしているジェイに合わせて朝が早い一稀が開店から夕方近くまでで、残りの時間を行動時間帯が遅い俺にしてと、担当時間を半分にわけて二人で始めた喫茶店は、今でも順調に続いている。


 以前は一人だけ飛び抜けて幼かった一稀も、今では彼より年下の奴等も増えて、皆から界隈の古株扱いされるようになってきた。
 とはいえ、元から弟気質というか、末っ子気分の強い一稀の性格がそう簡単に変わる訳がない。
 喫茶店のボーイとして入ってきた彼より年下の奴等からも「何か子供みたいで可愛いな」と評判も上々で、大人になった今でも相変わらず、周囲の皆からあれこれと気にかけて貰っていた。
 改めて考えてみれば、経営者の俺達が担当の時間を分けているだけで、店で働いている連中は同じなのに、時間帯毎に客層が違うって所を差し引いても、俺と一稀がそれぞれ受け持ってる時間帯では意外と雰囲気が違っている。
 それを思えばこの店も、常連客の入れ替わりがあって雰囲気が変わってきても不思議じゃないよなぁと、妙に納得してしまった。


 藤原曰く「女性向けの水商売」とやらに似ているせいなのか、店を翔に任せるようになってからは気のせいじゃなく、明らかにやたらとオカマの客が増えてきた。
 全く興味の無い『ホストクラブ』ってのが、いくら説明されても俺にはいまいちピンと来ないけど、皆の様子を見る限り、そういう嗜好の奴にとっては、きっと楽しい場所なんだろう。
 俺がボーイをやってた頃は常連客にオカマはいなかったけど、彼等は意外と性格の優しい奴が多いから嫌いじゃないし、新しい客が増える事については、俺としても本当に嬉しく思っている。
 ただ、一つだけ欠点があるとすれば、アイツ等は何故だかやたらと賑やかな奴が多い事だなぁ……と、やっぱりまた同じ所へと辿りついてしまった。


 地声のデカい翔達ばかりでなく、ダミ声のオネエ言葉でぎゃあぎゃあと喚くから、それも店の騒々しさに拍車をかけているような気がする。
 だからと言えど、店で働く翔達だけならともかく、客に対しても口煩く「静かにしろ」と説教する訳にもいかないから、やはり俺の方から何らかの対策を講じなければならないだろう。
 皆は俺の事を「何かと慎重過ぎるだろう」とか「疑り深いヤツだ」とか言うけど、意外とこういう抜けた部分が多々あって、自分では本当にうんざりしている。
 この店にしたって、移転してより良いクラブになるのは当然の事だし、以前より劣る部分があったりするのも問題外だから、場所や設備に周辺の環境なども含めて何度も確認して検討を重ね、本当に散々迷って慎重に選んだつもりだった。
 皆の意見も取り入れてリフォームも行ったし、開店前に皆で色々とチェックして不備が無いかを確かめもした。
 そうやってオープンさせた店だから、今度こそは完璧だったなと思っていたのに、まさか店の入り口がこんなに薄くて軽い扉になっていたとは、予想外も甚だしく考えてもみなかった。


 下見の時に正面から店内に入る機会は何度もあったものの、案内してくれる誰かが開けてくれていたから、思い起こせば自分で扉を開けた事は無いかもしれない。
 急ぐつもりはなかったから時間をかけて、あんなにあれこれと細かく吟味したつもりだったのに、やっぱりこんな落とし穴が見つかるのか……と、自分でうんざりしてしまった。


 一稀に大怪我を負わせてしまった時もそうだったけど、何かと「こんなはずじゃなかったのに……」と愕然としてしまう事も多々あるし、俺は皆がイメージしている姿よりも、かなり間抜けな部分が多いと自分では思っている。
 それなのに少々上手くいった計算事だけが妙に目立って、切れ者で怖い奴だと正反対の人間だと誤解されてしまう。
 実際にそういう人間ならまだしも、自分の意見をはっきりと言い切る癖があるだけで、本当の所は不器用で出来ない事ばかりなのに、皆には大いに誤解された挙句、街のご意見番みたいな扱いを受けて頼られている。
 少々荷が重いと感じる時もあるのに、結局は断れずにあれこれと損な役回りばかりを引き受け、余計に印象を悪くしてしまっている俺は、一体何が楽しくてこんな道化師を演じ続けているんだろうなぁと、また憂鬱な気分になってきた。






 そんな事へぼんやりと思いを馳せている最中も、背後でまた、先程までと変わらない賑やかさな宴の喧騒が聞こえてくる。
 多分こうなるだろうと予測していた通りに、俺が少々脅かしてみた程度じゃ静かな時間は10分も続かない。
 皆も楽しそうだし、店外の者達の迷惑にならなければ別に騒いでいても構わないんだけど……と、時計で時刻を確認しつつ考えを戻した。


 酒が入った連中が騒ぎ立てるのは仕方のない事だし、この店での酒の肴として俺の名前が出てきてしまうのは当然だから、それを怒って止めさせるのも変な話だとは思う。
 でも、ジェイみたいに店名に自分の名前をつけて平然としているような顕示欲の強い目立ちたがり屋ならともかく、俺は慎ましくて謙虚な性格をしているから、自分の名を大っぴらに宣伝する趣味はない。
 とりあえず、飲食するスペースを隔てる扉として不備があるのは事実だから、これは明日一にでも手配して早急に取り替える必要がある。
 それとは別に他の防音対策も考えた方が良いのかなぁ……と頭の片隅で悩みながら、一稀とやっている喫茶店とは比較にならない位に騒々しい店内の宴を、もはや言うべき言葉も無く、呆然と眺めていた。






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