Eros act-1 07



 指定された駅に向かう電車の中、もう気持ちは決まってる筈なのに……でも、まだ少しだけ迷っている。

 金の優劣だけで選んだ仕事についての知識なんて、きっと無いに等しい程度だと分かっている。
 自分と同じ性である男を抱いた事なんてないし、当然、男に抱かれた経験もない。

 ネットで仕入れた正誤の怪しげな同性愛の知識を頼りに考えてみても、そういう性的嗜好を持たない俺は、ドッチの方ならやれるかなんて事も未だに想像すらできない。

 それなのに、これを仕事にして本当に大丈夫なのか? と、まだ気持ちがハッキリとは決まらずにいた。




 数日前、職種なんて考えず、とにかく時給の良いバイトを手当たり次第に探している最中、売り専クラブのボーイ募集が目に留まった。

 やっぱり男でもこういう水商売は時給が良いんだなぁと納得しつつ、一度は見送ってはみたものの、その時給の良さ故にやっぱり少々気になってしまう。

 よくある風俗店のサービスを男同士でやるんだろうなとは思うものの、どうもいまいちピンとこない。
 素っ気なく断られるのを覚悟で、中でもダントツで時給の良いクラブJへ「仕事の内容だけでも聞いてみよう」と半ば興味本位で電話をしてみると、「とりあえず、店まで来る様に」と言われてしまった。


 まさか面接に来いと言われるとは思ってなかったから驚いたものの、電話での話だと好感触だったし、色々と興味もある。
 今まで足を踏み入れた事のない独特な趣のある界隈に少し戸惑いながらも店に向かうと、あっさりと店の奥にへと招かれ、面接らしきやり取りが始まった。

 店内に入るまでの雰囲気に圧されてガチガチに緊張しているのが伝わったのか、茶髪で大柄な体格の、やたらと男前な男性が「店長の中川だ」と、穏やかな口調で俺より先に自己紹介をしてくれた。

 落ち着いた話し方と丁寧なやり取りから、この人が電話で説明してくれた相手だと、ふと気付く。
 それで少々気持ちも落ち着いてきて、簡単なやり取りの後に大まかな志望動機を告げると、彼はその場で何処かに電話をかけ始めた。

 聞こえてくる話の内容から、店長以外にも入店前に面接をする偉い人がいて、その相手との時間調節をやっているらしいと分かる。
 店長より上なら、オーナーとかそういう類かなぁとか考えつつ大人しく待っていると、その相手と短い会話の後、電話を切った中川から「明日、ジェイが会うから」とそう告げられた。


 その『ジェイ』と言う男性が、どうやら事実上のオーナーであるらしい。
 「俺は異性愛者だから、この先については上手く説明出来ない。サービスの内容はジェイに聞け」と、そう告げる中川の言葉に、一気に気持ちが解れて行くのを感じた。



 こういう店に携わるのなんか、そういう性嗜好のヤツばかりなんだろうと、勝手にそう思い込んでいた。
 だから、極普通に異性愛者が働いていて、しかもそれが店長だって事が少し意外だったけど、それ以上に何となく安心してしまう。


 明日、オーナーとの面談でNGが出たり、逆に俺の方から「やっぱり無理です」と断らない限りは、基本的にこのまま採用になるらしい。
 どうやら開店直前だったらしく、自分と同世代の若い男で賑わう事務所らしい一室で、そのまま中川から契約の詳細を聞いていく。

 面接の途中だと言うのに全く怯む様子もなく、横からあれこれと茶々を入れてくる従業員達の雰囲気が楽しそうで、きっと良い店なんだろうと随分と気持ちが楽になってきた。


 中川の言葉の隙間を狙って物珍しそうに問いかけてくる従業員達は、どう色眼鏡で見ようとしても、本当にその辺りを歩いている普通の男にしか見えない。
 ゲイなんてきっとナヨナヨした女の子っぽい男達なんだろうなと、そう思い込んでいた偏見を自覚してしまって、少々恥ずかしくなってきた。

 自分の周囲には同性愛者なんていないからというのも、この仕事に就いてみようと思った理由の一つだった。
 でも案外、そうでもないのかもしれないと、面接が終わる事にはそんな考えすら浮かんでいた。




*****




 駅に着いて改札を出ると、言われていた通りにロータリーの方に歩いて行く。
 指示されていた通りに端のガードパイプの所に向かうと、何気なくその上に腰掛けてみた。


 迎えに来るはずの『ジェイ』という男性の特徴を聞いてみたのに、店長の中川は「見れば分かる」としか返してくれなかった。

 本当に分かるのかなぁ? と疑問に思いつつ、少々早めに着いてしまった待ち合わせ場所で、ぼんやりと周囲の様子を眺めた。



 そろそろ時間だなぁとか考えていると、背中を向けて座っているロータリの方に、見ただけでソレと分かるスポーツタイプの高級外車が滑り込んできた。

 友人に車好きの奴がいるから、その付き合いで話を聞いたりする程度の知識しかないけど、確か、数千万とかいう値段が付いていた気がする。
 世の中には本当にこんな車に乗ってる奴がいるんだなぁと感心しつつ、雑誌の記事でしか見た事のない車に興味を引かれ、振り返って眺めていると、ソレが目前で急停車した。


「……お前か?」

 目前で止まった車にビビりつつも呆然と見詰めていると、突然、車の窓が開いた。
 そのまま車内からジッと俺の方を見詰めて問いかけて来た男の姿に、思わず勢い良く立ち上がった。



「――――え? あーっと、……」

「お前、名前は何だ?」

「……あ、俺!? えっと……橋本です」

「それならお前だ。乗れ」


 ジロジロと眺めてたから怒られるのかと思ったのに、どうやら彼が待ち合わせていた「ジェイ」って人だったらしい。
 クイッと顎で助手席を指し示してきた彼の仕草に、慌ててガードパイプを乗り越え、右側にある助手席へと乗り込んでいく。


 好印象が強く残っている店長の中川のイメージが無意識にあったのか、何となく勝手にああいう雰囲気の人を想像していたから、それとはむしろ正反対なジェイの姿に戸惑ってしまう。

 ドアを閉めた瞬間、唐突に車を発車させたジェイの横顔を見詰めながら、とりあえず軽いパニック状態になってしまった頭を纏めようと、必死になって何度も掌の汗をジーンズで拭っていた。




 こんな所で待ち合わせだし、とりあえずオーナーと駅前の喫茶店で顔合わせでもするのかなぁ? などと、のほほんと構えていたから、まさかこんな事態になろうとは全く想像もしていなかった。

 一度は乗ってみたいとか考えた事すらない高級外車の助手席で、もう緊張で身を硬くする位しか、間を持たせる手段が無い。

 堅苦しい話は無いから普段着で向かうようにと指示されたし、本当にラフな服装で来たから、余計に場違いな感じがして落ち着かない。
 スーツでも着てくれば良かった……と心底後悔しながら、無言で運転を続けるジェイの姿を横目でチラリと伺ってみた。


 確かに『見れば分かる』なぁと納得したものの、漂ってくる威圧感に、まだ正面から彼を見詰める度胸が持てずにいる。

 流暢な日本語を話しているけど、ハリウッドの映画にでも出ていそうな整った顔立ちと、脱色とは全く違う色素の薄い髪色、やけに白い肌の色で、彼は純粋な日本人じゃないんだろうと予想がつく。
 体格も良いし、背もかなり高そうだよなぁと、膝の破れたジーンズに包まれている、彼の長い足をぼんやりと眺めた。



 その嗜好も無いのに、自分と同じ男を相手に身体を売る仕事に就こうと考える位には、それなりに自分の容姿に自信を持っている。
 数ヶ月前に彼女と別れたばかりだけど、今まで女に不自由した事はないし、周囲と比べても結構、上の方だと自負していたのになと、胸の中で溜息を吐いた。

 店長の中川という男も男前だったし、あの場にいた何人かの従業員達でさえも、街中で見かけても充分に人目を引く位の容姿を持った男達が揃っていた。

 確かに身体を売りにしている仕事だし、それが商売道具なんだと分かってるけど、こうもズラリと揃われてしまうと少々腰が引けてしまう。
 そもそも男相手の商売なのに、何でこんなに美形ばかりなんだ? と、何だか色んな意味で自信が無くなってきて俯いていると、信号待ちで停まった隙に、ジェイが視線を向けてきた。




「お前、ノンケらしいな?」

「……えっと、ノンケ……って、何でしたっけ?」

「ゲイじゃないヤツの事だ。男と寝た経験は?」


 そう大きい声でもないのに、やたらと耳に響いてくる彼の声色に焦りながら、ゴクリと唾を飲み込んで答えを返した。


「いえ、全然無いです……その、やっぱり珍しいですか?」

「そうでもねぇよ。ウチの店にも入店時はノンケだったヤツが何人かいたが、皆、途中から男にハマった。今でも意固地にノンケを通しているのは中川くらいだろうな」

「……途中から変わるモンなんですか?」

「俺は元からゲイだ。その気分は分からないが、そう言い出したヤツがいるのは確かだ……で、どうしてノンケが男相手に売り専をやろうと思ったんだ?」


 信号が変わって、また車を走らせながら、ジェイがそう問いかけてきた。



 分かってはいたものの、彼の口から「俺はゲイだ」と、本当にその言葉が出てきた事に、何故だかやたらと驚いてしまう。

 容易に視線を合わせるのも躊躇う程、人並以上に男らしく思える彼が同性愛者なんだと思うと、それが何だか信じられない。
 同性に性欲を感じるという事を、俺はやっぱり本当の意味で理解できていないんだろう。

 彼等の立場からすれば、もしかして、俺もその対象として見えるんだろうか……? とか考え出すと、今までに味わった事のない、何とも表現し難い気持ちになってきた。


「あの、お金が必要なんです。普通のバイトじゃ足りない位の額なんです。俺の父親は町工場をやってて、そんなに大きな規模じゃないけど、俺が小さい頃からずっと経営してて……でも、最近売り上げが悪くて借金が増えてきて。俺、大学に行ってたんだけど、そのうち跡を継ぐつもりだったんで退学しました。最初は普通のバイトでもやって、とりあえず元に戻るまで手助けして…って考えてたんだけど、もう、そんな余裕も無いらしくて父親が廃業するとか言い出したから……でも俺は、それは本当に嫌だし、だから……」



 自分で思っている以上に気持ちが混乱しているのか、話し出したら止まらなくなってきた。

 頭に思い浮かんだままの言葉を分かりやすく纏める余裕もなく、ずっと一人で話し続けていると、また信号で止まった運転席から、ジェイが呆れた視線を向けてきた。


「おい、そんなに緊張するんじゃねぇよ。大丈夫だ。少し落ち着け」

「……あ、すいません。つい……」

「まぁ、緊張するなって方が無理だろうとは思うがな。お前、今から何をするのか分かってるのか」


 思いがけず穏やかな声色で言われた彼の言葉に、先程、頭に浮かんで来た気持ちが蘇ってきた。

 何処かの店に入る風でもなく、こんなに長距離を移動して向かう面接だなんて、単純な顔合わせじゃないよなと察しがつく。
 それが分かって面接を受けに来たのだから、潔く覚悟を決めて頷いた。



「多分。あの、俺とヤルんですよね」

「そうだ。別にお前がノンケだからじゃねぇよ。店に入る前に、一度見ておく様にしている」

「全員ですか。ゲイだと分かっていても?」


 てっきり、俺が同性愛者じゃないからこんな面倒な手続きを踏んでくれるんだろうと思っていたのに、どうやら違っていたらしい。
 少々驚きつつ問い返すと、ジェイは前を向いたまま頷いてくれた。



「一応な。他所はどうだか知らないが、ウチは働く者達への管理を厳しくしている。妙なヤツを雇ってしまって、ソイツ一人の為に店の評判を落とされるのは不本意だからな。他の面に関しては中川に一任しているが、アイツはノンケだから実際に寝るのは無理だし、同性愛者の思考も分からない。だから俺がやっている」

「……俺、男相手のテクニックとか、あまり分からないんですけど」

「当然だろう。男相手は初めてなら何も知らなくて当たり前だ。俺が見るのはそんな所じゃねぇよ。純粋に『売れるかどうか?』だ。テクの好みは人其々だから、さほど重要視していない。要は、ソイツとのセックスに対して、客が金を払う価値があるかどうか……だ」


 そうきっぱりと言い切ったジェイの言葉に、胸がドクリと音を立てた。



 もっと単純に、裸になって身体を触らせ、適当に気持ち良くさせればいいんだろうって、その程度にしか考えてなかった。
 むしろ「男にあの部分を触られるのか……」とか「変な親父が来たら断っても良いのかな?」などと、そんな事ばかりを気にしている。

 自分が買う側になって考えれば、金を払う立場の価値観なんて容易に想像がつく。
 それなのに、何故だかそれが完全に頭の中から抜け落ちていた。

 ……俺、幾ら貰える価値があるんだろう? と考え込んでいると、前を向いたままのジェイがククッと笑った。



「そう深刻に悩まなくても大丈夫だ。よほどの事がない限り、採用になるだろう。お前、ウチに勤めてる奴等に会ったか?」

「はい。事務所で面接した時、開店前だったんで。何人かは」

「そうか。見て分かったと思うがウチは容姿的にも上玉を揃えているし、華やかさが売りだ。ゲイにも色んな好みがあるから、歳を喰ってもそれなりに需要はあるが、ウチには置かない。どんなに売れてるヤツでも23歳になったら引退してもらう」


 素っ気なくそう言い放ったジェイの言葉を聞きつつ、思わず彼の横顔をジッと見詰める。
 俺の視線に気付いたのか、話しながらハンドルを握っているジェイは、前を向いたまま薄っすらと口元を緩めた。



「売りをやる目的は其々だが、皆、働ける期限があるのは理解している。入店基準や管理が厳しい分、それをパスして籍を置いているプライドもあるだろうし、それに見合う高給を渡してるつもりだ。お前の場合、最大まで勤めても二年程しか残っていない。その期間で必要な金を稼ぐんだな。お前が何の目的で来ているのか、それは俺には関係の無い話だし、お前の実家が持ち直して途中で辞めるのも自由だ。それに対して、俺から出す制限はねぇよ」


 ゆったりとした口調で話す彼の言葉を、少々驚きながら聞き入っていく。


 ダラダラと纏まりなく話し続けていた俺の言葉を、ジェイは前を向いて運転しながら興味無さそうに聞いていた。

 でも、それは見かけだけで、彼はしっかりと、俺の話を理解してくれていた。


 ジェイの言葉や態度を見てると、あの時、その場に居合わせた従業員達に好感を持った理由が分かる気がする。

 そこで働こうとしている自分の事は棚に上げて、風俗系の仕事に就く男なんて、いい加減なヤツばかりなんだろうと思っていた。
 それは俺の偏見なのか、それとも一般的な印象なのかは分からないけど、少なくともジェイの店に関しては違うらしい。


 事務所で話を聞いた時、普通のバイトとは比較にならない位の厳しい規約に驚いた。
 でも、店の雰囲気は本当に明るかったし、開店前の従業員達も堅苦しい所は無く、学生の部活動みたいなノリで楽しそうに過ごしている。

 採用の条件に厳しい規約を付ける事で、軽い気持ちで働こうとする奴を、あらかじめ振るい落としているのかもしれない。
 アレを守れない様な、軽い気持ちのヤツは最初から雇うつもりがないって事なんだろう。

 だからある程度の常識や社交性がある奴ばかり揃ってるし、仲間意識も強いんだなと納得していると、ラブホテルらしき建物の駐車場に、ジェイが車を滑り込ませた。




 停車して降りる準備を始めたジェイの姿を気にしながら、これからそうなるんだって分かっていた筈なのに、何故だかやけに緊張感を感じてくる。

 こんなホテルなんて何回も来た事があるのに、何だか初めて来た場所みたいで、本当に落ち着かなくてしょうがない。
 急激に高まってきた胸の鼓動を感じながら、車を降りたジェイに続いて、建物の中にへと入って行った。




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