道化者のゆううつ 01

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 確かに俺がオーナーの店ではあるけど、事実上の店の責任者として翔にかなりの部分を任せているし、あまり煩く口を挟むのもどうかと思う。
 それに此処は基本的に楽しむ為の場所だし、周囲も似たような店ばかりだから少々騒いだ所で迷惑をかける訳でもない。
 ……――――だからと言っても、物には限度ってもんがあるし、いくら何でもコレは騒々し過ぎるよな……と、開けるまでもなく賑やかさが伝わってくる扉を前に、暫し考え込んでしまった。




「何やってんだ、麻紀。自分トコの店の前で立ち止まって。待ち合わせしてるんなら道路側を向いて立つ方が良いんじゃないか? 顔が見えないから、物凄く不気味な奴に見える。客が減るぞ」
 あまりにも賑やか過ぎる状況を前に悩んでいる最中、唐突に背後から聞こえてきた呑気な声に思わず顔をしかめた。
 気の抜けた声色もそうだけど、店の扉を前に、このまま開けるべきかどうか迷っている状況を見て「誰かと待ち合わせしているのか?」などと、思いっきりピントのズレた発想が出てくる奴なんて、この界隈には一人しか存在しない。
 慶は本当に、コイツの何処が良くて付き合っているんだろう……? と、またもや不可解に思いつつ、とりあえず振り返った。


「三上か。相変わらず失礼なヤツだ。俺を怨霊呼ばわりするな。真夜中の路地に背中を向けて、客を待ち伏せして驚かせる趣味は無い。それより、お前こそ何やってるんだ」
「あぁ、俺か? 慶のお使いでティコの所まで行ってきた帰りだ。店が忙しくて抜けれそうにないから、買い物を頼まれたんだとさ。ソレを届けに行ってきた。マジで中川とティコは二人して働き過ぎだよな。で、麻紀は何やってるんだ?」
「俺も用事を終わらせて戻ってきた所だ。まだ営業時間中だし、少しだけ顔を出して帰宅しようと思って……」
 そう説明を始めようとした途端、また店内から大きな話し声が聞こえてきた。


 話し声だけならともかく、同じ位の声量での爆笑も混じっているから騒然たること甚だしい。
 扉を開けるまでもなく分かってしまう大勢の酔っ払い達の大騒ぎに、納得した表情へと変わった三上が店の方へ視線を向けた。
「――――……随分と賑やかだな。ってか、話のネタはお前じゃないのか?」
「どうやら、そうらしいな。通り過ぎようとした所で、俺の名前が出てきて立ち止まった」
「あぁ、なるほど……それでドアを前に固まってたのか」
「大体合ってる。俺の話題がどうこうよりも、いくら何でもこれは騒々し過ぎるだろう。何と言って注意すべきか考えていた。皆で一体、何を話しているんだか……」
 こうして三上と話をしている間も、中では未だに話が続いているらしく、頻繁に俺の名前が聞こえてくる。
 軽く三上に愚痴ってみると、彼も少々呆れてしまった様子で溜息を吐いた。


「翔は馬鹿騒ぎが好きだし、皆もそういう雰囲気を気に入って来てるとは思うが……確かに少々賑やか過ぎだな。慶との話が目当てに来る奴等の数倍は煩い気がする」
「慶の客は静かな大人ばかりだからな。ウチはボーイ達も翔と気が合う連中ばかりだから、客もああいうタイプが揃っているんだろう」
「楽しみ方にも好みってもんがあるからな。まぁ、少し声をかけておいた方が良いとは思うが、あまり厳しく注意するなよ。翔の声が一番楽しそうにしてるし、別に麻紀の悪口を言ってる訳じゃなさそうだしさ」
「分かっている。『騒いでも良いけど、もう少し小さな声にしろ』と言うだけだ。まぁ、何を言っても無駄だとは思うけどな」
 翔を始めとしたボーイ達の気質は知り尽くしているし、周囲が驚く位に俺が厳しく注意した所で、ほんの数十分程度を大人しく過ごしてくれるだけで、あまり効果はない事も理解している。
 そう思いながら宥めてきた三上に言葉を返すと、苦笑を浮かべた彼はひらひらと片手で挨拶しつつ、慶の店がある方向へと歩き始めた。


 新しい所へ場所を移して翔に店を任せようと決めた時、確かに俺も納得の上で、翔の希望通りにクラブスペースを増やした。
 それは分かっているけど、飲酒がメインでない売り専クラブなのに、この騒ぎようは本当にどうかと思う。
 本来なら酒を飲みつつボーイを選ぶオマケ程度の待合スペースの筈だから、いくら騒々しいと言えども、せいぜい自宅でパーティ程度が普通だろう。
 それなのに、飲酒と語らいがメインな慶の店よりも賑やかだとか、本当にありえないよなぁ……と心の底から呆れつつ、目前の扉を開けた。






 店内が煩いから静かに開けるつもりは更々無かったものの、強く引いた扉は予想外に軽い手応えで、勢い余って外側の壁との境にぶち当たり、ガタンと大きな音を立てた。


「あ、いらっしゃ……――――うわぁぁ、麻紀っ!?」
 扉を開けた瞬間、全開になってしまった扉の軽さに少々驚いてしまったのと、店内が予想以上に宴会騒ぎだったのとで反射的に顔をしかめた。
 丁度それと同時に、扉が開いた気配に気付いて振り向いてきた翔を筆頭としたボーイ達と、思いっきり目が合った。


 あんなに大騒ぎをしながらも扉が開いた気配を察知したのは誉めるべき所だけど、一応はオーナーである俺の訪問を受けただけで、ここまで驚く必要はないと思う。
 三上の言い草じゃないけど、それこそ、怨霊でも見たかの様な阿鼻叫喚の場と化し、今までとは別の意味で大騒ぎな皆の横を通り過ぎて、一番奥にあるカウンター前に座った。




「――――おい、何をそんなに驚いているんだ? 俺はオーナーだから店に来るのは普通だろう。何も不思議じゃない」


 仕事そっちのけで酒を飲んで騒いでいたボーイ達はともかく、どうして客までもが一緒になってビビッているのか理解に苦しむ。
 かなり遺憾に思いつつ問いかけると、背中に怯えた客を数名貼り付かせている翔が、恐る恐る声を上げた。
「……や、そうなんだけど……ってか、何でソコから入ってくんだよ。いつも裏から入ってくるだろ?」
「そのつもりだった。いつも通りに裏口から入ろうと思っていたのに、ドアの前まで来た所で俺の名前が聞こえた」
「――――……え? うそ、マジで聞こえた!? ……いやいやいや、麻紀にも聞こえてたんなら、何で正面から入ってくんだよ!」
「俺の話をしてたんだろう。だから聞きに来た。何か用事でもあるのか?」
「ち、違うって! 麻紀に用事があるんなら、直接話をするからさ。何と言うか、単なる世間話に麻紀が出てきただけ……って感じ? っつーか、もしかしてそれで怒って来たとか!?」
「別に怒っていない。強いて言えば、お前等の声がデカ過ぎる方が問題だ。もう少し声のトーンを落として話せ。周囲の迷惑になるだろう」


 どうやら、デカい音を立てて扉を開けてしまった事と、店内の騒々しさに顔をしかめてしまった事を勘違いして、話のネタにされてるのに激怒した俺が、真正面から乗り込んできたと解釈したらしい。
 俺は「特に怒っていない」と言っているのに、必死で言い訳を繰り返している翔と、一緒になって言い募ってくる他のボーイや客達の話を聞いてやっている横から、ひざまずいた祐弥が恭しくおしぼりを差し出してきた。
 オーナーの俺を丁重にもてなしてどうするんだ? と思うものの、別に咎める程の事ではないし、ここで無闇に突っ込んでしまえば、さらに皆の誤解を買いそうな気もする。
 俺は別に飲みに来たつもりは無かったんだけどなぁ……と甚だ遺憾に感じつつも、とりあえず素直に祐弥からおしぼりを受け取り、必死になって言い繕う皆の話を聞いてやった。






 適当に聞き流していればそのうち収まるだろうと思っていたのに、未だに翔を筆頭にした皆の弁解が長々と続いている。
 それに気を取られているうち、祐弥が軽食やおつまみ類を着々と運んできていたらしく、いつの間にやら目の前にはしっかりと飲食体勢が整いつつあった。
 元々さほど腹を立てていた訳でもないから、皆が必死に弁明を続けているのを眺めるのも結構面白いけど、せっかく遊びに来ているのに、あまり邪魔をするのも悪い気がする。
 祐弥がおかわりのカクテルを持ってきたのを合図に、まだブツブツと言い訳を続けている皆の方に視線を向けた。


「もう分かった。何度も言っているが、俺は話のネタになっていたから怒っている訳じゃない。気にするな」
 俺がどれだけ怒っていると思い込んでるのか知らないけど、いつまで経っても俺の話ばかりが続いている様子に、いい加減閉口してくる。
 出来る限り普通の口調になるよう気にしつつ、とりあえず一番容易に納得してくれそうな翔に告げた。


「……マジ? 麻紀、もう怒ってね?」
「だからお前達の思い過ごしだと言ってるだろう。同じ話ばかりしてても仕方ないし、俺もこっちを向いていると食事が出来ない。そろそろ終わりにしてくれ」
「あ、そうだよな。麻紀が好きなの揃ってる?」
「大丈夫だな。祐弥が持ってきてくれたし、これだけあれば充分だ」
 彼等の話を聞こうとすると必然的にカウンターに背を向ける事になるから、せっかく運ばれてきた食事が冷めてしまうし、特に空腹だった訳じゃないけど、好みの物を目の前にすると、それなりに食欲も出てくる。
 まだ何か言いたそうな翔を制して皆に背を向け、カウンターへと向き直った。




 以前は俺が店の全てを取り仕切っていたけど、ジャスミンに場所を譲って移転したのを期に、ボーイを引退した翔へ店を任せる事にした。
 彼と仲が良くて歳が近い祐弥も「丁度良い頃合いだから」と、一緒に売りの方は卒業したけど、副店長として残ってくれた。
 俺は単純に金を出すだけのオーナーだから、色々な規則などは彼等が決めて取り仕切っているし、新しい従業員も選んでいる。
 元々かなり仲が良くて付き合いも深く、性格も似通った所がある二人だから、今の所は大きな問題も無く、新しくなった店も順調に進んでいた。


 俺が決めていた事柄を、翔達は「これに慣れてるから」と、今でもかなり近い形で運用してくれているけど、時間が経つにつれて、やっぱり細かな部分は違ってきた。
 新規採用するボーイ達も、俺はあえて色々なタイプを揃えるように心がけていたけど、彼等が選ぶようになってからは、やっぱりどうしても翔や祐弥に似た気質のヤツが多くなっている気がする。
 しかも何故だか、そういう性格の奴は体格の良い子ばかりで「コイツ等は、もしかして売り専ボーイとしての素質云々より、楽しい飲み友達になれそうな奴を基準に選んでるんじゃないか?」と勘繰りたくなる位、以前と比べてみると随分と賑やかで男っぽい、体育会系的な雰囲気を持つ店になってきた。
 もっとも、店長やオーナーが変わって店の雰囲気が変わってしまったのは此処ばかりではなく、ジェイがオーナーを退いたクラブJも、店長をやっている中川の好みなのか、ティコみたいに可愛くて気立てが良く、性格のしっかりした印象のボーイが増えている。
 俺とジェイの場合は色々なバランスを重視する傾向が強いからか、売り専クラブとしての在り方は全く違っていたものの、割りと似た雰囲気だったように思う。
 奇しくもほぼ同時期に俺達が店の管理から退いた頃を境に、クラブJは若々しくて可愛らしい華やかな雰囲気になり、それとは正反対にウチの店は、やたらと男っぽくて明るいヤツばかりになってきた。


 接待絡みでやってくるノンケの者達も多く、そういう彼等には取っつきやすい可愛らしい容姿のボーイが増えたクラブJはともかく、こうもやたらと男臭い奴ばかりが揃ってるウチの店に関しては、俺的にはどうかと思う。
 ちょっと注意すべきかと考え始めた頃、陣中見舞いにやってきた藤原が「女性向け風俗の『ホストクラブ』の雰囲気に似ている」と、しきりに感心している姿を目にしてから、このまま少し様子を見てみるかと思うようになってきた。




 昔から顔馴染みだったジャスミンから売り専クラブについての相談を受けて、サテンドールをやっていた物件を譲る事を決めた時、それを知らされた藤原自らが、俺の所まで出向いてきた。
 俺としては旧知のジャスミンの要望に対して、それならこの場所が最適だろうから譲ってやろうと考えただけで、藤原に恩を売っておこうなどと思った訳じゃない。
 そろそろ翔に店を任せるつもりで準備を進めていた所だったし、こちらも丁度良いタイミングで次に引き渡す事が出来るのだから、別に礼を言われるような筋合いはない。
 だから最初は「気にしなくていい」と告げて断ったのに、裏から色々と手を廻したのか、慶やジェイから「せっかく向こうが歩み寄ってきてるんだから、せめて話くらいは聞いてやれ」と嫌味たっぷりに小言を言われるようになってきた。
 もっとも、彼等に文句を言われただけなら適当に聞き流していれば良いけど、ジャスミンからも「ぜひともボスと会って話を聞いて欲しい」と懇願されたら、無下にあしらう訳にもいかない。
 俺は話しあう事など何も無いんだけどな……と少々面倒に思いつつも、とりあえず話だけは聞いてみる事になった。


 初会合となったあの日、ジャスミンに連れられ、やけに和やかな表情で部屋に入ってきた藤原は、俺が勝手に想像していた人物像と少し違った。
 彼のやっている事柄やジェイをいたく気に入っているらしい事も加味して、きっと唯我独尊を地で行くジェイと同類の奴だろうと考えていたのに、実際に現れた彼はむしろ真逆で、ともすれば周囲に上手く言いくるめられてしまいそうな人懐っこい笑顔の藤原を前に、少々毒気を抜かれてしまった。
 彼の本質がそれとは全く違う事は、ちょっと話をしているうちに分かった。けれど、常日頃、そういう類いの人間と接していない人達なら、恐らく、彼の実体は別物であると気付く事はないだろう。
 俺と必要以上に親しくなるタイプの人間ではないものの、毛嫌いする理由は無い奴だと分かったし、慶やジェイが擁護する気持ちになるのも理解出来る。
 ジャスミンやジェイ達がどういう風に説明していたのかは聞いてないけど、俺が藤原に対してあまり良い印象を持っていないと、本人もある程度は聞いていたと思う。
 それを変な小細工で変えようとする事なく、直接出向いての話し合いを希望してきた心意気に対しても、彼ならそれを選ぶだろうなと、妙に納得してしまった。


 自分はそういう性格だと自覚しているものの、最初に話を聞いた時点で持ってしまった拒絶感に拘っていたのは、確かに頑なな態度だったと、素直に反省する気になってくる
 同席していた翔と祐弥も同じ印象だったようで、彼等が店を仕切るようになってからは、何かと交流を持っているらしく、藤原の名が会話に出てくる事が多くなった。
 店の運営に直結する事だとか、そういう深い部分の相談はさすがに控えている様子は伺えるものの、何かと相談事を持ちかけては意見を聞いているらしい雰囲気は伝わってくるし、翔や祐弥の性格的に、ジェイや藤原みたいなタイプの人間と話が合うのは納得出来る。
 そうは言っても、基本的に翔達の判断に任せているものの、今でも二人とも重要な事柄は決定前に報告してくれるから、この店は実質的に、俺も含めた三人での話し合いで方向性が決まっていた


 まず否定から考える俺と、常に前向きな彼等が気にかける点は真逆で、それは良い傾向だと思っている。
 そして、この街に慣れた俺達とは違う感性を持っている藤原が、翔や祐弥がやっている形態を誉めるのであれば、この界隈では一風変わった雰囲気の売り専クラブであったとしても、さほど悪くはない傾向なんだろう
 そういう下地が俺達の間に出来てきた事もある為か、ジェイの手を離れて雰囲気が変わってきたクラブJとも、今では客層が完全に真逆になりつつあった。




 お互いに別の立ち位置を確立した今になって思えば、どうして俺はジェイに対してあんなにもムキになり、無闇に張り合っていたんだろうな……と、本当に不思議に感じる。
 けれど俺だけじゃなく、ジェイもそう感じて負けじと対抗してくれたからこそ、同時期に出来た二つの店は大きく成功したんだと、今でもそう思っていた。
 俺は本質的に不器用で融通の利かない性格だと、自分でも理解している。
 本当はジェイの足元にも及ばない程度の実力しか持ち合わせていない事も分かっているから、何だかんだと罵りながらも最後まで相手をしてくれるジェイには、内心では感謝していた。


 ジェイへの対抗心だけで始めた「店の運営」という生業だけど、やってみれば意外と楽しい仕事だと気付いた。
 だからこそ、自分なりに様々な思い入れがある、競合していた二つの店の関係性が変わりゆくのを実感するたび、やっぱりほんの少しの寂しさも感じてしまう。
 でもそのおかげで、無闇に客を取り合って潰し合う可能性が皆無になったのも事実だから、きっと、これで良かったんだろうな……と、そう思うようにもなっていた。






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