LovelyBaby 01

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「――――森崎さんっ……!」


 普段より少しだけ早い時間の帰宅途中、改札に向かおうとした所で、背後から急に名前を呼ばれた。
 聞き慣れない声に首を傾げつつ振り返ってみると、どうやら呼び止めた本人らしい高校生の少年が、制服姿で走り寄ってくる。
 十年ほど前に卒業した母校の制服だし、その姿も何となく見覚えがある様な気がするけど、誰だか咄嗟に思い浮かんでこない。
 ……そもそも、俺は高校生の知り合いなんていたか? と、不思議に思いつつ、大急ぎで駆け寄ってきて息を切らす少年の姿を、しげしげと見詰めてみた。


「……悪い。何となく見覚えはあるんだが、思い出せない。誰だ?」
「あ、やっぱ分かんねぇよな。俺、奈宜だよ。覚えてる?」
「――――え、奈宜!? 北岡の弟か?」
「そう! 良かった、もう俺の事は忘れてるかも……って、ちょっと不安だったんだ」
 嬉しそうに頬を緩めてニコリと微笑む奈宜の姿を、本当に驚きつつ、思わず上から下まで眺めてしまった。




 高校時代に付き合ってた彼女には、十歳ほど年の離れた弟がいて、名前を『奈宜』といった。
 小学校に上がったばかりだった小さな彼は、本当に素直な可愛い子で、彼女の家に遊びに行くと人懐っこく寄って来てくれるから、いつも遊んであげていたのを思い出す。
 自分にも弟がいるけど、歳が近くて喧嘩ばかりしていた。だから本当の弟とは正反対の、無邪気で屈託のない笑顔の奈宜が本当に可愛くて、本来の相手である筈の彼女が呆れる位、彼と一緒に遊ぶのを楽しみにしていた。


 その彼女と高校卒業後に別れてしまってからは、もうそれっきり、奈宜と会う口実がなくなってしまった。
 別れた後も友人としての交流は続いていた彼女から、「元気にしている」とは聞いていたけど、やっぱり、別れた女の家に遊びには行き難いし、ましてや、その理由が「お前の弟の事が気になるから」なんて言える筈がない。
 それでも暫くの間は、時折、子供だった奈宜を思い出しては「もう、アイツも大きくなったんだろうな……」と、そんな事が、ふと脳裏を過ぎっていた。
 あれから十年は過ぎているから、彼が高校生になっているのは当たり前だと思う。
 そう分かっているものの、あの小さかった奈宜と、今、目の前に立っている高校生の姿とが、どうしても結びつかない。記憶の中にいる奈宜は、いつまで経ってもあの頃と同じ、小さな子供のままだった。




「最後に会ったのは、もう十年ほど前だな。今は高校生か」
「そうだぜ。森崎さんが通ってたのと同じ高校で、三年生になったトコ。制服も昔と同じだろ?」
「ほぼ、同じだな……それにしても、お前、大きくなったな。奈宜の事は覚えていたが、全然結びつかなかった」
「そうかな? 同じ歳のヤツと比べると、ちょっと身体は小さめなんだよな。『俺も高校生になったら、森崎さんみたいになるのかな?』って思ってたんだけど、全然違った」
 そう言いながら和やかに笑い、低い位置から見上げてくる奈宜の顔に、ようやく小さい頃の面影がダブって見える。何故だかそれに安堵しつつ、口元辺りにある彼の頭を、昔と同じ様に撫でてあげた。


「馬鹿、俺と比べるんじゃねぇよ。でも、背は平均程度はあるんじゃねぇのか?」
「うーん、何とか……ってトコかな。身長は良いんだけど、骨が細いって言うか、身体そのものが大きくならなくてさ。頑張って食べてるんだけど、全然ダメだったな……」
「無駄に太ってしまうよりは、今の方が良い。筋骨隆々な奈宜なんて想像出来ないからな。それより、何でお前がココにいるんだ? 家や学校は別の駅だろう」
「別の学校に行ってる友達がいるんだ。ソイツ、休日にバイトする様になったから、平日に遊びに来てる。この前、姉さんが結婚式の招待状を作ってて、それを手伝ってる時に森崎さんの名前もあったから、ちょっと驚いちゃってさ。その時、この駅の近くの会社に勤めてるって聞いたから、もしかしたら会えるかも……と思って、ココに来た時は探してたんだ。こんなに早く見つかるとは思ってなかったけど」


 少し照れた様子で俯き、そう話す奈宜の仕草は、子供の頃と変わってない。
 それを懐かしく思うと同時に、まだ幼かった奈宜が自分の事を覚えていて、そして、探してくれていた……という事を、本当に嬉しく思った。




「ココで立ち話も何だな。何処かで話をしたいが……時間は大丈夫か?」
「うん、全然平気。ご飯でも食べに行く?」
「そうするか。『遅くなる』と、家に連絡を入れなくても良いのか? 親が心配するぞ」
「大丈夫だって! 友達んトコ行くから晩御飯は要らない、って言ってきてるし、それに俺、もう高校生だぜ。森崎さんが俺んちに遊びに来てた頃と、同じ歳なんだからさ。森崎さんだって、好きに遊んでたじゃん」
 少々不満気な表情を浮かべた奈宜の姿に、思わず笑い出してしまった。
「確かにそうだな。悪い、どうもあの頃の記憶が抜けない」
「まぁ、それは分かるけど。やっぱ森崎さんが高三だった頃と比べると、俺、すっげぇ子供っぽいもんな……」
 どうやらそれを自分では気にしているらしく、ブツブツと拗ねる奈宜を宥めながらも、やっぱり頭の中では幼かった彼の姿と比べてしまう。
 本当に久しぶりの再会を喜びながら、ようやく並んで歩き始め、改札を抜けてホームにへと向かって行った。






*****






 帰りの事を考え、彼の実家がある最寄り駅で降り、互いの近況を語り合いながら食事の場所を探す。つい、視線が居酒屋に向かいそうになる自分を抑え、色々と考えた挙句、駅前のパスタ屋に入った。
 思い返してみると自分が高校生だった頃は、平気で飲み屋にでも入っていた。
 でも、奈宜は当時の俺より歳相応の幼さが残っているし、それ以前に今日は制服だからな……と、上着を脱いだ奈宜の華奢な身体に視線を向ける。
 それでも、あの頃は食べられなかった少し辛目のパスタを注文する奈宜の様子に、やっぱり大人になったんだなぁと、改めて感じてしまった。


 十年ぶりに会って、しかも、あの当時の彼は年端もいかない子供だったというのに、そんな事は全く隔たりにならず、つい数日前にも会っていたかの様な自然な雰囲気で、本当に楽しく会話が弾む。
 長い時間を話して気付いた事は、彼は昔と変わらない素直な性格で、幼い頃と同じ様に人懐っこいという事。
 昔と変わった所と言えば、あの当時は子供らしく拙かった言葉が今はハッキリとした大人の口調になった事と、その内容が少し大人びた位で、他はあまり変わっていない。
 姉とも歳が離れているし、両親が少し年齢が高くなってから産まれた子だから、あの当時もほとんど一人っ子状態で、皆から随分と可愛がられていた。
 あのまま大きくなったんだな……と嬉しく思いながら、この年頃にありがちな斜めに構えた視線のない奈宜と、楽しい会話を重ねていた。






「――――でさ、俺は事情とか分かんないから『何で、将兄ちゃんは来なくなったんだ?』って、しつこく聞いたみたいで、姉さんもすごく困ったらしいぜ。まさか小学生の子供相手に『別れたから』とか説明する訳にもいかないだろ? もう俺は忘れてたんだけど、姉さんからそう聞いたら思い出してさ。ちょっと恥ずかしかったな」
 「将貴」と言う名前の一字を取って『将兄ちゃん』と呼んでいた、当時の呼び方を口にした奈宜の言葉に、口元を緩めて頷いた。
「だろうな。俺も奈宜と遊んでやりたかったんだが、別れた女の家に、平然と遊びに行く訳にもいかないからな……それより、今は『森崎さん』なんだな。もう『将兄ちゃん』じゃないのか?」
「……ホントは、最初に見かけた時、前と同じ様にして呼ぼうって思ってたんだけど。でも、もう姉さんの恋人じゃない、って分かってるから。あのままだったら、今でも『将兄ちゃん』なんだろうけど。やっぱり今は『森崎さん』って呼んだ方が良いのかな? って思ってさ」


 問いかけに少し困った表情を浮かべて考え込みつつ、そう話す奈宜の言葉に、ほんの少し寂しさを感じる。
 空いていた十年の間を越えて親しく話をしているのに、奈宜から『森崎さん』と苗字で呼ばれる事に、あの頃には無かった少しばかりの距離を感じた。


「俺は『将兄ちゃん』でも全然構わないと思うがな。もう呼び難いか?」
「そんな事はないけど……でも、まだ少し緊張しているのかも。やっぱ久しぶりだしさ。それに、森崎さんもスーツとか着てるし。すっげぇ大人だな……って気がしてさ」
「これはお前の制服と同じだろう。仕事上、仕方無いからな。まぁ、私服で会えば少しは気分も変わってくるんじゃないのか」
「そうかも。今の森崎さんに慣れたら、また『将兄ちゃん』って呼ぼうかな」
 そう答えて笑う奈宜の姿に、胸のつかえが取れていくのを感じる。幼い頃と変わらない、あどけない笑顔を浮かべる奈宜に、大人びた遠慮なんて言葉は似合わない。
 彼も言葉にして出さないだけで、大人になってからの再会に、何となく微妙な距離を感じていたのかもしれない。
 すっかり安心した様子で、より打ち解けた雰囲気になってきた奈宜の姿に微笑みつつ、ゆっくりと美味しい夕食を進めていった。






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